第18話 多恵(6)夫の誠との見合い結婚

夫の誠とは見合い結婚だった。私は看護学科を卒業して公立病院に勤務して4年たっていた。看護師になってからは仕事を覚えるのに忙しくて、秋谷幸雄との別れの思いも次第に薄れていった。


25歳を過ぎたころから両親から見合いを勧められるようになった。婿養子を見据えて、相手は次男に限られていた。


両親とは幸雄とのことでしこりが残っていた。両親へのその反発もあって、それでどうしてもといわれてお見合いしても、何かしら理由をつけてお断りしていた。まあ、先方に惹かれるところがなかったこともあると思う。


3人目にお見合いしたのが、中森なかもり まことだった。彼は同い年で地方公務員だった。高校は違っていたが大学は同じで文系を卒業していた。もちろん次男だった。


彼はお見合いの席で私を見て終始ニコニコしていた。席を替えて二人で話し始めると彼は私が病院で看護したことのある人だと分かった。確かにどこかで会ったことがあるような気がしていた。


「僕が昨年急性腸炎で入院した時にお世話になった看護師さんですね。僕はそのとき胸のネームプレートで上野という名前を憶えていました」


「そういえば、いらっしゃいましたね。急性腸炎で入院された方が。確か感染性ではなかったと思いますが、そうですか?」


「そうです。感染性はないと女医の先生から言われました」


「覚えています。5~6日で退院されましたね。入院したときはしょっちゅうトイレにいかれて大変そうでした。そのうち良くなるとお腹がすいたお腹がすいたばかり言っていましたね。本当に感染性でなくてよかったですね」


「最初はO157かノロウイルスかと心配でしたが、安心しました。内視鏡検査を受けましたが、がんの疑いもありませんでした。あれから暴飲暴食には気をつけています」


「それで、今回のお見合いの話があったときに、上野多恵さんの履歴書を見て思い出しました。これは運命の出会いに違いにないと思いました。僕はあのときあなたに一目ぼれをしていました。差し支えなければ、是非、僕と交際してみてください。お願いします」


私はそのとき運命の出会いとは思わなかったが、誠実そうな彼からそういわれて悪い気はしなかった。それでお付き合いを始めることになった。


お付き合いして分かった。やはり彼は私にはいつも誠実だった。また、私を大切にしてくれた。それで何回か会ううちにこの人とならと思えるようになった。


ただ、彼は女性に不慣れでぎこちなかった。だからお見合いをして私と巡り合ったのだと思った。でも彼は私が好きだから結婚してほしいと言ってくれた。それにそのためなら婿養子になっても良いとまで言ってくれた。


私の家に来て父親と会ったときに、私と結婚したいから婿養子になってもよいと話した。両親は彼の学歴と勤め先が気に入っていたが、婿養子になってもよいと言ってくれたことから、彼との結婚を勧めた。


それで私たちは4か月後に婚約して、9か月後に結婚した。新婚旅行は私の行きたいところでいいと言ってくれたので、沖縄へ4泊5日で出かけた。海外でもと言ってくれたが、二人で落ち着いて過ごせるから言葉の不自由もない国内旅行にしたかった。


結婚式と披露宴を終えて新婚初夜は駅前のホテルで迎えることになった。それまで誠は私を抱きしめてキスをしたことはあったが、それ以上はなかった。彼はそういうことにはまったく不慣れだったし、結婚までは私を大切にしてくれたのだと思う。


それに二人は自宅から通勤していたし、お互いの部屋を行き来することはなかなかできなかった。お互いの家へ挨拶に行き来したときに案内されて彼の部屋に入ったことが1回あったくらいだった。まして彼の部屋や私の部屋に二人で泊まることなどできるはずもなかった。


私はそれを期待していた訳ではなかった。それより結婚まで私を大切にしてくれていると嬉しかった。


彼はどことなくぎこちなくて女性経験がないのはすぐに分かった。とはいっても私も幸雄と1回だけ、それもほんの短い時間だったから、ほとんど彼と変わらなかったはずだった。でも気持ちのゆとりはどういうわけかあった。


