【第一部完結】転生魔王の事件簿~元魔王の記憶を持って魔法も使い放題の私が旅をしながら事件に巻き込まれる話~

明山昇

第1話 私は駅弁を食べたいだけなんだ

1-1. 幽谷鳴斗の朝は辛い

[2019/6/4 8:30 栃木県安留賀あるが町 JTR(日本電車鉄道)安留賀あるが駅]


 ピー、ガシュン、ゴトゴトゴト。


 急いで階段を駆け上りホーム階へとやってきた若い男の目の前で無情にも扉は閉まり、巨大で長く連結された金属の塊は、上の電線を流れる電気を浴びて大地に敷かれたレールの上を、音を立てて走り出した。


 後には彼と、列車を見送る駅員のみ。否、駅員もすぐに引っ込んでしまったので、後には男しか残っていない。


 嗚呼。彼は嘆き、意気消沈しながらホームにある椅子に腰掛けた。彼のような立場に置かれた阿呆を椅子は快く迎えた。


 かに見えた瞬間、クチュッ、という異音が椅子から響いた。


 尻に違和感を覚えた男が立ち上がり、振り向いて椅子を見ると、噛んだガムが捨てられていた。もしやと思い彼は自分のズボンの尻を撫でると、手にもそのガムの感触が生じた。


 糞が。彼は心の中で毒づきながら、手元のティッシュを数枚取り出すと、それでズボンの臀部を吹いた。彼にとっては幸いな事に、それでズボンに付着した忌々しい合成物質は大人しくその白紙へと移住してくれた。


 ティッシュをホーム備え付けのゴミ箱へと投げ入れようと辺りを見回す。が、何もない。今どきの駅には珍しく自動販売機すら無い。渋々彼はバッグの中に、他のものには触れないように気を配りながらしまうと、別の椅子、今度は何も付いていないことを確認したそれに深く腰を降ろした。


 ついていない。彼は深く溜息を吐いた。彼はガムの話をしたいわけでは無い。うんの話だ。うんと言っても勿論下の話でもなく、運である。今日の彼は激烈な不運に見舞われていた。



 彼は思い返す。ケチが付き始めたのは、泊まったビジネスホテルの朝食が大変に不味かった事からだと。


 食事の品質というのは人により異なるものであるが、そのホテルのビュッフェの品に関しては大凡多くの人間が不味いという評価を下すであろうと彼は確信していた。実際、他の宿泊客の顔をチラと見た感じ殆どの人間がしか目面であった事から、彼の感性が独特であるという事は無いであろうと彼は考える。


 勿論、ケチって3000円で朝食付きという破格のホテルに泊まった自分にも否があろうとかも思う。値引きのクーポンも無しにこの値段なら裏があって然るべきであり、食えるだけマシだろうとも思う部分はある。しかし改めて考えても、値段の件を差し引いたとしても、やはり許せるものでは無かった。


 彼が許せなかったのはまず品数である。ビュッフェと聞いていたのに食事を配置するスペースがやけに狭い。その理由は明白で、品数が極端に少なかったのである。二十種類以上のおかずという触れ込みであったが、主食になりそうなものは切れ端の如く小さい焼き魚と、パリッともしない極めて微妙な品質のウインナーだけで、残り十八種類は全部サラダの具材であった。


 実に充実しているものだ、というのが彼の嫌味を増しに増した感想であった。


 彼は率直に言えば野菜は好きではない。多少は食べるが、率先して食べたいとは思わない。それに、野菜には疎い彼ですら一目で分かる程、そのビュッフェ改めサラダバーの品々には瑞々しさの欠片も無かった。他の二品も、まるで美味しそうに見えない。実際、席に戻って一口食べたら吐き気がする程不味かった。


 フロントに問い詰めてやろうかとも考えたが、此処で大声を出したところで意味は無い事も理解はしていた。彼は前述の二品と、辛うじて食えるレベルにパッサパサの白米と恐ろしく品質の悪い納豆の組み合わせで、なんとか腹を満たし、部屋に戻って荷物を整えるととっととホテルを後にした。二度と来るまいという強い決意の籠もった手で、スマホにホテル名をメモした。


 さて駅に向かおうとバスに乗ったところ、道が恐ろしく混んでいて、到着まで五分のはずが三十分も掛かったというのが次の災難である。彼は元より自由気ままな一人旅、多少の遅れは気にしないつもりであったが、そうだとしても素直に良い良いとは言えなかった。何故に此処まで遅れたのかを思わず運転手に問うたところ、何でも交通事故か何からしい。それにしては警察が多く、救急車も大量に出動していた。少なくとも普通の事故では無いように見えたが、バスの中からは窺い知る事は出来ない。降りて歩こうかとも思ったが、歩道も警官ばかりで通れそうにない。仕方なく彼はバスの中で待った。


