第28話

 僕は思わずお兄さんの目の前にある机を叩いてしまった。

 だけど、湧き上がってきた怒りが治まることはない。


「自己犠牲ですらない、お兄さんのやっていることは単に双方が納得もしないその場しのぎの罪滅ぼしでしかないんだ! 会う資格がないって話じゃなくて、フィアに悪いって話でもなくて……ただ、フィアに向き合うことが怖くて逃げているだけだ!」


 本当に罪を意識してフィアに悪いって思っているなら、本人に謝ってどうすればいいか相談すればいい。

 だけど、お兄さんはそれをしなかった……会わないことが自分にできる罰なんだと、「会う資格がない」っていう言い訳で正当化しているだけ。お兄さんも、フィアも納得も晴れることもできない最低な方法だ。

 これが「逃げてる」って言わないで、なんて言うのか?


「何が「幸せにしてやれ」だ! あの時は流されちゃって「うん」って言っちゃったけど、そもそもフィアの幸せを阻害しているのはお兄さんじゃないか!」

「そんなことは……!」

「フィアは会いたいって言ってた! 恨んでなんかない、後悔だってしてなんかない。ただ一回会ってお礼とかちゃんとした別れがしたいって言ってただけんだ! 会う資格とか家に戻りたいとかフィアは求めてなくて……ただ、大好きなお兄さんと会うことしか望んでない! それが阻害じゃないっていうんだったら、一体なんだっていうんだ!?」


 それが彼女が第二の人生を歩む上で悩んでいること。

 大きな心残りだけが、未だに彼女を苦しめている。


「お前に何が分かる!?」


 淡々としたさっきの口調から変わって、お兄さんも同じように声を荒上げた。


「俺だって会えるもんなら会いたいさ! それでも、俺がしてきたことは消えない! 会ったところで、フィアは傷つく!」

「そういうセリフは会ってから言えよ! 会ってもないのに、彼女の不幸を勝手に決めつけるな!」

「だが───」

「だがもクソもない! それは結局、怖くて逃げている自分を誤魔化す言い訳なんだよ!」

「ッ!?」

「本当にフィアの幸せを願っているなら───」


 僕はお兄さんの胸倉を思いっきり掴み上げる。

 そして、揺らいでいるフィアと同じアメジスト色の双眸を睨んだ。


「あんたが、僕よりまず先にフィアを……妹を幸せにしてみせろよッッッ!!!」


 室内に静寂が響き渡る。

 僕の怒鳴り声は反芻こそしたけど、余韻だけ残してそのまま消え去ってしまった。

 そして、数分っていうしばらくが経ち───


「……そうか、俺は逃げてるだけか」


 ポツリ、と。お兄さんはそう溢した。


「逆に、そうじゃなかったらなんだって言いたいんですけど」


 どうやら、ようやく自分の罪に気が付いてくれた。その言葉を聞いただけで、頑固に「会わない」って言っていた気持ちが消えたのだと窺える。

 よかったと思いたいのは山々だけど、込み上がっていた怒りが中々治まらない。出てくる言葉が、自分で言うのもなんだけど結構トゲトゲしかった。


「確かにな。とはいえ、俺じゃ気が付かなかった……これが、懺悔というやつか?」

「そうじゃないですかね」

「お前が言ったんだろうに」


 僕は掴んでいた胸倉を離す。

 今思えば、貴族相手に胸倉を掴んで捕まらないだろうか? 少し心配になってきた。


「不敬罪にしねぇから安心しろ。この場には俺とアレンしかいねぇからな」


 僕の心の中を見透かしたかのように、お兄さんは胸元を直しながら言った。

 それを聞いてかなりホッとしてしまった。


「……にしても、俺より年下の男に説教されるとは思ってなかったよ。なんか新鮮な気分だ」

「僕だって、お兄さんがフィアとちゃんとしてくれていたら新鮮な気分を味合わなくて済みましたよ」

「ははっ! 違ぇねぇ!」


 お兄さんは愉快そうに笑う。

 先程の陰った顔はなくなり、まるで憑き物が取れたかのような清々しさだった。


「俺は、家族からフィアに会うなと厳命されている」

「知りませんよ、そんなの。お兄さんが勇気振り絞ってコソコソしてください」

「ひでぇな、おい!?」

「そう言いますけど、この前実際に教会まで来たじゃないですか。その要領でどうにかフィアに会ってください」


 一度できているなら、あと何回も余裕だろう。

 単に陰から見守ってきたのを『直接会う』に変えるだけなのだから。

 こんな顔してまだ「会いたくない」なんてぬかしたらどつき回してやる。


「そうだな、会うか」


 お兄さんは立ち上がると、俺の肩を叩いた。


「ちょっと怖いが、あいつに向き合おうとは思えた。実際、まだ罪悪感を覚えていたってことは、俺も納得できてなかったってことなんだろうからな」

「…………」

「なんて言われるかは分かんない。俺のできる限り精一杯謝ってみる……俺がしてきた罪がどういう結果に落ち着くか知らないが、これでフィアが幸せな人生を送れるんだって信じてみるさ」


 清々しい顔をしたお兄さんはそのまま部屋の扉に向かって歩き出した。

 どうしようか? 僕はこのまま残った方がいいのだろうか?

 勢いで来てしまったからか、このあとの行動に悩んでしまう。まぁ、お兄さんが出ていったタイミングで大司教様のところへ戻るとしよう。

 だけど、お兄さんは振り返って小さく手招きをした。


「何ボーッと突っ立ってんだ? 早く来いよ」

「え?」

「俺を懺悔させたい人間が、ここで「はい、お終い」なんてするのか?」

「いや、それはしませんけど……」


 僕、これから大司教様のところに戻らなきゃいけないし。


「だったら行くぞ」

「はっ、ちょ!?」


 中々動かない僕に痺れを切らしたお兄さんは、僕の腕を強引に掴んで部屋の外へと向かっていってしまった。

 抵抗しようとしたけど、掴まれている腕の力が強くて振りほどけない。

 だから僕は成す術なく、お兄さんに連行される。


「あぁ……僕、大司教様に怒られる。これ、責任取ってもらわなきゃ。具体的にはあとで説明してくれるとか───」

「お忍びで会いに行くのに、あとで説明なんかしてやれるわけないだろ」

「酷いっ!?」


 ここでいきなり抜けて大聖堂へと戻ろうとするならば、大司教様に怒られることは必然。事情を察してくれたらいいけど、勝手に帰るのは流石にアウトだと言わざるを得ない。

 このままだと、きっと懺悔室で冷たい床と平たい石のセットのお出迎えされてしまう!


「自分でも、これは単に自己満足の贖罪じゃないかって分かってたんだ。フィアのためじゃなくて自分のために。分かっていたけど、どうしても前に踏み出せなかった」


 そんな僕の心配を無視して、腕を引っ張りながらお兄さんは言う。


「逃げているだけ、どうしようもない男だっていうのは変わらねぇ。けど、やっぱりフィアのことは好きだ。あいつの幸せは、どうしても望んでしまう」

「……だったら、早く行かないとですね」

「分かってるよ、急かさなくても。引っ叩かれた時用の医療器具でも用意しておかねぇとなぁ」


 そう言っているお兄さんの横顔は、どこか嬉し気であった。


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