第3話 異変
こ、こいつら……。
幼気な娘の耳に流れてくるのは、執拗にFACKを繰りかえして韻を踏む、野蛮な重低音。これはただのメロディアスなラップではない。紛れもなく暴力的なギャングスタラップ。まだ、娘は国民的アニメが好きだというのに……。
「おとうさん……。この歌……なんだかこわいよう……」
いかーん!
またしても、すももが怯えて縮こまっている。
ループする重低音に身を任せるように、彼らは完全にトランス状態。手に酒をもち、タバコを吸い、挙句の果てには、その辺にポイ捨てまでしているではないか。わたしたちのテントの前に、どんどん吸い殻がたまっていく。
ここで、わたしがこいつらに文句を言ったところで、口先だけ「すいませーん」とだけ返されるのがオチ。彼らの道徳心では、到底この迷惑行為を止めるとは思えない。
くそ! ここも諦めるしかないのか。
「すもも、せっかくここまできたけど、また場所移ろうか?」
「う、うん」と両耳を押さえて、うつむくすもも。
わたしたちには、このままテントを片付けて帰るという選択肢もある。だが、それは負けを意味した。このまま、陽キャどもに親子の素敵な思い出が穢されて終わるのだけは、どうしても避けなければならない。妻が亡くなってから、今まで慎ましく頑張ってきたのだ。こんな陽キャどもに、絶対に負けるわけにはいかないんだ……っ!
だが、この場を撤収して、ほどよい場所を見つけても困難は待ち受けた。
比較的大人しそうなWデートを楽しむ4人組の近くにテントを設置したのだが、なんと彼らは人目を憚らず、濃厚なディープキスをはじめた。
すももは、なんだかよくわからずに彼らの行為を瞬きせず、じいいっと見つめている。
「だ、だめだよ……。でも……キスだけなら……」
まて! こんな真っ昼間から、一体、その汗ばんだ手をどこに伸ばそうとしているんだ!
だめだ、そんなに激しく舌を絡ませるなんて!
「だめだって、小さな女の子がみてる……よ」
いかーん!!
こんな破廉恥なスキンシップは、まだ娘には早すぎる。こんな場所は撤収、撤収!
次の場所では、見るからにガラの悪そうな連中がたむろしていた。
「おとうさん、あのひとたち、からだに絵をかいてるの?」
「い、いや、アレはね……」
目にも鮮やかなタトゥーの数々。夜叉に金剛、いかつい神が川辺を睥睨する。無駄に鍛え上げられた肉体にシルバーチェーンを首からぶらさげて、自慢のタトゥーをこれみよがしに見せつけてくる。やつらは陽キャとは名ばかりの、完全なる反社。汚れた金で、この川に遊びにきたに違いない。吸っているのはタバコじゃない……よな。
だめだ、だめだ!!
こんなのも、娘にはまだ早い……というか、早くもないし、永久に近寄らせたくない。当然、ここも撤収だ!
BBQ、ヒップホップ、いちゃつき、反社――お次は、酒に酔った陽キャどもによる喧嘩。
てめえ、ぶっころしてやる!
んだと、ごるらあああああ――
「お、おとうさん……こわい」
乱れ飛ぶ血と、折れた前歯。自然を冒涜するかのように木々の緑に赤が混じる。だが、無法地帯と化した川辺にひろがるのは乱闘騒ぎだけはない。
「いっしょに俺たちと遊ぼうよお」自らテントを張りながら、見境なくナンパを繰り広げる陽キャたち。「お酒も浮き輪もいっぱいあるよお」
だ、だめだ……。
この川辺では、狂ったように生と性を謳歌する陽キャどもから、完全に逃げることは不可能だ……。
「おとうさん……」
すももは完全に涙目。
怯える娘をかろうじて繋ぎとめているのは、握りしめた皮付きさきイカだけだ。
わたしは悔しさのあまり、ぎゅっと目を閉じた。
わたしと娘には、静かで楽しい思い出すら作ることは許されないのか……。
こんなとき、アユが……いてくれたら……。
妻は、今のわたしの無様な姿をみて、どう思っているんだろうか……。
病室での妻と最後のやりとりを思い出す。
――姿は見えなくなっちゃうけど、いつも、あなたたちを見守ってるわ。
妻が亡くなった日は、空は号泣するようにどしゃ降りだった。
アユ……いったい、どうすれば……。
「ほっほっほっほ。お困りですな」
気が付けば、うなだれるわたしたちのすぐ隣に白髪のおじいさんがいた。背丈は小さく、真っ白な長い髭に、真っ白な六尺ふんどしのみという、なかなか強気ないで立ち。この人はこの人で、痛い……。
「あ、あなたは……?」
「昔は、ここも静かな川だったんじゃが……どうしたことじゃろうのう」
どうやら地元の住人らしい。
「ひどい有様じゃ」
「おじいさんもそう思いますか」
「あいつらがきてからかのう……」
「……どうして川にくる陽キャって、こうも傍若無人なんですかね。そこまでしてはしゃぎたいんでしょうか」
おじいさんは遠い目をした。
「静かな川が荒らされ、毒をまかれて、みな瘴気にやられてしまったのう」
「……毒?」
「ほっほっほ。まあ……開放的な夏休みがそうさせるのかのう。みな、やりたい盛りじゃからのう。わしも若い頃は似たようなもんじゃった。おうおう、あっちもこっちも今年は実りが大きいわい」
なんだか微妙に会話がかみあっていない気がした。
おじいさんは何かを察知したように目を細めた。
「へいとをためるんじゃ」
唐突に言われたこの一言。
「へいと?」
「ああ、そうじゃ」
「あ、あの……いったい、なんのことでしょうか」
「おぬしらならば、できるやもしれんのう」
「……なにが……ですか?」
ふたたび、おじいさんはこちらを無視して、川の上流をながめた。
「しゅくさいじゃ」
「しゅ……?」
「ほっほっほっほ。かわいい娘じゃのう。名をなんという?」
すももはじっとおじいさんを見つめたあと、
「しらない人に、なまえをいっちゃだめっておとうさんが」
「ほっほっほっほ。賢い子じゃ」
そう言い残すと、おじいさんはゆっくりと川に向かい、そのまま水泳選手顔負けの飛び込みをみせた。一瞬だけ、白い六尺ふんどしが、きらりと太陽の光に反射した。
ばしゃーんと大きな水飛沫があがると、同時に突風が起こる。
ざざざざざ――
木々が激しくざわめき、川辺に塵や木くずが飛び交う。
思わず顔面を両手で覆うと、耳元で誰かがささやいた。
――くるよ。
意味がわからず、目を開ける。
そのとき――
「うわああ! なんだこいつらは!」
遠くから、陽キャどもの叫び声が聞こえてきた。
「に、逃げろ――っ!!」
絶叫とともに漂ってきたのは――濃い錆びた鉄の匂い。
血だ。
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