 結局、朝八時にホテルを出て、すぐに駅に着くはずが、実際は八時半。事故に合った方には御愁傷様といったところであるが、何ともはや、大変な時間の浪費だと彼は嘆くばかりであった。



 そして今に至る。


 良い事が欠片も無い、彼は心の中でそう嘆きながら辺りを見渡す。せめて駅弁が欲しい。売り場は無いだろうか。しかし何も無い。


 彼は駅弁が好きであった。駅の中の食堂・レストランといった空間も好んでいたが、駅弁はそれらとは別の魅力を感じさせるものを持っていた。移動の時間、景色を楽しみながら舌鼓を打てる。移動時間で腹ごなしも出来る。駅ごと、季節ごとの特色があるし、そもそもの種類も多い。なかなか飽きない。旅には必需品と言って差し支えないのではないだろうか。生み出した人に感謝を申し上げたいとすら思っていた。


 だがこの、彼が今居る安留賀あるが駅には、先の通り何も無かった。ホームには全く、自販機すら無い。あるがと言っているくせに何も無いとはどういう事か、問い詰めてやりたい、彼の心中は穏やかでは無かった。ただでさえ朝からの積み重ねでストレスが溜まっているというのに、ここに来てこの殺風景である。綺麗な風景と言えば聞こえはいいが、ただ何もないだけというのは虚無であり、怒りの矛先が無い分むしろ彼にとっては害でしか無かった。


 と、彼はふと思い出した。慌ててこのホームへ上がってくる最中、そういえば売店らしきものがあった気がする、と。


 隣の伊都宮いとみや駅の広さ大きさ、売店一つ取ってもこの安留賀駅のそれとは大違いで、視界の隅にチラリと映った程度であったから今まで忘れていた。自動販売機も無い駅というのは昨今少ない。ホームにないというだけなのかもしれない。彼は一縷の望みを賭けてホームから改札階へと戻った。



 あった。


 こじんまりとした極めて小さいものであったが、申し訳程度の売店が其処にはあった。彼は喜び勇んで売店を眺める。


 何もない。


 いや勿論売り物はあるのだが、お土産のお菓子くらいで大したものがない。辛うじて見つけたのが、よくあるとんかつサンドイッチであった。有名な店のとんかつサンド、確かに外れはあり得ない。美味しい。美味しいし、それはもはや保証されていると言って良いだろうが、しかし少しだけつまらないという気持ちが彼の中には確かにあった。それでもそれ以外無いのだから仕方がない。背に腹は代えられない。彼はそれとコーヒーのペットボトルを購入し、バッグから先程のガムを包んだティッシュを取り出して自販機横に設置された各種ゴミ箱の「その他」へと投げ入れると、再び椅子しかないホームへと戻った。



 あんむと買ってきたサンドイッチの一切れを口にしながら、椅子の近くに立っている時刻表に目を通す。次の電車は一時間後。田舎の路線はどうにも本数が限られてしまう。一時間この何もないホームで過ごすのは、今でこそスマートフォン等が普及し、時間を潰す手段が増えているからなんとかなるとは言え、そうでない時期は苦痛でしか無かっただろう。


 彼は、口に溢れる冷蔵していたとは思えない程の瑞々しさと重厚さを誇るとんかつとそれをサンドする少し乾燥したパンに舌鼓を打ちながら、懐のスマートフォンを取り出した。


 今でこそこの最先端――というには普及しきってしまった感のある――機械を見ながらしみじみと思う。慣れとは恐ろしいものだ、と。彼も昔は「なんだこれ」と戸惑うばかりであったが、今では自由自在――と彼は自分では思っている――に使い熟す事が出来る。彼はニュースサイトを開いてまずは今朝のバスの遅延が何故であるかを調べてみる事にした。


「《大規模な交通事故、発端は不明》、か。不可思議な事件だ」


 誰も居ないホーム、何の気兼ねも無く彼は思った言葉をそのまま口にして、不可思議という言葉を紡いだ事に気づき、思わず自嘲した。不可思議。最近この言葉を発する事も少なくなったな、と。彼は以前、不可思議な事が日常の世界にあり、常々その単語を使用していたが、昨今はとんと使う機会が無かった。スマートフォンの件も含め、どうやら私も今の生活に適合出来ているようだ、彼はそんな事を思いながらネットサーフィンを続けた。


