第2話 岡山へ(2)

 ぼんやりと瞼の裏から光が刺してきて、優一郎はゆっくり瞼を動かした。真横からの光に思わず瞼をぎゅっと閉じる。しかしその灯りは暖かく、日光だとすぐにわかった。


「やぁ。起きたかい?」


 己に向けて問われた言葉のする方を振り向くと、征爾が障子を開けて立っていた。優一郎は冷静に自分の置かれた身を理解して、最低限聞かなければいけないことを口にする。

「……征爾さん……僕は、どのくらい気を失っていましたか………?」

「二日間だ」

 あまりにも現実的な数字に再び目が眩んだ。ふと頭に手を当てると布のようなものが巻かれている。気のせいか、頭に頭痛も残っているようだ。征爾は音を立てずに畳の上を歩いて、優一郎の横にあぐらを書いて座った。彼の着るスーツが畳と擦れる音を立てる。スーツを着ているということは、今日は学校にでも行っていたのだろうか?

「もう、がたがきてるんじゃないのか?」

 不意にそう聞いてくる征爾に対して、優一郎は俯いたまま語尾を濁す。

「…………僕はまだ……――」

「あー、わかってるわかってる。まだ倒れるわけにはいかないだろう? それは君の決まり文句だからね。君が倒れるたびに何度聞かされたか」

 征爾はやれやれと首を振った。

「そうはいっても、現実ってのはあるんだ。君の意思に関係なく今日は終わって明日はやってくる。そんなの当然のことだろう? 私は当然のことを聞いている。なにもおかしなことじゃない」

「………」

 さすが教師といったところだろうか?こちらが何かを言い返すまでもなく、言葉の連射を受け、返す気も失せた。

「単刀直入に言わせてもらう。君は一度検査を受けにいけ。そこで今の自分の状態をしろ。それが私からの指示だ。君にこれ以上無理をさせたら、私が小野内家の当主から何を言われるかわからないからな」

「検査って………。でも僕本当に何処も……――」

 僕は、検査は受けに行きたくない。受けに行ったら、征爾さんのいう通り現実を受け入れなくてはいけないし、それに僕は検査とか、そういう響きが嫌いなんだ。あの嫌な記憶が虫のように張って僕を襲ってくるから。

「だぁから、何度倒れれば気が済む? 何度私は君を看病したら気が済む? もういい加減、君のことを隠すのにも限界が来ているんだよ」

「限界………?」

 優一郎はふかふかの布団から上半身だけを起こして、征爾の顔を正面から見た。征爾は自分の着ているスーツを指さして云った。

「実は今日、御三家の会合が急遽開かれたんだ」

「御三家の……? なんで……」

「緑は、西の密偵だった」

 緑という名を聞いて優一郎は息を飲み込む。スッと喉に冷たい空気が入ってきて思わずむせた。

「み、緑って、言巴のことですか?」

「ああ。あいつは言巴なんて名前じゃなくて、“榊”の性をもってた。つまりあいつは榊家の一員だ。それも現当主の孫だってさ。全く、やられたよ」

「そんな………あいつが榊家の密偵だったなんて………」

 未だ状況をうまく読み込めず、言葉をなくす。友達とは言える中ではなかったけれど、身近にいた切磋琢磨できる仲間が、よりにもよって榊家の子だったなんて……。

「ショックだろうけど、本当にやばいのはここからだ。緑は、こっちで起きた事柄をつつなく全て向こうに流した。結果、会合が開かれることとなった」

 会合には、滅多に顔を出さない中家も顔を出したと征爾は云った。

「中家の現当主はおんとし七十六歳の婆さんで、榊家の当主は七十歳の爺さん。お付きの人はいたけれど基本当主同士で話し合う場だから、一番若い立場の私としては、話の通じない頑固やろうとの対話なんて苦痛でしかなかったよ。つっても、中家は相変わらず何も話に口は出さず、決定された事項に対して「それが決まったことならば」とだけ云って帰ってただけなんだけどね。全く、本当に何しにきたのか。何考えてるのは全くわからないお方だよ」

