第20話 直美(9)多恵への修復のための助言と逢瀬5―初体験ごっこ

11月5日(金)から2泊3日で帰省した。進とはもちろん事前に日にちを擦り合わせておいた。今日は上野さんと夕食の予定だ。何か急な相談事があるみたいだった。


相談は意外な内容だった。会食中に進からメールが入った。


[1133到着]


すぐに返信した。


[友人と食事中]


9時を過ぎたころに部屋に戻ってきた。彼女の相談に乗って少し疲れを感じていた。人の相談に乗るということは、まず自分自身でそれを受け止めなければならない。まして私は自分のことのように考えて、自分だったらどうするかを真剣になって、どうすればよいか、思うところを話してあげた。


主人が「人の相談に乗るときには相当な覚悟を持っての望まなければならない」といっていた。今その意味がようやく分かった。


一息ついたところで、進に内線電話を入れる。進にも聞いてもらいたいし、癒してもらいたい。


「今、戻ってきました。1205号室です。お菓子がありますので、いらっしゃいませんか?」


「すぐに行きます」


しばらくすると進がやってきた。すぐに中に入れる。久しぶりなので、お互いに気持ちが治まるまで抱き合う。私はそれから今日の相談の中味を聞いてもらった。


「この前お話してあなたの意見を聞いた友人のことなんだけど」


名前は出さなかったが、食事して会っていたのは上野さんだったと思ったに違いない。


「確かこの前、相手の気持ちを確かめた方がよいとか話していたね。それでどうなったの?」


「あれから、相手の気持ちを確かめたそうよ。それで浮気と本気の間で、それは二人ともそう思っていると確認できたそうよ。それで分からないように会い続けることにして、月に1回は会っていたそうです」


「それなら、今日わざわざ君に相談する必要もないだろうに」


「ところがそれがご主人にばれてしまったみたいで、ご主人が家出をしたそうなの。それでどうしたらよいかとの相談だった」


「ええ、やはり発覚した? 最悪の結末だな。覚悟の上の浮気だったのだろう。いまさらどうしたら良いのかはないだろう」


「彼女も後悔して動揺していたわ」


「もっと詳しく話してくれる?」


私は彼女の夫との出会いから、お見合い結婚、それから相手との密会、不倫の発覚と夫の手紙と離婚届を置いての家出など、これまでの経緯を話した。おそらくは幾分かは秋谷さんから聞いて知っていたことだったと思う。


「彼女は自分のしたことの重大さが初めて分かった。失ってからご主人の大切さが分かった。それで帰ってきてもらいたいけど、どうしたら良いかという相談だった」


「それでどう相談に乗ってあげた?」


「二人で会ってよく話をしたらどうかって。そして正直に会っていた人は高校の同級生で結婚を反対されて別れた人だと話すこと、けれども彼とは何もない、ただ、懐かしくて会っていただけだと主張すること、昔も今も男女の関係があったことは絶対に認めてはいけないと言っておいたわ」


「『覆水盆に戻らず』でご主人の決心は変わらないと思うけどな」


「それでもそれが糸口になると思うの。絶対になかったと信じられるか、信じられないかは、彼が彼女をどの程度好きだったか、愛していたかにかかっていると思うの。だって手紙には彼女に幸せになってほしいと書かれていたから、彼女を憎んでいたならそういうことは書かないはずだから」


「糸口というのはそういう意味か? もし僕が彼女の夫だったとして、今まで彼女を深く愛していたのなら、その絶対になかったという言葉に救いを見出すことができるかもしれないな。可能性は低いがゼロではないかもしれない」


「そう思う?」


「それに元彼とは昔も何もなかったということは重要なことだと思う。『男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる』劇作家オスカー・ワイルドの言葉だ。聞いたことはないか? 僕も妻は自分が初めてだったのがとても嬉しかったことを覚えている。それでもっと好きになった」


