第72話 実家への凱旋
☆
ソフィアが私のところで働き始めて十日目。
私、アンナ、ソフィアの三人が乗った馬車は、一路北西を目指して街道を進んでいた。
「それにしても、こんなに早くあの書類の山が片づくとは思わなかったわ」
窓の外を流れる田園風景から視線を戻し、向かいに座るソフィアにそう言うと、彼女は表情を変えずにこう言った。
「レティシア様。片づいた訳ではありません……よ? 仕分けをして優先順位づけをしただけです」
彼女は今、アンナにアドバイスをもらいながら『柔らかい話し方』の訓練中だ。
まだまだぎこちないけれど、うちに来た当初に比べれば、大分柔らかい感じになってきた。
「優先順位をつけてくれただけで十分よ。ソフィアがいなかったら、今頃まだ書類の山を前に頭を抱えていたわ。こうして外に出られるのも、あなたが適切に書類を整理したくれたおかげよ」
「……ありがとうございます」
よく見なければ分からないくらいに、微かにはにかむソフィア。
この十日間で、彼女の喜びの感情が少しだけ汲み取れるようになってきた。
まだそれ以外はさっぱりだけど。
機嫌の良し悪しまで分かるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
そんな私とソフィアのやりとりを見てニマニマしていたアンナが、外の景色を見て「あっ」と声をあげた。
「オウルアイズ領に入りましたね」
彼女の言葉に、再び窓の外を見る私とソフィア。
広がる田畑と森、そして川の向こうに、オウルアイズ領の象徴である魔石鉱山、グリモール山地の峰々が見えた。
「なんだか、ずいぶん久しぶりに帰ってきた気分」
山を見て吐息を漏らした私に、アンナが頷く。
「実際、長いこと本領を空けちゃいましたしね」
「今回は三つの領地をまわらないといけないから、ゆっくりできないのは残念かも」
「お屋敷に着いたら、せめて美味しい紅茶を淹れさせて頂きますね」
「うん。楽しみにしてる」
そう言って笑いあう。
馬車はゴトゴトと進み、川にかかる橋が見えてきた。
橋を渡りきれば、領都オウルフォレストはもう目の前だ。
☆
王都を出発して三日目のその日、私たちは領地視察のためオウルアイズ領の実家に向かっていた。
それも馬車四台、護衛騎士十二名、使用人七名の大所帯でだ。
私の馬車を挟むように、お父さまの馬車、使用人用の馬車、それに荷運び用の幌馬車が、車列を作って街道を進む。
それぞれの馬車の左右には二名の護衛騎士。
さらに前後に二名ずつの騎士が騎乗して付き添っている。
前回、オウルアイズ領から王都に向かうときには、馬車も人数もこの半分の規模だった。
それが倍に増えているのには、ちゃんと理由がある。
今回の視察では約一ヶ月をかけて、私とお父さまが預かることになった新旧三つの領地をまわる。
そのため、衣服や細々としたものだけでなく、ある程度の人数の使用人と護衛を連れて行かなければならなくなった、という訳だ。
「みんな、元気にしてたかしら」
間もなく顔を見られるであろうオウルアイズの屋敷と工房のみんなを思い出しながら、ついそんな言葉が出る。
最初の視察地であるこの領地を、父は『オウルアイズ本領』と呼ぶことにしていた。
「新領があるのなら旧領では?」という兄たちに、父は「家門の歴史はこれからも続いていくのだから」と本領という呼び方にこだわった。
二対一だったのだけど、最終的に私がお父さまに賛成して『本領』に決まった。
どうやら私の一票は家族には二票分の価値があるらしい。
陛下からの呼び出しで王都に出ていたけれど、私が倒れたり、王城襲撃事件の裁判があったり、テオの治療で南部に行ったりで、父と私は結局五ヶ月近くも実家を空けてしまった。
この辺りで一度、本領の様子を見ておいた方が良いだろうということで、立ち寄ることになったのだ。