「そ、それで、決定したことって……」

 征爾は指を出して一つずつ折って数えた。


 一つ、今回目撃された“小さな女の子”とやらは、全国の陰陽師へ情報提供し、見つけたらすぐに祓いはせず、御三家へ連絡すること。

 二つ、ずっと野放しにされていた半妖の四人は榊家へ赴くこと

 三つ、四人の処遇についてはその際に決定するものとする


「以上だ」と征爾は腕を下ろして床に手をつく。

「……あいつらどうなるんですか………。榊家に行くって……」

「さあな。まあ、半妖になったのは半ば違法契約者みたいなもんだ。それ相応の処遇になると思うよ」

「でも、佰乃もハル坊も貴方の子供じゃ……――」

「それでも違法は違法だ。破ってはいけないことをしたんだ。私もそこまでは庇いきれない」

「あんた、自分の子供だろう。なんでそんな楽観的なんだよ」

 優一郎は語尾を少しあげて、右手で征爾の胸ぐらを掴んだ。別に佰乃やハル坊が自分に関係のないことだし、放っておけばいいのだけれども、どうも征爾の態度が気に入らない。征爾のその冷たい双眼を思いっきり睨みつける。

「あんた、親だろ! 自分の子供くらい、なんとかしてやれないのかよ! 親がそんなんだから、この世界には救えない子供達がたくさんいんだろ!」

「………――それは、君自身のことを言ってるのかい?」

「違うし! 何言ってんだよ! この若気取り親バカ変態教師が!」

 優一郎は言うだけ云って吐き捨てて、征爾を掴む手を乱暴に離した。征爾は伸びた襟元を正し、解けたネクタイを取ってポケットにしまう。そっぽを向いて拗ねるこの超身長イケメンが、少し可愛く見えるのは、やはり自分が変態なのだろうかと首を捻った。

 征爾は優一郎が小さい頃から彼を見てきている。彼が嘘をつくときはいつだって暴言を吐く。普段大人しい優等生のフリをしておきながら、中身は昔のままなのだ。征爾は自分にも言い聞かせるように優しく言った。

「……安心して。流石に榊家だろうと殺すなんてことはしないだろう。せめてペナルティーがつくぐらいだ。それに君も知ってるだろう? 榊家はそもそも、陰陽師となる子達を育てる機関だ。私たち東家が、全国に施されている結界や封印を見張る“防衛”機関と云うならば、榊家は、人材を育てる“育成”機関だよ。あ、勿論戦う時はみんな一緒だけどね?」

 優一郎は引き出される嫌な記憶を無理やり奥にしまう。望んで開けたいわけじゃない引き出しには触れない。

「――緑も、ひどいことするんだな。密偵なんて真似してさ。僕達を騙しててさぞかし楽しかったんだろうな」

 もうどうにでもなりやがれと吐き捨てるように優一郎は言う。しかし、征爾はそこの言葉を否定する。

「それが、案外そうでもないみたいだよ」

「は?」

 どこかで、ドタバタと何人かが走る音がして床からわずかに振動が伝わる。人の忙しない話し声も、障子の向こう側から優一郎の耳へ届いた。

「緑はここでの情報を全部榊家へ流した。でも、君のことだけは何も伝えてなかったみたいだよ。……つまり君が生きているということは、西の人たちは知らない」

「…………そんなこと、どうして」

「さあね」

 征爾はよっこいしょと立ち上がると、スーツの皺を伸ばして、軽くストレッチする。ぼきぼきと骨が音を鳴らすと、おじさんみたいにいてててと呟いたりもした。

「じゃあ、私は暫く戻ってこないから、花奏くんと二人でこっちのことは任せるよ。ああ、勿論六幻にもやることは話してあるから、君はそれを手伝ってやってくれ。流石に全ての業務を六幻一人に任せるわけにもいかないからね」

「ちょ、ちょっと待ってください。どこへ行くんですか?」

「どこって、愚問だよそれは」

 征爾は障子に手をかけて自分の通れる隙間だけ開けた。笑顔を優一郎に向けると、顔と同じぐらいの大きさの手を元気よく振って、障子を閉じた。

畳の匂いが広がる空間に残された優一郎はようやくリラックスして息が吸えるようになった気分だ。征爾さんといると、次から次へと新しい情報が入ってきて、自分の脳みそでは処理が追いつかないくらいパンパンになる。暫く、優一郎はじっとして、会話したことを整理した。やがて、大きくため息をつく。ぽふっと枕に頭を落とすと、再び吸い込まれるように眠りについた。


 なんで、緑は僕のことを榊家に話さなかったんだろう、なんて思いながら――――

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