12話 私を包む海

翌日、オーナーは、あの言葉で私を傷つけたのではないかと心配していた。


でも、私の気持ちはやたら軽くすっきりしていた。

長年鬱積うっせきしていたものが、涙とともにあの岩にこぼれ落ちたのかもしれない。


琴子さんはひっぱたいた事を謝りながら、私のほっぺをスリスリする。


佑斗ひろとさんには.. さすがにちょっと顔を合わせるのは照れくさくて、オーナーと琴子さんを挟むように接するようにしてしまった。

今でもあの時、私の頭に触れていたやわらかい唇と吐息の感触がはっきりと残っていたから。



私は少しの間だけダイビングはお休みすることとなった。

体に溜まっている窒素を抜くためだという。



数日後、島裏の新しいダイビングポイント『荻浦おぎうら』をみんなで調査ダイビングすることになった。


まだ整備されていないゴロゴロとした石を渡って海に潜る。


そこには手つかずの自然な海が姿を現した。


エントリーして左に舵を取るとゴロタが徐々に深くなっていく。

その先に切り立った岩が姿を現す。

まだ人の手が付いていない色とりどりの元気なコーラル。

それらが光射すブルーの色にとても綺麗に映えていた。


岩にたむろう大きなコロダイや真鯛の群れ。

そして中腹にある楕円形の洞窟の中にはキンメモドキの群れがギュッと固まっている。


今まで、カメラ越しにしか見なかった景色がこんなにも色とりどりに広がりを見せていることに驚いた。


透明度30mの青い景色は、私の中に音の波紋を蘇らせる。


心に届く音波、それは『モーツアルトバイオリンソナタ304第二楽章』だった。


私を優しく包む海がそのまま演奏のイメージとして浮かんでくる。


こんな事は久しぶりだ。


そして、今、私は思う。

このイメージをそのまま音として表現したい!

バイオリンを弾きたいって。


カランカラン》 とオーナーの大きなベルの音。


『戻る』の合図に陸へと帰っていく。


****


「オーナー、ここ、春に開放するんですよね! 」

「うん。そうだよ。どうしたの? 」


「開放するとなると、ここの水中マップが必要ですよね。それ、私が作っていいですか? 」

「蒔ちゃんが? 」


「いいですよね? 」

「あ、ああ。いいよ。しかし、すごい意気込みだね」


私は、忘れていた気持ちを思い出させてくれた『荻浦』の水中マップを書き上げてみたくなった。

そして、それを『私がこの荻島ダイビングセンターにいた』という証明としよう。



その日、家に帰ると、私は自宅のスタジオにこもり夕ご飯を食べるのも忘れるほどバイオリンを弾いた。

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