第11話 多恵(3)密会1

高校の同窓会から2週間たった。同窓会に出るべきではなかったと後悔した。あれからずっと秋谷幸雄のことばかり考えていた。あの優しい愁いを含んだまなざしはあの時に駅で見せたものとちっとも変わっていなかった。


なぜ、別れの間際に「このまま一緒に東京へ来ないか? 必ず幸せにするから」といってくれたとき、思い切って彼についていかなかったのだろう。また、彼との別の人生があったに違いない。そう思うとますます思いが募ってきた。


彼が言っていた「東京へ来ないか案内してあげる」を思い出した。この募る思いをどうにかするためには、もう一度会ってみなければならない。それで自分の気持ちがはっきり分かると思った。


昼休みに同窓会で配られた名簿の電話番号にかけてみた。すぐに出てくれた。


「上野です。秋谷さん。元気にしている? 同窓会の幹事ありがとう。いろいろな人とお話できて楽しかったわ」


「ああ、上野さんとも久しぶりに話ができてよかった」


「あの時、東京へ遊びに来ないか、案内してあげると言ってくれましたね。近いうちに時間ができたら遊びに行きたいのだけど、ご都合はいかがですか?」


「東京へは来たことがあるの?」


「大学の4年生の時に学会があって教室から一度行ったことがありますが、発表を聞くのに忙しくて見物する時間がありませんでした」


「それならウィークディに来られないか? 土日や祝日はどこも結構混んでいるから。1日ぐらいなら休暇をとるよ。ここのところ休んでないから」


「それなら私の非番の日に合わせて出かけます。勤務日を調べて、こちらで日程をきめてもいいですか?」


「ああ、日程がきまったらメールで知らせてくれる。都合を連絡するから」


すぐに勤務予定を調べた。6月15日(火)16日(水)なら1泊2日で出かけられそうだった。夜勤が明けたら、そのまま駅に行って新幹線に乗ればお昼前には東京に着ける。その日の午後から東京見物をしてホテルに泊まって、次の日のお昼過ぎに東京を出てくれば、次の夜勤の開始時間には十分に間に合う。


タイトなスケジュールだから疲れるかも知れないけど、夫や息子にもあまり負担をかけないで済みそうだ。それで秋谷さんにメールで連絡を入れた。


[秋谷様 日程は6月15日(火)16日(水)の1泊2日の予定としたいのですが、いかがでしょうか? 私は15日(火)のお昼前には東京へ着けます。それで午後から半日ほど案内をお願いできますか? 16日(水)はお昼ごろに東京を出発する予定です。なお、宿泊場所はこちらで手配します。ご都合をお知らせ下さい]


ほどなく返信のメールが入った。


[上野様 日程了解しました。6月15日(火)は休暇の予定を入れて空けておきます。当日は12時に東京駅八重洲口の改札口で待ち合わせることでいかかでしょうか?]


すぐに[了解しました]とのメールを入れた。約束ができてほっとした。宿は駅のホテルにツインを予約した。


ツインを予約したのは二つの考えからだった。まず、家族には高校の親友で大阪に住んでいる田代直美さんと二人で東京見物に行くことにした。まさか結婚に反対された秋谷さんに会いに行くとはとても言えない。もうひとつはもし彼と一夜を共にすることになっても不都合がないようにと考えたからだった。


それから東京へいく理由として、同窓会で同級生の田代さんと再会して一緒にどこかに旅行に行こうとなって、彼女が結婚まえに東京に住んでいて久しぶりに行ってみたいと言ったからとした。


◆ ◆ ◆

6月15日(火)私は夜勤を終えて、その足で駅に向かい8時56分発「かがやき506」に乗り込んだ。東京には11時20分に到着した。


私は八重洲口の改札口を出たところで待っている。12時の待ち合わせだ。東京駅はとても広かった。それに出口がいくつもあって八重洲口にたどり着くまでにかなり時間がかかった。もう11時40分になっている。私はいつも旅行するときに使っている赤いスーツケースを引いていた。


