第55話 松岡の本音
クリスマスが近づくとラインはもちろんのこと、仕込み室も忙しさでてんやわんやとなっていた。
「クリームがまだ仕上がりません!」
「その作業台、後で使うので置いといてください!」
「ゼラチンがなかなか溶けなくて、ダマになるんですけど!」
「チーズが硬すぎて、うまく砕けません!」
作業員たちの余裕のない声が飛び交う中、リーダーの猿飛亜矢は「少々のことはいいから、とにかく速く仕上げることに集中して!」と、小柄な体を目一杯動かしながら、彼等を鼓舞していた。
そんな中、いきなり正社員の田中と山本による、作業台をめぐっての言い合いが始まった。
「この作業台は俺が使うんだよ!」
「田中さんは後でいいでしょ! 僕の方が急を要するんです!」
「お前が先に使うと、俺が使えなくなるじゃないか!」
「その時は、他の作業台が空くのを待ってればいいでしょ! 臨機応変って言葉、知らないんですか?」
「なんだと? 前から思ってたが、お前、俺のことバカにしてるよな?」
「バカになんてしてませんよ。でも、小バカにはしてますけどね」
薄笑いを浮かべながらそう言う山本に、田中は「ほう。お前、俺にケンカを売るとは、いい度胸してるじゃないか」と、鬼のような形相をしながら凄んだ。
そんな二人に、亜矢は「あんたたち、ケンカなんてしてないで、さっさと仕上げなさい!」と、強い口調で命令した。
「ちっ、今は仕事中だから勘弁してやるけど、後で覚えとけよ」
「その捨て台詞、昭和に流行ったやつですよね? 令和の今、そんな古臭い言葉使う人なんて、誰もいませんよ」
「古臭くて悪かったな。俺は昭和時代のドラマや映画が好きなんだから、仕方ないだろ」
「いくらそうだとしても、古臭い言葉を使っていいことにはなりませんよ。今後一切、僕の前では使わないでください」
「なんでお前にそこまで言われないといけないんだ? お前、俺が先輩だということを、ちゃんと認識してるか?」
「もちろん、してますよ。だからいつも敬語を使ってるじゃないですか」
「敬語を使えばいいってもんじゃないんだよ。そこに、ちゃんと尊敬の念を抱いていないと、まったく意味をなさないんだ」
「へえー。田中さんて、まんざらバカってわけでもないんですね。今日初めて知りました」
「お前、またケンカ売ったな。今度という今度は許さんぞ」
「僕は褒めただけなのに、なんでそうなるんですか?」
「うるせえ! あんな褒め方がどこにある!」
二人の間に一触即発の雰囲気が漂う中、亜矢は「あんたたち、いい加減にしないと、ドロップキックをお見舞いするわよ!」と、冗談とも本気ともとれない言葉で、二人を戸惑わせていた。
やがて亜矢と山本が昼休憩に向かうと、田中は派遣社員の松岡健次郎に怒りの矛先を向けた。
「松岡さん、もっと速く作業できないんですか? これじゃあ、何のために補助やってもらってるか、分からなくなるよ」
「すみません。私なりに精一杯やってるのですが、いかんせんこういう作業に慣れていないもので……」
「そんな言い訳ばかりしてないで、どうしたらもっと速く作業できるか、少しは自分で考えてくださいよ。その方が建設的でしょ?」
「それも考えてはいるのですが、なかなかいい方法が見つからなくて……」
「三ヶ月もここで働いてるのに、まだ見つからないんですか? まさか、派遣社員なのをいいことに、手抜きしようと思ってるんじゃないでしょうね?」
「いえ。私は決してそのようなことは……」
「どうだか。どうせ短い期間しかいないから、楽して稼ごうと考えてる人が、派遣社員には多いですからね」
「他の人がどう思ってるか知りませんが、少なくても私は一生懸命やってるつもりです」
「松岡さんの場合、口と行動が伴ってないんですよ。一生懸命やってれば、自然と要領もよくなるはずなんですけどね」
「それに関しては申し訳なく思っています。ここでの作業も後二週間余りとなりましたが、最後まで精一杯務める所存です」
「そうですか、まあ精々頑張ってください」
そう言うと、田中は帰ってきた亜矢と山本に代わって昼休憩に向かった。
「松岡さん、田中さんに何か言われました?」
浮かぬ顔をしている松岡を見て山本が訊くと、「はい。『もっと速く作業できないのか』と怒られました」と正直に言った。
「そんなの、気にすることないですよ。あの人、ただ鬱憤晴らしに言ってるだけだから」
「ええ、それは分かっています。田中さんの手前、殊勝な態度を見せていましたが、心の中ではずっと舌を出してました」
「はははっ! 松岡さん、なかなかやるじゃないですか。あの人には、そのくらいの気持ちで臨んだ方がいいんですよ」
「そうですね。じゃあ、これからもそうします」
やがて田中が帰ってくると、松岡はこれまで通り殊勝な顔で仕込みの補助をしながら、心の中ではずっと彼のことをバカにしていた。
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