臆病者は長生きをする

呉於 尋

Episode

     1


 魔物に村が襲われている。

 村中に広がった炎が輝くもののない暗黒の夜空を赤く照らし、村の至るところで毛むくじゃらで牙の生え並んだ大きな影を浮かび上がらせる。

 破壊音、悲鳴もしくは断末魔、魔物が吠える声。そして身を焼く熱と、すすと鉄と魔物の――息をすることを拒絶したくなる臭いが、辺りを支配する。

 勇猛な一部の村人たちは果敢に魔物へ向かっていく。

 そんな中、ひとり地下倉庫の隅っこでガタガタと震えている少年がいる。

 村一番の臆病者と噂のティミーである。

 魔物を討伐することで生計を立てているこの村に於いて、ティミーも将来力になるよう五つにも満たない頃から弓や剣の扱い方を習い、訓練を積んできた。

 が、生まれて十三年、ティミーは一度も魔物と戦ったことがない。

 村には「うさちゃん試験」というものがある。

 用意された魔物を衆人環視の中ひとりで仕留めるという、一人前と認められるための第一歩といった試験だ。用意される魔物は子どもでも抱えられるくらいの小型のもので、相手をするのも子どもが前提のため、さほど危険はない。「うさちゃん」という通称の魔物を使うことが多いため、この名前になった。

 ティミーはその試験で魔物を攻撃することすらできなかった。

 ゆえに彼は臆病者と言われているのだ。

 地上の狂騒が近づいてくる度、ティミーはびくっと肩を揺らした。

 倉庫で忍ぶ時間が途方もなく長く感じられ、一晩の出来事が一年にも思えた。

 外が静まり返ったことに気づくと、ティミーは恐る恐る地上へ出た。

 狂気を映したような黒と赤の空は、優しく穏やかな淡青の空へと変わっていた。

 しかし、その淡い色は地上の有様を見ると、ただ色を失ったかのようだった……。


 ティミーは村の復興は早々に無理だと判断した。

 生まれ育った土地だったが、現状からわざわざ一人で住み続けるほどの執着はなかった。

 瓦礫がれきの中から食べ物や使える物をかき集め、旅荷を作った。

 移住先として、ティミーは首都を目指すことにした。

 距離はあるが、高く頑丈な城壁に囲まれた首都は魔物が侵入してくる心配がない。もしものときも城の兵士や冒険者が守ってくれる。まさに安住の地だ。

 しかしティミーは首都への道を知らない。かき集めた物の中に地図はなかったし、取り敢えずは隣の村へ行くことにした。隣村ならそれほど遠くはないし、道に沿って進めばいいだけだ。

 先程作った旅荷に加え、使い慣れた剣と弓矢を持ち、ティミーは歩き出した。

 村の周囲は広大な森になっている。

 ひとたび足を踏み入れれば魔物がうじゃうじゃいる森だ。

 そんな森とをへだてる物のない街道も、当然ながら魔物が出ることがある。けれど道なき道を行くよりは安全だ。とりあえず道に迷うことはない。

 周囲をしきりに警戒しながら街道を進んでいく。

 村の跡が背に見えなくなってしばらく経ったところだ。

 ティミーは前方にいるものに気づき、身を強張らせた。

 魔物だ。

 グリーパー(熊と狼が混ざったような魔物)――ティミーの村を襲ったのと同種だ。

 向こうはまだこちらの存在に気づいていない。

 ティミーは逡巡しゅんじゅんした。

 攻撃するか否か。

 グリーパーは通常、一体に対し五人――最低でも二人以上で相手をするものだ。

 獰猛どうもうで攻撃力が高く、図体が大きいためちょっとやそっとの攻撃では倒れない。

 唯一の弱点は脳を破壊することだが、ただでさえ分厚く頑丈な頭蓋骨の上に金属のかぶと――魔物たちの鍛冶屋的存在の性悪小人が作っているらしい――を着けていてなかなか難しい。

 なので毒矢を射ち込み、毒が回り切るまでしのぎ切るというのが、村での定番の戦法だった。

 今は自分ひとりだが、やることは変わらない。

 グリーパーがこちらに気づいていない今ならば奇襲を掛け、有利に立つことができる。

 それはわかっている。わかっているんだ。

 けれど動くことができない。


 ――本当に攻撃していいのか……?