「初めてなんて本当に分かるの? 初めての時のことを思い出して繰り返せばよいだけのことよ」


「そんなに簡単なことか? 君はどうだったの? 今のご主人が初めてだったんじゃないのか?」 


「ご想像にまかせます」


「僕はそう思っているけど、ええっ、違うのか? そんなものなのか?」


「彼女をどのくらい好きかで判断は変わってくると思います。好きならそう信じたいでしょう」


「確かに、でも僕の場合は直観的にというか本能的に分かった・・・ような気がする。自信がなくなってきた。いや間違いなくそうだと思っているけど」


「そうね、彼女の場合もそのとき演技したことは普通に考えられるわ」


「それでご主人がその時そう思ったかどうか? ご主人の経験人数にも関係すると思うけど」


「ご主人は彼女が初めてだったみたい。彼女はそう言っていたわ」


「それなら、ご主人は彼女も初めてだったと思った可能性は高いかもしれないな。糸口はあるということかな」


「だから、そう忠告したのよ」


「うまく復縁できるといいけどな」


「二人のことは二人で解決するしかないから、できるだけ相談には乗ってあげたけど、私たちは決してあんなことになってはいけないと、つくづく思ったわ」


「怖気づいた?」


「いえ、私たちは分からないように万全を期しているから、大丈夫」


「ところで、今日の二人のこの後のことについてひとつ提案があるんだけど」


「言ってみて」


「さっき言っていただろう。『初めてなんて本当に分かるの? 初めての時のことを思い出して繰り返せばよいだけのことよ』って」


「ええ、そんなことは本人にしか分からないことだと思うわ」


「『初体験ごっこ』をしてみないか? 十年以上も前に戻って初めての時のことを繰り返してみてもらえないかな。僕もその時に戻って君を初めて愛してみたいから」


「すごく良いことだと思う。私たちの原点に戻れるような、置き忘れてきたものを取り戻すことができるような気がするわ」


「じゃあ、二人がホテルの部屋に着いた時から始めてみないか?」


◆ ◆ ◆ 

私は彼の胸に顔をうずめて眠っていた。少し前までしがみついて泣いていた。声は出さなかったが確かに泣いていた。涙が自然とこぼれてしまった。しがみついていた手からはもう力が抜けている。私は本当に初体験をしたような気持ちになっていた。


「初体験ごっこ」の始まりからここまでをもう一度思い返してみている。彼はあのころの自分に戻っていたはずだ。正確には今の彼があのころに戻っていたというべきだろう。あのころならきっとできなかったことを今はしてくれたのだから。


部屋に入るとすぐに後ろから私を抱き締めた。私はこうなることは分かっていたけど、身体を硬くした。じっとして動かないでいると、ゆっくり向きをかえさせた。私は目を閉じて少し上向き加減になってキスを待っていた。彼の唇がとても柔らかだった。


二人はベッドに腰かけた。その時初めて私は彼をしっかり見つめた。そして私の決心を知ってもらいたくて力一杯抱きついた。彼は再びキスをして私の着ているものをゆっくり脱がせていった。その間も私は身体を硬くしたままだった。


彼の唇と舌が耳や首をなぞっていった。乳首が口に含まれた時、声が漏れて身体がピクンとなった。その時から気持ちよくなって身体の力が少しずつ抜けていった。


二人がひとつになろうとしたとき、私はまた身体を硬くした。「力を抜いて」と耳元でささやく声が聞こえたが、力を入れたままだった。そのあとも身体から力を抜くことはできなかった。


だからなおさらうまくいかなかったのだろう。ずっと顔をしかめて耐えていたので、彼は私の手を握ってくれたのだろう。私はその手を強く握り返した。何を思ったのだろう。彼は途中で止めた。これ以上は無理だと思ったからだろうか?


進の身体が離れると、私はすぐにまた強く抱きついた。彼もしっかり抱き締め返してくれた。


夫の勉に初めて抱かれたときとは違っていた。同じと思える部分と違うと思う部分が入り混じっていた。ひとそれぞれなのは当たり前だ。


◆ ◆ ◆

私は今の夫が初めてではなかった。夫とのお見合いの話があった1年ほど前、私は航空会社の営業の人としばらく付き合っていたことがあった。私より5歳ほど年上の素敵な人だった。私はそのころ未経験でそのことにこだわっていた。経験してみたいとの望みはあったのだけど、進とは今までのままだったし、なかなかその機会がなかった。


そのうち二人で飲む機会があって、少し酔った私は彼と一夜を共にした。彼はそんなことにとても慣れていて、私をうまく導いてくれた。あの時、痛みもあったが、こんなことなんだと思った。それでつきものが落ちたように、そのこだわりから解き放された。


その後、彼は私から遠ざかるようになり、自然と別れてしまった。彼は私の身体が目的で近づいてきたのかもしれないと思ってしばらく落ち込んでいた。やはり好きな人とすべきだとその時思った。


◆ ◆ ◆

私は誰かの胸の中で目覚めた。それがようやく進の胸と分かるのにしばらく時間がかかった。目覚めた時、息苦しくて蠢いたような気がする。


進の匂いがする。夫の勉とはまた違った匂いだ。私はどちらの匂いも心地よくて好きだ。私が動いたので、進も目を覚ました。


私は顔を上げると目の前の彼を見つめた。彼は優しく微笑んでおでこに口づけをしてくれた。窓の外が薄明るくなっていた。午前6時だった。


「ありがとう。とても嬉しかった」


「こちらこそ、ありがとう」


「うまくできましたか? よく分からなくて」


「ああ、できたよ、でも最後まではいけなかった」


「僕は君は初めてだと思った。今もそのとおりの言葉だったから」


「そう思ってくれて嬉しいわ。あなたとだからうまくできたのだと思います。そういう思いというか、そういう願望があったからかしら。ほかの人だったらきっとこうはできなかったと思います」


「その時の二人の相手を思う気持ち次第ということか?」


それから私はまた彼に抱かれて眠ってしまった。その時勉は今どうしているだろうと思ったのはなぜだろう?

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