11時45分に秋谷さんが駆け寄ってきたのが分かった。ニコニコ笑っている。


「早く着いたんだね」


「ええ、11時20分には着いたけど、駅が広くて、ここまでとても時間がかかりました」


「宿泊はどこにとったの?」


「この駅の中のホテルにツインルームをとりました。帰りが楽だから」


私はあえてツインルームを予約したと言ってみた。こういっておけば私の気持ちを分かってくれると思ったからだ。あとは彼次第だ。


「そうなら、まだチェックインには時間があると思うけど、とりあえずホテルのフロントで荷物を預かってもらったらどうだろう」


そういうと、彼はスーツケースを引いてくれてホテルのフロントへ向かった。荷物を預けている間に、彼は離れたところで電話をかけていた。


「チェックインは3時からで荷物は部屋に運んでおいてくれるそうです」


「これからどこへ行きたい?」


「おまかせします」


「これから、地下鉄で浅草へいって昼食を食べてから浅草寺をお参りして、それからスカイツリーに上るのはどうかな。それから銀座を歩いて、夕食をご馳走したい。銀座のホテルに夕食の予約をしておいたから。夕食をとってからホテルまで送る。半日なら2か所くらいが疲れなくて良いと思う」


「いろいろ考えてくれてありがとう」


私たちはもう昔のころに戻っていた。二人で手をつないでゆっくりと歩いた。こうして歩いていると18年間も離れていたとはとても思えなかった。あのとき、一緒に上京していたら、ずっとこうして歩いていたかもしれない。


浅草寺はニュースで見た印象よりもずいぶん空いていた。やはりウィークディにしたのは正解だった。人ごみに揉まれることもなく、のんびり見物できる。


浅草寺ではお線香を供えてからお参りをした。私は何も願い事をしなかった。ただ、無心で手を合わせていた。彼は私よりも長く手を合わせていた。何かお願いごとをしたのだろうか?


スカイツリーも空いていた。チケットもすぐに買えて最上階まで行くことができた。彼はここへきたのは2回目だと言っていた。東京が一望できた。東京はすごく広いところだと思った。あの時、彼と一緒に来ていたらどんな生活が待っていただろう。でもここでの生活が想像できなかった。


銀座へきたのは5時少し前だった。銀座の大通りを案内してもらった。デパートにも入ってみた。地元のデパートよりも洗練されたディスプレイだった。私は衣服に特にこだわりはないけど、せっかく来たのだからと気に入った夏のブラウスを買い求めた。彼は買い物にも付き合ってくれた。


買い物に気が済んだころ、近くのホテルのメインダイニングへ連れて行ってくれた。まだ窓の外は明るいが、見晴らしの良い窓際の席へ案内された。


「ここはご馳走させてくれ。もう料理も頼んであるから、ゆっくり食事を楽しもう。日が沈むと夜景もきれいだから」


「ありがとう。気を使わせて申し訳ありません」


「いや、せっかく来てくれたのだから、これくらいはさせてくれ」


ボーイさんがやって来て飲み物を聞いた。秋谷さんはワインでもどうかというので少しだけ飲むことにした。始めは白ワインをグラスで注文してくれた。


料理の途中では赤ワインをグラスで頼んでくれた。私は少し酔ってみたかった。デザートになるまでには2杯のワインを飲み干していた。


「東京の広さが分かったとき、スカイツリーで思い出していました。別れたあの時、駅であなたが言ってくれた言葉を」


「なんていっていたっけ」


「『このまま一緒に東京へ来ないか? 必ず幸せにするから』といってくれました」


「君が来ないと分かっていたけど言ってみたかった。それであきらめがついたから」


「ご免なさい」


「でも、一緒に来なくてよかったかもしれないと思っている。はじめは一人でも東京の生活は大変だった。二人で生活するのはもっと大変だったと思う。『落ち着いてから来てくれないか』というのが正解だった」


「でも、私はスカイツリーで東京の広さが分かった時、どういうわけか、あなたとのここでの生活を全く想像できませんでした。地元を離れられなかった訳も分かったような気がしました。私には勇気がなかったのです」


「勇気がなかったというのは違うと思う。君はあの時ご両親の老後や家のことや自分の仕事のことなどいろいろ考えて悩んだのだろう。そして決めたことだ。勇気がなかった訳ではない。地元に残ると決めることも勇気がいったはずだ」