 その考えがどうしても武器へ伸ばす手を止めさせてしまう。

 物心ついたときには既にこう教えられていた。

 魔物は危険だ。魔物は害をなす。

 出遭ったなら倒せ――殺せ。

 そう言い聞かせられ続けてきた。

 ――と同時に、父さんに言われていたことがある。

“生き延びることを第一に考えろ。”

 父の言いたいことはきっと、「魔物に遭ったら戦え。だが危なくなったら逃げろ」ということだと、ティミーは解釈かいしゃくしているつもりだった。

 だが魔物を前にするとその解釈には間違いがあると、胸の中で本能とでもいうべき何かが警鐘を鳴らすのだ。

 ――殺してはいけない。

 ――攻撃してはいけない。

 警鐘を聞いたティミーは考えざるをえなくなる。

 本当に殺してもいいのか?

 攻撃してもいいのか?

 そうなるともう、動けなくなる。

「うさちゃん試験」のときもそうだった。

 この魔物を殺しても、本当にいいのか……?

 村のいましめにもあるじゃないか。“魔物を手に掛けるときは、報復ほうふくされることを考えなければならない”って。

 この魔物だったら殺しても報復されないなんて保障、どこにもないじゃないか。

 それなのに周りを取り囲む村の人たちがせっついてくるんだ。

 ――殺せ。

 ――殺せ。

 ――殺せ……ッッ!

 って。

 目の前にいた魔物よりも、そう訴えてくる視線が――圧力の方が、恐ろしいものに感じた。はずのその言葉が、脅迫のように感じた。

 今もまさに村人たちの言葉に圧をかけられている。周りの景色が迫ってきて、押し潰されそうだ……。

 それでもティミーは瞬間的に思考する。

 今、あのグリーパーを攻撃してもいいのか?

 矢が外れたら?

 毒が回り切るまで耐えきれるのか?

 一分以上だぞ?

 初めての実戦で。一人で。

 無傷で乗り切れる可能性なんてほぼゼロじゃないか……!

 ほんの短い――五秒ほどの逡巡の末、ティミーは行動を決めた。

 ティミーは道をれ、樹の陰に身を潜めた。

 そして腰に差していた剣と、胸に付けていた装備を外した。

 装備とは編んでコンパクトにしていた縄だ。使わないときにも邪魔になりにくく、防具にもなるため村では定番の装備だった。

 縄を解くと、さやに入ったままの剣にくくりつける。

 ぎゅっぎゅとしっかり結べていることを確認したら、それをひゅんひゅん回して高い樹の枝めがけて投げた。

 遠心力で剣がぐるんぐるんと回り、縄が枝に巻き付いた。

 縄を引き安全確認をすると、ティミーは素早く樹の上に登っていった。

 今はまだ戦わなくてもいい場面だ。そうだ、そうに違いない。

 と判断したティミーはグリーパーを避けて進むことにしたのだ。

 グリーパーは木登りが苦手だ。もし気づかれても樹の上までは追ってこられない。

 ティミーは縄を巧みに使い、樹上を移動していった。


     2


 グリーパーから大きく離れた所で、ティミーは樹上を降りた。目標の村まで半分いったかいかないかといった距離だ。

 縄を片付けていると、しきりに木の葉の揺れる音が聞こえてきた。どんどん近づいてくるようだ。

 音のしてくる方向を見上げると、無数の黒い塊が樹上を移動しているところだった。

 それを認識したティミーは即座にフードを被り、手近な茂みに飛び込んだ。

 樹上を移動しているのはオブシディアン=ルズーという(サルのような)魔物だ。少なくて数十、多いものでは数百という規模の群れで行動する。樹上生活に適した長い腕が特徴だ。

