第28話 戦いのあとで


 レンジはよく泣く子どもだった。

 ガキ大将のタンジェロに泣かされては、祖父オートーのところへ飛んできて、その胸に顔をうずめていた。


『おうおうレンジ。またやっつけられたのか。向こうの方が2つも年上じゃ。どうしてそうゲンコツで立ち向かおうとするのかのう……。逃げるのも立派な戦略じゃぞ』


『うええあ。ぶえええ。わあああああん』


『なんと。そうかそうか。なに言っとるかわからんが。とにかく、それでもめげないのは、たいしたもんじゃ。よしよし』


 そうして慰められて、ようやく泣き止むと、祖父はレンジを屋根裏部屋に上げてくれた。

 大きな天窓があり、そこから夜空を見上げることができた。山に近いネーブルの空気は澄んでいて、星が満天に輝いていた。


『レンジ。人はのう。あの美しい星の世界から地上に降りてきて、せいいっぱい生きて自分の使命を果たし、そしてまた星々の彼方に還っていくのじゃよ』


『とうちゃんと、かあちゃんも?』


『おう。そうじゃ。お前を生むという、大きな使命を果たして、あの空の星に戻ったんじゃ。見えるかのう。あの青い星と赤い星じゃ』


『みえる。……じいちゃんも、おほしさまになるの?』


『そうじゃ。わしもいつかの。……お、どうしたまたベソをかいて』


『じいちゃんは、しめいを、はたさなくていい。ずっといてほしい』


『はっはっは。わしは、おまえのそばにいることが使命じゃ。安心おし』




 ……………………

 レンジには、父と母の記憶はあまりない。兄弟はおらず、一人っ子だ。祖母も生まれる前に亡くなっている。小さいころから、たった一人の家族である祖父が、レンジの親代わりだった。

 13歳の時に、その祖父が死んだ日。レンジは一人で屋根裏部屋に上がった。

 空は、一面の星だった。

 几帳面だった祖父の性格の通りきちんと整頓された部屋は静かで、物音ひとつしなかった。海の底のように、青く、暗く、そして肌寒かった。

 レンジは毛布をかぶって、天窓から空を見ていた。数えきれない星々のなかに、たったひとつの星を探していた。

 はじめて見る、新しい星を。





 星々の光の届かないカラマンダリン山脈の奥深く、魔神回廊のはてに、かがり火が、あかあかと燃えていた。

 ドワーフ族の残した大神殿の祈りの間で、レンジは膝をついてその火を見つめていた。祭壇の前で燃えているかがり火は、3体目の魔神アタランティアの最期の姿だった。


 ギムレットが足を引きずりながら、レンジのそばに来て、肩を抱いた。


「ギムレット……」


 レンジは前を向いたまま、鼻をすすった。


「俺。じいちゃんが死んでから、ずっと冒険者を続けてきて……。弱っちくて、情けなくて、みんなに迷惑をかけて……。ギムレットにも迷惑をかけて。どうして俺こんなこと続けてるんだろうって、ずっと思ってた。才能ないってみんなに言われて。やめちまえって言われて。それでも、しがみついてさ……。なにやってんだ俺、って自分でも思って。ずっと思ってて。ギムレット。俺、俺さ。やっとわかったよ。自分でも知らなかった」


