第3話 二人(3)



 ドゴンッ!と、血全体を揺らすような地鳴りが四人の足元を襲った。立っていられなくなるほどの地響きに思わず手を地面につく。それでも、地面から全身に伝ってくる振動は脳天まで震えてくるほどのものであった。恐怖の念が知らず知らずのうちに這い上がってくる。


「あは、あははははははッ!」


 甲高い千乃の声が一帯を覆う。同時に佰乃は周りに、結界を貼る。これ以上の被害を広げるわけにはいかない。それに、この騒動が榊家にバレたら…………。

「ねえ、見てみて土地食い様ぁ!私、土地食い様と同じ世界見れるようになったよぉ!同じ世界に生きれるようになったんだよ!」

「同じって……あいつ何言って………」

「堕ちたんだ。しかも、完全にな」

「あれが、堕ちた………?」

 千乃を中心として黒い霧が空に円をかく。黒い霧は時折形づいて此方に敵意を向けた。千乃自身は両手を広げて満足そうに笑う。その姿はまるで悪魔に取り憑かれた人の形をした何者でもないもののように視えた。ニヤッと笑う口元から覗く八重歯は源郎のように鋭い。次の瞬間、千乃の手元に緑色の炎が浮かぶ。その炎をみて佰乃は瞬時に危機を悟った。

 緑色の炎は2級妖怪の証でもある。もう彼女は手遅れだ………完全に妖怪として堕ちてしまった。彼女を救うには、対象を妖怪と見做して、祓うしか………。

「ちょっと待て!」

 刹那、天人は叫んだ。佰乃はポケットから札を出そうとする手を止める。天人のギラギラと鋭い目が千乃を捉えていた。天人の瞳に映るのは、千乃の高らかに笑い叫ぶ姿ではなく、泣く姿。これが何秒何分先の未来かわからないけれども。

 こいつは、泣いているんだ。そんなやつを易々と祓うことなんかできるかよッ……!

「なぁ、土地食い。お前は本当に千乃の前から姿を消したかったのか?」

「……当たり前じゃろ。わしが消えないと彼女はいつまでもこっちの世界に居座る。そんなことあってはならないんだ」

「でも、あいつは苦しんでるんだ。お前が何か、忘れていることがあるんじゃないのか?千乃と過去にあった中で、あいつと何があった?あいつが何をしたかったのか、お前が一番よくわかっているはずだよ」

「そんなこと、わしもとっくの党に理解している!」

「じゃあなんであいつの意思を無碍にするようなことを……――」

「それでは、ノイが報われないじゃろが‼︎」

 姿形は小さいけど、彼の声は遠く離れた場所にいる佰乃と舞子の耳にも届いた。きっと千乃にさえも。

「わしが彼女の言うことを受け入れたところで、ノイはどうなる⁈ノイはこちらの世界に来て、正しいと言うのか?違う。あやつは逃げているだけだ。現実から目を背けて楽な道へ進もうとしているだけなんだ‼︎」

 ポケットの中の土地食いの姿を囲うように光り出した。天人のポケットから体が飛び出て、突男に並ぶほどの光が次第に落ち着いていく。そして光の向こう側からすたがを覗かせたのは、青年の姿をした一人の妖怪だ。長い黒髪を下ろし、手で丁寧に前髪を片耳にかける。着ている着物は無難なものだが、一眼見て偉大な妖怪であると直感が言った。

「土地食い様ぁ!」と千乃は目を輝かせる。

「私、ずっとずっと土地食い様に会いたかったの!次会った時は、土地食い様の隣に居られるような人になろうって思ってたの。ねぇ、どお?私、これから土地食い様の隣に居られる?いてもいいよねぇ?」

 一歩ずつ千乃は前へ進んだ。構える突男の肩を叩いて、土地食いは自ら前に進む。手に持った杖はいつのまにか立派な錫杖に姿を変えている。

「ノイ………すまない。わしがお前にきちんと返事しなければならなかったのにそれを怠ったせいだ」

「なんで謝るの?土地食い様は悪くないよ。だって、私今すっごく幸せだもん!」

 何かの後悔を背負っているようなその背中。天人は痛む頭の前頭葉を抱えながら、だめだとつぶやいた。

 ダメだ………だめだ、土地食い。それをしたら、お前も千乃も報われない………。

 数秒後の世界を視る。それが天人のできる一種の力というのならば、それは未来をかえることも知ることもできるということである。一昨日の後遺症か、すぐに頭痛が走るのが忌々しく天人の心を蝕む。