では二つ目の目的地は? というと、この本領から三日ほど西進する。
東グラシメント地方の『エインズワース伯爵領』。
つまり私が下賜された領地だ。
今は王家から派遣された代官の方がそのまま代理で見てくれているけれど、いつまでもそのままという訳にはいかない。
引き継ぎの目処をつけるためにも、早期に視察を行う必要があった。
そして最後の目的地が、父が下賜された西グラシメント地方、通称『オウルアイズ新領』である。
こちらも引き継ぎが必要であると同時に、領地の西端がブランディシュカ公国との国境線となっているため、国防の観点からも早期の視察が必要だった。
書類が山積みになっているからといって、いつまでもそのままにしておく訳にはいかなかった。
ちなみに、ここまでの旅程は概ね順調。
馬車は予定通りに進んでいる。
ではなぜ『概ね』かというと、出発の時に、例によってお父さまが私と同じ馬車に乗りたがって一悶着あったからだ。
ソフィアが『レティシア様と打合せをしながらの旅となりますので』と説得してくれたのだけれど、一人で馬車に乗るお父さまがあまりに哀愁を漂わせていたので、結局一日の半分は私もお父さまの馬車に乗って移動している。
どれだけ娘が好きなのか。
まったく世話が焼けるお父さまだ。
☆
そんなことを考えているうちに、馬車は橋を渡り、領都オウルフォレストに達する。
ふと、懐かしい街の方を見た私は––––
「え?」
がばっ、と窓に張りついた。
市門の手前にずらりと整列する騎士と兵士たち。
問題はその数だった。
「ちょっと! なんでみんな総出なの?!」
思わず叫ぶ。
ざっと見た限り、数百名はいる。
オウルアイズでこれだけの騎士と兵士が勢ぞろいするのを見るのは、初めてだ。
そんな私に、一緒に窓の外を見ていたアンナが「ふふっ」と笑った。
「旦那さまが陞爵されて、お嬢さまも伯爵になられましたから。今回の帰還に合わせて皆で超特急でお出迎えの準備をしたようですよ?」
「それにしてもやりすぎでしょう!」
唖然としながらよくよく見ると、彼らの背後にそびえ立つ市壁には、オウルアイズと私(エインズワース)の大旗が翻り、いくつもの横断幕がかかっている。
『祝・侯爵陞爵!』
『レティシア様、おめでとう!』
『歴史的快挙! エインズワース女伯爵様!!』
『銀髪の天使、我らが誇り!』
『可憐なる魔導の女神さまへ 〜 貴女の故郷、オウルフォレストより愛をこめて』
––––などなど。
「ちょっとおおおおお???!!!」
私は再び悲鳴をあげる。
「なんで領主のお父さまより私の方が多いのよ?!」
横断幕の数の比率がおかしい。
頭を抱える私に、今度はソフィアが冷静にこう言った。
「単純に、人気の差ですね」
「オウルフォレストは魔導具の街ですから、よけいにですよね」
追い討ちをかけるアンナ。
その時、窓の外から掛け声が聞こえてきた。
「両閣下にぃ、敬礼ぃーーっ!!」
ザッ ザッ!!
一糸乱れぬ動きで、銃と剣を捧げる騎士と兵士。
お父さまの部下だけあって、その規律と動作は圧巻だ。
私は馬車の中で居住まいを正すと、彼らに向かって帽子をとり、胸に当てた。
こちらを見つめる戦士たち。
その視線は、どこか温かい。
そうして車列は兵士たちの前を通り過ぎ、オウルフォレストの市門をくぐる。
「––––っ!!」
門を抜けると、人々のすさまじい歓声が私たちを出迎えた。
☆
まだ書誌は掲載されていないのですが、一二三書房さまが本作のページを作って下さいました!
よかったら見てみて下さい。
表紙が掲載される日が一番待ち遠しいのは、きっと私です(笑)
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