「レンジ……」


「俺、じいちゃんのかたきを取りたかったんだ」


 そうしてレンジは泣いた。

 ギムレットが、泣き続けるレンジを抱きしめた。


「まったく……。俺のセリフをとりやがって」


 そう言って、目尻を拭いながら笑った。



 総勢43名で構成されていた聖白火騎士団は、今や半分になっていた。魔神回廊を最速最短、そして無傷で通るという、当初の目的は果たせなかった。

 空間転移装置を目前にして魔神アタランティアの待ち伏せにあい、死闘を繰り広げることになってしまったからだ。

 勝てたことが奇跡のような、恐ろしい敵だった。


 ようやく立ち上がったレンジが、騎士たちの集まっている場所に行くと、セトカやライムたちが、地面に仰向けに倒れている人間を囲んでいた。

 倒れていたのは魔神Aと戦った3班班長のグレイプだった。魔神の風魔法の直撃を受けて、全身が無残に切り裂かれていた。

 それでもまだ息があった。

 回復魔法を使える魔術師隊のメンバーは全員死んでしまっている。

 レンジは、「俺が回復魔法を」と言って近寄ろうとしたが、無言でバレンシアに止められた。


「助からないわ」


 ライムが静かに言った。


「応急手当をして、すぐに街に戻れば……」


 レンジはそう言ったが、ライムは首を振るだけだった。


「なにか、いい残すことはあるか」


 団長がグレイプの手を握り、そう訊ねた。

 グレイプは、「お先に。戦士の園で、いつか、また」と口を震わせて言った。


 団長はうなづくと、自らの剣をグレイプの胸元にあてた。


「やめろ! 勝ったのに。魔神に勝ったのに!」


 腕を伸ばそうとしたレンジを、バレンシアがなにも言わずに掴んで止めた。そして、レンジのローブの首元を、ライムがひねり上げて顔を近づける。


「無茶な強行軍を決めたのは私たち騎士団よ。5兆匹のスライムの群れが迫っている。何万、何十万人って人の命がかかっているから」


「だからって!」


「あなたより! ……子どものころからずっと、お互いの背中を預けて戦ってきた仲間なのよ。魔法使いなのに、回復魔法を使えない私が! 私が、あなたより……」


 ライムの目に涙が光った。


 魔神の死霊魔術に使われるのを防ぐため、仲間たちの死体を焼いたのはライムだったことを、レンジは思い出した。


「なにより、団長が、セトカが、どんな思いで……」


「よせよライム」


 バレンシアがライムの手をそっと抑えた。

 そして、「見んなよ」と言って、レンジの頭をひねって、そっぽを向かせた。

 剣が、体を貫く、鈍い音がした。


 そうして、セトカは助からない怪我を負った数人の仲間を、楽にしていった。


 レンジはその横顔を見て、震えた。

 自分よりも若いこの女性が、これまでどれほどの修羅場をくぐってきたのか。どんな生と死のはざまを見てきたのか……。

 それを思うと、苦楽を共にした仲間の命を火を消す彼女の、優し気で清廉な横顔は、むしろ壮絶であった。


 それらが終わって、最後に1班班長のトリファシアが仲間に肩を借りて前に進み出た。


「団長。私もここまでです」


 彼女は魔神Aの腐食性のブレスを左半身に浴びて、重傷を負っていた。顔は無事だったが、左手がボロボロになり、止むをえず根元から切断していた。

 左足も、動きそうになかった。


「そうか……。今までありがとう。ネーブルに戻って傷を癒すがいい」


「はい」


 そしてトリファシアは優しい顔でバレンシアに笑いかけた。


「じゃ、あとよろしくね」


 バレンシアは涙をこらえる仕草を見せ、「ああ」と言った。声が震えていた。


 そのやりとりを聞いて、レンジは驚いた。


「ちょ、ちょっと待った。なんで連れて行かないんだよ。こんな大怪我の人間を、ここからまた一人で魔神回廊戻らせるのか。なんだよそれ!」


「あのな、レンジ」


 バレンシアがレンジの肩に、大きな手を乗せた。


「転移装置を使って山脈の北側に出たあとも、ダンジョンは続くんだ。魔神みたいなやばいやつはいねえが、モンスターどもの強さは魔神回廊よりも上だ。アタシたちは急がなきゃならねえ。怪我人をかばいながらじゃ、行けねえんだよ」


「そうよぉ。ここから一人でもネーブルへ戻ったほうが、まだ安全よ」


「こ、こんな怪我でもかよ」


 レンジはトリファシアの全身を見て、絶句した。彼女はにっこりとレンジに微笑んだ。

 すると、ギムレットが手を挙げた。


「俺もここまでだ。一緒に戻ろう。手を貸すぜ」


 そう言って、トリファシアに肩を貸していた騎士と交替した。


「なあ、団長さん。レンジの野郎をよろしく頼むぜ。スケベで泣き虫だが、根はいいやつだ。こいつは、きっとでかいことをやるやつだと、俺は思ってたんだ。あんたたちの旅が、上手くいくように、祈ってるぜ」


 それからギムレットは、バレンシアに向き直った。


「副団長さん。あんたにさ。自分たちを魔神にぶつける気だろって言われて、カッとなっちまって、すまなかったな。あれはきっと俺の心の底が、透けて見えたんだと思うぜ。俺は、魔神を倒したいっていう自分の願望のために、結果的にあんたらを利用したんだ」


 それを聞いて、セトカは首を横に振った。


「ギムレット殿。あなたの魔神回廊での隠密行動作戦は完璧だった。罠にかけられたのは、私の落ち度だ。そして、魔神との戦いでも、あなたの経験と、奮闘がなければ、我々は勝てなかったに違いない。仲間を代表して感謝を申し上げる」


 そう言って、頭を下げた。

 ギムレットは、静かにうなづいた。そしてレンジに向かって言った。


「レンジ! もうごちゃごちゃ言わねえ。一発決めてこい!」


 レンジは様々な思いでぐちゃぐちゃになっていた頭を、思い切り振って、顔を上げた。


「ああ!」


 大きな声で言って、右手を挙げて見せた。


「そうとなったら、行くであります!」


 マーコットが、元気に飛び跳ねた。


「ははは」


 騎士たちがそれを見て笑っている。

 セトカも、バレンシアも、ライムも、レンジも、ギムレットも。


 かつて、神聖な儀式が行われていたであろう荘厳な祈りの間で、戦士たちの横顔を、巨大なかがり火が照らし出していた。



 ――第2章 魔神回廊攻略編・完

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