 一頭でも攻撃しようものなら集団で反撃してくる。

 こちらから攻撃せずとも食べ物目当てに襲ってくることがある。

 こいつはもう悩む瞬間などない。回避だ。回避一択だ。

 下手に動くと見つかってしまう恐れがある。ここは茂みの中にあっても目立つ赤毛を保護色のフードで隠しつつ、ルズーの群れが通り過ぎるのを待つのが最善策だ。

 ティミーはじぃ……っと耐え凌いだ。


 規模の大きな群れで通り過ぎるまでに時間が掛かったが、ティミーはなんとか凌ぎ切った。

 長時間じっとしていたのでお腹が空いていた。

 茂みから出たティミーは背に負っていた食料の入った荷袋を体の前に回した。

 すると袋に小さくてキュートな見た目の魔物がくっついていた。

「わぁああっっ」

 驚いたティミーは荷袋ごとそれを放り出した。

 放り出された魔物は「ヂッ」っと、短い悲鳴を上げた。

 魔物は袋の上に陣取り、全身の毛とふさふさの尻尾を立て、ティミーを威嚇いかくしてくる。

 可愛い見た目にだまされてはいけない。こいつ――シュカーロルは食べ物に対してがめつく、こいつのいる樹の実を採ろうものなら固い前歯をいて襲いかかってくるのだ。一匹ならまだ振り払うこともできるが、集団で襲われた日には体中の皮膚をかじりとられてしまう。そうなれば全身に痛みを感じながら死ぬか、生き残っても一生埋まらない溝が体中に刻まれることになる。お、恐ろしい……っ。

 幸い、今ここにいるのは一匹だけだ。剣で斬り殺してしまえばいい。

 ――本当に……?

 剣に掛けようとしていた手が止まった。

 まただ。また胸の辺りがざわざわする。

 先のグリーパーほどの危険はない。飛びかかってきたところを剣で振り払えばいいだけだ。ここで仕留めれば後で報復されるということもまずない。

 なのに何故だ。頭の中で、遠いけれど、警鐘の音が聞こえている。

 ――臆病者。

 そうなのか? 自分が臆病者だから尻込みしているだけなのか?

 今、シュカーロルは威嚇してくるだけで襲ってはこない。

 そうだ飛びかかってきたら、飛びかかってきたら斬り払うことにしよう。

 ティミーとシュカーロルはしばし睨み合った。が、ティミーが何もしてこないとわかるとシュカーロルは荷袋に潜り込んだ。

 ごそごそと中身を漁り、ナッツとドライフルーツの入った袋をくわえると、そのまま走り去っていった。

 シュカーロルが見えなくなるとティミーの肩から力が抜けた。

 シュカーロルが好みそうなものはもう入っていないが、仲間を連れて戻ってこられては面倒だ。ティミーはその場を移動してから無事だった食料を口にした。


     3


 腹ごしらえを終えたティミーは再び街道に沿って歩き出した。

 目標の村までもう一息。このまま順調にいけば、この危険な森で野宿はしなくて済みそうだ。

「…………けて……」

 ぴた、っと、ティミーは足を止めた。

「……たすけて……」

 森の奥から微かに助けを求める声が聞こえてくる。

 ティミーは蒼い顔を森の奥へ向けたが、まもなく、声のする方へと向かって行った。

 周囲に神経を尖らせながら進んでいくと、樹の根元に女の子が座り込んでいるのが見えた。

「……たすけて……」

 聞こえていたのは間違いなくこの少女のものだ。女の子はティミーを認めると、変わらず助けを求めてきた。

 女の子はティミーより幼げで、落ち着いた黄緑のワンピースに白のエプロン、と、軽装だ。場所的にティミーが向かっている村の子だろうか。

 ティミーは声を掛けながら女の子に歩み寄っていく。

「どうしたの? 迷子……?」

「たすけて……」

「うん、助けるよ。――怪我とかしてない?」

 ティミーは女の子の前でひざまずいた。

 女の子はティミーの目を見つめた。その目に涙はにじんでいなかった。

 ティミーは違和感を覚えた。助けを求める幼い少女が目をうるませてもいないなんてことあるだろうか、と……。

「……君、名前は……?」

「…………」

 口をつぐんだ少女が次に口にしたのは――


「…………たすけて……」


「っ――」

(イビルプラントだ……!)

 少女の正体が魔物であると気づいた瞬間、ティミーはきびすを返し、街道の方へと駆け戻っていった。


 イビルプラント。人間に擬態し、近寄ってきた人間や他の魔物を捕食する肉食植物。

 その擬態精度は高く、間近で見ても見破れないほどだ。

 言葉として成立する鳴き声を発するが、そのレパートリーの少なさと、植物であるが故に移動することができないという点で見破ることができる。

 成体のグリーパーすら一飲みにし、人の善意を利用するその悪質な生態から、森の魔物の中でも特に嫌悪され、恐れられている。

 そんなイビルプラントには、真偽が不確かなこんな噂がある。

“イビルプラントは、魔物を傷つけたことがない者のことは襲わない。”


〈GOOD END〉

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