 結局原因は分からなかった。ニュースに付随する、コメントという名の愚痴と罵詈雑言の坩堝に目を通したが、やはり有益と思える情報は無かった。交通事故では無く殺人事件であるとか、そこから飛躍したのか、とある集団による無差別殺人であるという根も葉も無い噂すら書かれていた。勿論ソースとなるような情報源は無い。全く参考にならない。だろうね、と嘯きながら彼は別のニュースに目を通す事にした。


 近くにあった適当なリンクを開いて読もうとした時、トトトトト、と誰かが階段を登ってくる。エスカレーターも無い田舎駅、不便だよなぁ等と思って彼はもう一切れ口にして、ふとその足音が明らかに急いでいる事に気付いた。電車が通り過ぎてから数分が経過している。遅延していたとしてももう出発している頃。そんな時間になって階段を駆け登る必要があるだろうか。不思議に思いながら階段の方を見た次の瞬間、


 パァン。パァン。パァン。


 立て続けに何かが弾けるような音が狭い階段から何も無いホームに向けて響き渡った。


 何の音だ?いや何の音かは察しがすぐに付いた――ドラマで聞いた事があった――。だがしかし、いや何故、こんなところでそんな音が聞こえるのか?今はまだ自分はイヤホンも何も付けていないのに。その答えは簡単である。今のは現実に起きた音なのだ。彼としては認めたく無かったので一瞬「そんな馬鹿な」と一笑に付そうと思ったが、間違い無い。


 何故なら振り向いて階段の方を見た時、脚を打たれて倒れた女性が居たからだ。


 女性は、春時には丁度いい長袖の目立つ赤い服に、ロングのスカートを履いており、スタイルは女優か何かかと見紛う程度には優れていた。が、その美しく、スカートの隙間から顕になっている脚からは、服の色よりも濃い赤い液体がどくどくと流れ、階段の下へと垂れていっている。


 ――血だ。そしてさっきのは拳銃の音だ。


 男はゴクリと口の中に残っていた肉厚のカツサンドを飲み込んだ。


 現実として眼の前で倒れている女性が居るのだから、これはもう認める他無い。銃撃事件が起きている事は明白である。


 男は椅子から立ち上がり、「だ、大丈夫ですか」と尋ねながら女性に駆け寄った。


 瞬間、手を何かが掠めた。


 掠めた所に痛みが走り、残った最後の一切れが手元から落ちた。芳醇なソースの香りが消えていく代わりに、手から鉄のような臭いが鼻に届く。それは女性の脚から漂う臭いと同じものであった。血のソレである。


「ああ!!私のカツサンド!!」


「動くな」


 嘆く言葉を遮るように、階下から声が聞こえた。と同時に、強い血の臭いが届く。警告に従いつつもこそり階下を覗き込むと、さっき電車を見送った駅員らしき女と、売店で自分にカツサンドを売った男が、血溜まりの中でバタリと倒れていた。呼吸らしき脈動をしているようには見えない。死んでいるようであった。


「そのまま動かないでいれば見逃してやる」


 階下から聞こえる声が言う。声の主は倒れた二人の間に立っていた。過ごしやすい気候だというのに分厚いコートを羽織っている。――コートは血に濡れている。声色からして男のようであった。


 カツサンドを食っていた男は、階下の男の声を聞いて、それが嘘であると瞬時に見抜いた。そも普通に考えて、この目撃者が自分以外殺されているような状況で、自分だけ助かるなどという希望的観測は到底出来なかった。


 階下の男はゆっくりと階段を上がってくる。他方女性は動こうとするが脚の痛みで立ち上がる事も出来ないようであった。


「用事があるのはそこの女だけだ。邪魔しなければ特に危害を加えるつもりはない」


 もう既に危害を加えられている。それに、言葉を聞けば彼には分かった。男の言葉には嘘の色が混じっている。


 ――彼は実のところ、普通の人間では無かった。その一つが「嘘を見抜ける」というもの。人の言葉を聞いて、その言葉の何処が嘘かを見抜ける、そんな特異体質を有していた。


「分かった、分かったから何もしないでくれ」


 そう言って彼は立ち上がり手を挙げつつも、心の中では決意を固めていた。このまま放っておけば出血多量で女は死ぬかもしれないし、どうせ自分にも危害が加えられる。実際、今まさに階下の男は自分に向けた銃の引き金を引こうとしている。


