第2話・猫付きの赤子

 侍女の用意した新しい毛布に包まれた赤子は、布に浸された白湯を躊躇いもなく吸っていた。かなりお腹が空いているのだろうが、こんな時間に乳の確保をすることもできず、とりあえずの空腹を誤魔化すだけだったが。


「この子は私が見ておきますから、マリス様は一先ずお休みになって下さいな。夜が明けたらお隣のルイス婦人に乳を分けて貰いに伺いますから」

「そう? 守護獣付きとなると、神父様ではなくお父様へ相談に行かないといけないわね……」


 これまでこの屋敷に置き去りにされた赤子達は、町の中央に建つ教会へと託し、隣接する孤児院で親を失った子達と共に面倒をみて貰っている。教会と院の両方を任されている神父のアレックス自身も魔力持ちだから、子供達の魔力を受け止めることができるのだ。


 だが、今日置いていかれたこの女児は守護獣を生み出してしまうほどの高魔力を保有している。万が一に力が暴走した時には神父の魔力では制御できないだろう。この町でそれが可能な力を持つのは、辺境の魔女の二つ名を持つマリスだけだ。


「じゃあ、警護兵の詰め所も本邸へ行くついでに私が立ち寄ることにするわ。リンダは子守りをお願いね」

「かしこまりました。おやすみなさいませ」


 赤子を抱いてあやしながら、元乳母でもあるリンダは小さく頭を下げる。辺境伯の三女であるマリス以来の子育てになるかと思うと、少しばかり心が躍った。


 ――お嬢様がお生まれになった時も、小さな猫が寄り添っている光景に、皆で驚いたものだわ。


 赤子が入っていた篭で、小さな三毛猫に寄り添って丸くなっている黒猫は、生まれたばかりのマリスのベビーベッドの中に突如現れた。乳母であったリンダが最初に見つけたのだが、真っ黒の毛玉が猫だと気付くまでしばらく時間がかかった。実際に守護獣を見たのは初めてだったのだ。


 その後、すぐに専門機関へと連絡が取られ、王都からはマリス専用の教育係として魔導師が呼び寄せられた。


 魔力制御のできない魔力持ちは国にとって脅威でしかない。しかるべき教育を受けさせ、正しく力を行使できるようになれば人財として生活の保障もされ、職にも困らなくなる。ただ、そうなる為の教育機関がまだ確立されておらず、国からの援助もない。一部の裕福な家庭に生まれ育った運の良い魔力持ちだけが恩恵を受けている状態だった。


「あなたは運が良いわね。この屋敷に連れて来てくれた両親に感謝なさいな」


 ゆらゆらと腕の中で揺らされて、静かに目を閉じて眠ってしまった赤子へと囁きかける。

 辺境の魔女として領内の結界の管理を担っているマリスは、週に数度アレックス神父を手伝って、教会内外の魔力持ちの子供の魔力指導もしている。この子へ魔術教育を施すには申し分ないだろう。


 ――でも、あの粗雑なお嬢様に子育てなんて出来るのかしらねぇ……。


 篭の中で寄り添い、まるで我が子のごとく子猫の世話を焼いている黒猫へと視線を送る。特にこちらは問題なさそうだ。

 赤子にも良い乳母が見つかると良いのだけれど、と乳飲み子のいる知り合いの顔を順に思い浮かべていく。


「それなら、私を雇っていただけないでしょうか?」


 夜が明けてすぐに、屋敷の隣に住むルイス家を訪ねたリンダは、メリッサから乳を分けて貰いながら、同じくらいの赤子がいる乳母を探すことになりそうだと、ほんの世間話のつもりで軽く口にしていた。

 ブロンドの髪を無造作に背後で一つに結わえたルイス夫人は、初対面の女児にも躊躇なく、その豊かな胸を差し出してくれていた。


「奉公先が隣のお屋敷なら、うちの子達も寂しい思いはしないでしょうし」

「それはそうかもしれないけど、上の三人もまだ小さいのではなくて?」


 ルイス家の子供達は生まれたばかりのギルバート以外は女児ばかりだ。一番上のミリーはもうすぐ10歳だからしっかりはしているかもしれないが、他の二人は6歳と3歳でまだ母親が恋しい年頃。だが、乳母になるということは、末子以外の子供達とは離れて暮らさなくてはならない。


「長女は一通りの家事は出来ますし、下の娘達も遠く離れる訳でもないので平気です。それに――」


 隣の部屋の方にちらりと視線を送る。夫が長男をあやしている声が小さく聞こえてくる。


「うちの人、念願の男の子が生まれたって調子に乗って飲んだ挙句、酔っぱらって橋から落ちて脚を痛めてしまって……当分は山に入れそうもないんです」


 ハァと諦めに似た溜息をつきながら、メリッサはもう片方の乳を赤子に加えさせ直す。息子よりも少し小さい女児はよっぽどお腹が空いていたらしく、新しい乳房にも勢いよく吸い付いていた。


 町に面した山脈での魔石の掘削を生業とする夫は、長男が生まれたと同時に職を失ったも同然だった。完治まではまだかかりそうで、長い休職期間で蓄えの大半が消えていくのは目に見えている。子供を4人も抱えてどうしたものかと思っていたところに、乳母の話が舞い込んできたのだ。メリッサからすれば、思いがけないチャンスだ。


「お願いします。乳の出だけは自信があるんです」


 見ず知らずの赤子に片乳を吸われながら、メリッサは目の前の椅子に座るリンダに頭を下げた。領主家の別邸に仕える侍女は、少し困惑の色を見せながらもにこりと笑い返す。


「私の一存では何とも決めかねますが、マリス様が戻られたら伺ってみますわね」


 気心の知れた隣人に来て貰えるのなら、リンダとしても願ったりだ。

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