「そうでしょうか?」


「俺は次男坊だから地元に就職して君の婿養子になろうかとも考えた。でもそれでは人生どん詰まりのような気がした。一流会社に就職して、できれば自分の力を試してみたい、そう思った。そして俺は安易に上京する道を選んだ。就職してから、仕事が大変だった時には、どうして地元に残らなかったのだろう、もっとよく考えるべきだったと後悔もした」


「あなたも悩んでいたのですね」


「今はもう吹っ切れている。あの時はベストのチョイスをしたと思うことにしている。あのとき地元に残っていたら、一生、東京に出て自分を試さなかったことを悔やんでいたと思う。だから後悔はしていない。これでよかったと思っている」


私は彼の今の心情がよく理解できた。私も今は同じような考えに至っていたからだ。


私は少し酔ったみたいだった。でもとても気持ちがよかった。ハイになっている、そういう感じだった。それでレストランを出るときには彼につかまって歩いていた。銀座のホテルからはタクシーで駅のホテルに向かった。


駅のホテルのフロントへいって、私はチェックインをした。名前は自分の氏名と彼の名前を書いておいた。


「少し酔ったみたいで、部屋まで送ってくれますか?」


「ああ、もちろん」


彼は部屋まで送ってくれた。私は酔ったふりをして部屋の中まで身体を支えてもらった。彼は私が誘っていることにはじめから気がついていたと思う。また、そう思わせるようにしてきた。部屋に入るとよろけたふりをして抱きついた。彼は私を抱き締めてキスをしてくれた。


私は無言で抱きついているだけだった。彼もまた無言だった。私は何と話しかけてよいのか分からなかった。彼とのことは気持ちの整理がとうの昔にできていたはずだった。でも別の私が彼に抱きついているようで気持ちが抑えられなかった。それからは頭の中が真っ白になっていった。彼も気持ちが抑えきれなかったのが分かった。


◆ ◆ ◆

私は彼の腕の中に抱かれている。ようやく気持ちが落ち着いてきていた。長い間抑圧していたものが取り除かれて解き放たれたたようで、清々しい気分だった。気持ちだけでなく身体も彼を求めていたのかもしれないとも思った。


彼は黙ったまま、私の髪をなでている。彼はあの時とはすっかり変わっていた。私の感じやすいところを探して丁寧にそこを愛してくれた。快感が身体中を駆け巡った。


あの時は二人とも初めてだった。だから彼もぎこちなくて快感などは少しもなかった。ただ、彼との思い出がつくれたという満足感だけがあった。


でも今は快感が身体中を走り抜けていった。そのあとには、ようやく彼と交わったという実感と満足感が残されていた。私はこれを求めて彼に会いに来たのだろうか?


「ごめんなさい。あなたを誘惑してしまって」


「いや、東京へ誘ったのは俺だから、そんな気にさせて悪かった」


「あなたへの気持ちはもうすっかり整理ができていたと思っていたのですが、あれから無性に会いたくなって来てしまいました。それから会うと、もう抱き締めてもらいたくなって気持ちが抑えきれませんでした」


「俺もそうだ。同窓会で再会して、もう一度抱き締めてみたくなったんだ」


「今わかったの。身体があなたを求めていたと。ああいう別れ方をしたかしら」


「俺もそういう衝動にかれられたんだ。これがきっと男女のさがというものなのだろう」


「男女のさが?」


「そう考えた方が納得行くし、後ろめたい気持ちにならないから」


「後ろめたい。そう、私たちは不倫をしてしまったのね」


「このことはお互いにパートナーには分からないようにしないとお互いの家庭を壊しかねない」


「私は友人と東京見物に来たことにしていますから、大丈夫だと思います。秋谷さんは大丈夫なの?」


「今日は泊りがけの出張が急に入ったと知らせているから、大丈夫だ。時々急な出張が入るから問題はない」


「じゃあ、今晩は泊まっていけるのね」


私はまた彼に抱きついた。どうしたんだろう。また、気持ちが抑えきれなくなっていた。


◆ ◆ ◆

翌朝、彼は通勤時間に合わせて、ホテルを出て行った。私は帰りの新幹線の時間に合わせてホテルをチェックアウトして、駅のデパートでお土産のお菓子など買って、帰途に就いた。


帰りの新幹線の中で昨夜のことを思い出していたが、何とも言えない充実感があった。こんな気持ちになったことはここしばらくなかった。そして少しの疲れも感じなかった。

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