 何より、許せない事がある。


 自分のカツサンドを台無しにした事だ。


 ――ならば正当防衛だ。ここで男を”処理”しよう。


 彼はそう決めると、”とある事”を念じながら、掲げた両手の指をパチンと弾いた。


「よし動く……あ?」


 言った瞬間に引き金を引こうとした男であったが、期待した弾丸の発射音が聞こえない事に気付く。いや、それ以前の問題で、何か腕に、両腕に違和感がある。


「あ……ああ!?」


 階下の男はチラと自分の腕を見て、驚愕の声を上げた。


「お、俺の……腕が……腕が!!」


 階下の男の叫びに、最上段の所で寝転んでいた女がチラと階下を見ると、


「え……?」


 彼女もまた困惑の声を上げた。



 男の両腕がポトリと改札階の冷たい床に転がっていた。



 肩から先が、極めて綺麗な物質ですっぱりと切られていた。切断面は大変に美しく、血管から何から何までがそのままの姿を維持していた。不可思議な事に、そこから血が、肉が垂れるという事は無い。まるで人体模型のようであった。


「う、え、なんだ、なんだこれ!?」


 階下の男は起きている事象に困惑するばかりであった。


 きっと階下の男は、自分の腕の感覚が無いにも関わらず痛みが無い事に困惑しているのだろうと階段の上に居る彼は予想していた。


 彼は今何が起きているかを理解していた。そもそも彼が起こした事象なのだから当然とも言えた。彼は”ある方法”で、階下の男の肩と腕の間の空間を無限に引き伸ばしたのである。


 実際にはまだ階下の男の肩と腕は繋がっている。血が流れないのはその為である。だが、肩と腕を繋ぐ”空間”を異空間に飛ばす事で無限に引き伸ばしているため、男の脳が送る信号が届く事は無く、また重力に逆らう事も出来ず地面へと落ちた。


 両腕が分割された階下の男の姿を見ながら、彼は口を開いた。


「私に嘘を吐いた上に、銃口を向け、威嚇とは言え撃った。何より――食べ物を粗末にした。殺されても文句は言えない事だ。殺されないだけありがたいと思え」


 階段の上から見下しながら吐き捨てたその言葉が、階下の男へと突き刺さる。階下の男は彼の冷徹ながらも強い怒りの籠もった口調と鋭く冷たい視線に、その言葉に嘘偽り無い事を悟り、思わず「ひぃっ」と情けない声を上げてへなへなと座り込んだ。


 その無様な姿を見て満足した彼は、足元で状況が分からないまま苦痛に喘ぐ女性に手を向けて、指を弾いた。すると傷口から銃弾が飛び出したかと思うと、みるみるうちにその傷口が塞がっていく。


「消毒もしたから問題は無いと思うが、気になるなら医者に見てもらいたまえ」


 そう言うと彼は再び指を弾く。すると床に落ちてグシャリと潰れたカツサンドが落ちる前の姿を取り戻すと、彼の手元へと重量に逆らいながら戻っていく。彼はそれをフーフーと吹いてからガブリ付いた。


「消毒はしていても怖いものだが、まあ旨いからいいか。真似するなよ」


 何が起きているのか分からない女性に彼はそう言うと、カツカツと階段を降り始めた。これ以上此処で電車を待っていると面倒事に巻き込まれそうだ。彼はタクシーでの移動を決行する事にした。金は掛かるが、隣の伊都宮いとみや駅まで行けば他の路線にも乗れるはずだ。不快な思いをした事も相まって、少なくとも今は電車を待つ気にはなれなかった。


「ああ、後一つ」


 横を通り抜けようとした時、へたれこみ、鳴斗の姿を見て尻込みする男を無視して、また彼は指をパチンと鳴らした。


「面倒事に巻き込まれたくない」


 ボソリとそう呟いてから、階上の女に対し彼は叫んだ。


「この男の腕はくっつければ治るから。救急や警察が来たらそう言ってくれ」


 そして男を一瞥してから、彼はスマートフォンを取り出し、匿名で110と119への通報を終えると、途中地に伏せた死体に手を合わせた。彼は、傷は治せるが、死者を呼び戻す事は出来ない。この点に関しただけはどうにも無力な自分を許して欲しいという思いを抱きながら、彼は駅の改札を飛び越えて外へと出た。


 ――外にはタクシーの一台も止まっていない。都心以外の駅にはよくある風景であった。普段は都心部をウロウロしているせいで忘れていた。


 まったくついていない。


 彼はぼやきながら、次の駅まで歩くことにした。



 すれ違うようにパトカーと救急車が通り過ぎたが、今の彼の目には特に映る事は無く、聞こえるサイレンも、ああもう鬱陶しいな、程度にしか思えなかった。

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