彼はそれでも彼なりに私にできるだけ優しく接してくれた。でも肝心の時になって彼のものが役に立たなくなってしまった。緊張しすぎたせいかもしれない。それでも彼はなんとかしようと一生懸命だった。私は何も言わないで横になってすべてを任せていた。


それまでにどれくらいの時間がかかったのか分からない。ほんの短い時間だったかもしれないし、かなり時間がかったのかもしれない。


ようやく二人が一つになったと思ったとき、やはり痛みがあった。あの時と同じ痛みが走ったと同時に彼はいってしまった。あっけなかった。それでほっとした思いもあった。


「ありがとう。二人とも初めてだとうまくできないものだね。大丈夫?」


はにかみながら言った彼の言葉を覚えている。いい人なんだなと思った。私はゆっくり頷いて答えた。


それから彼は私を宝物のように大切に抱いて寝てくれた。この時初めてこの人と結婚して本当によかったと思った。


旅行先でも彼は毎晩私を愛してくれた。彼なりに一生懸命だったと思う。それに私も応えた。痛みは残っていたが徐々に慣れてきて彼の望みにもすこしずつ応えられるようになっていった。


新婚の最初のころは私の実家の近くの新築アパートを借りて二人で住んでいた。婚約してから両親は実家の敷地の中に二世帯住宅を建て始めていた。


アパートを借りて二人で住んでいた時が二人にとって一番良い時だったかもしれない。結婚したてのころは、夜勤の時以外はほとんど毎晩愛し合った。だんだんお互いに身体がなじんでいくことが嬉しかった。お互いに満たされていて、あの頃が一番幸せだったと思う。


だんだんにそれが当たり前になると愛し合うことへの興味も薄れて行った。二世帯住宅ができてそこへ移り住んだときに、避妊を止めた。すると私はすぐに諭を妊娠した。長男が生まれた時、両親の喜びようはなかった。私は親孝行ができてよかったと思った。誠も勤めを果たしたように誇らしげだったのを覚えている。


私は産休があけると病院勤務に戻った。諭は母に預けて面倒を見てもらった。非番の日は私が面倒を見た。夜勤でないときは、夜は私が面倒を見たが、私が疲れているだろうと誠も手伝ってくれた。私はそれが当たり前のことだと思っていた。


諭を妊娠している間も、諭が生まれてからも育児に手がかかったのと勤めがあったので、誠と離れて寝ることが多くなり、肌を触れ合うことも少なくなってしまった。私はもともとあまりHが好きではなかった。快感は得られているが、感じ方もほどほどだと思っていた。


両親は諭に入れ込んでいたので、育児や教育について父親の誠が口をはさむことも少なくなっていった。誠はもう自分はここでは必要がないと思い始めていたに違いない。ただ、彼には仕事があった。だから仕事に打ち込むようになっていったように思う。特段趣味もない彼には仕事しか逃げこむところがなかったに違いない。


私は私で誠と疎遠に感じるようになって、ますます最初のころに見つけた彼の良さを徐々に見失っていった。隙間風が吹くというのはこういうことなのかもしれない。


そこへ別れた秋谷幸雄が現れた。彼への果たせなかった思いが瞬く間に誠への思いを凌駕していってしまった。


彼は私が幸雄と会っていることが分かって、私の気持ちが自分から離れていることを知って絶望したに違いない。最後の心のよりどころさえ失ったと思ったに違いない。その時の彼の気持ちが痛いほどよく分かる。ごめんなさい。


誠が私のもとを去って、彼がいつまでも私のことを思ってくれているという思い込みと思い上がりがあったことに初めて気づいた。私が彼のことを思っていないのに、彼が私のことを思ってくれるはずがない。親しく交わった二人の間でもそれはいえる。親しかったからなおさらいえることだ。


彼は私を好きだから結婚したいと言ってくれた。そして私と結婚するために婿養子になってくれた。幸雄は私よりも自分の志を選んだが、誠は私を選んでくれた。私は一番大切な人を失ってしまった。もうおそい。

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