「ちょっとさァ、これどういう状況?」

 地を這ってそばに寄ってきたハルの腕を天人は全力で掴む。

「ハル………あいつを止めてくれ。あの野郎、千乃の記憶を消すつもりだ………。今までと同じように消すつもりなんだ。それじゃ、ダメだ。何も変わらない………」

 じっと天人の瞳を見つめる。

「………天人がそういうなら、そうするよ」

 刹那、風のように―――地面を蹴って飛び出したハルは、あと数歩のところで近づく土地食いと千乃の間に入る。千乃は目を丸くして立ち止まった。土地喰いは喉の奥を唸らせて言う。

「……そこをどけ、小僧」

「嫌だ。どかない」

「どけといっているのがわからぬのか」

「い、や、だ」

 パアンと土地食いはハルの頬を平手打ちした。舞子は思わず口元に手を当てた。誰もが、ハルはやり返すと思った。しかし、ハルはゆっくり顔を正面に向けて表情を変えずに土地食いを見る。


「……気ぃ、すんだ?」


「小僧………ッ」

「殴って気が済むなら、殴れば?まあ、ハルはそんなものに屈しないし、現実から逃げたりしないけど」

「このわしが逃げてるとでも言いたいんか?」

「逃げてるでしょ。どう考えても」

千乃は何か言いたそうに何度も口を開くが、不思議と目の前にいる青年の背中を目にして、何も言えなくなった。

聞きたい。

土地食い様が何を考えているのか、聞きたい。と


「これはさァ、土地食いだけに関したことじゃないんだけどさァ、みんな逃げてるよ、現実から。真実を知るのが怖い。現実を見たくない、このままでいいって、自分の殻の中に閉じこもって、そうやって自分を守って生きてる。でもさぁ、それって本当に自分の為なの?現実から目を背けることが、正しいって胸を張って言えることなの?違うでしょ。一番怖いのは、自分が無知なことだよ」


 ハルはトンッと土地食いの胸に指を当てた。


「何も知らないことが、怖い。何も知らずに誰かのことを悪くいったり、言ってた自分が恥ずかしい。生き物ってそういうもんじゃないの?ハルは、無知なこと以上に怖いことなんて思い付かないね」


 誰かを守るためにも、真実から目を背けることは許されない。

 殺すことが許されるのは、死ぬ覚悟ができている奴だけだ。

 それと同様に、


「記憶を消すことが許されるのは、その後の全てを追う責任のある奴だけだ………。そう、思うけどね」


 スッと土地食いの肩の荷が降りたように、顔から迷いの念が消される。

 そうか、わしは迷っていたのか……。ノイの記憶を再び消すことによって、彼女の中から己の存在が本当に消えてしまうことに関して迷っていたのか。だから、こんな小僧の戯言で心が揺れ、浄化される。

 そうか、わしはとっくのとうに気がついていたのか…………。こんな小僧に指摘されるとは、己も劣ったものよ。

 土地食いは微笑んで、ハルの横を通り過ぎて千乃を優しく抱きしめた。千乃の体へと、土地食いの暖かい光が伝達する。

「…とち、ぐい様…………?」

「すまぬ………。今まで、何度も何度もお前を騙してきた。記憶を消してきた。それでもお前は毎年思い出してわしの元にやってきた。それが、何を意味するか、わしは気がついてやれんかった………すまぬ」

「や、やだよぉ。謝らないで、土地食い様。私は、今の私にわりかし満足してるんだよぉ。どう?私、立派になったでしょう?……ねえ、土地食い様。泣かないで?なんで、泣くの………?」

 ポタポタと土地食いの大きな瞳からは、光に反射して煌めきを放つ水滴が落ちる。

「すまぬ…………わしのせいじゃ…………。すまぬ………」

「土地食い様………?」

 だから、と土地食いが言った瞬間、今までの何倍もの風圧が結界内を襲った。

「何をする気だよっ!土地食い!」

 天人の方へ向けて土地食いは千乃の頭を優しく抱えながら微笑んだ。


「己の落とし前は、己でつける」

「土地食いッ!」

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