たったひとりで植樹用の穴を掘る羽目になってしまった鬱金は、困り果てた顔で穴を掘る中、紅華は怒り心頭のまま物の怪の死骸の山に火を点けている。


「なんなんだい、こんなこと、櫻守だったら絶対にしないよ……!」


 相変わらず物の怪の死骸は火を点けたらすぐに燃える。そのにおいが漂う中、薄墨が呻き声を上げた。

 地面を掘りながら鬱金が薄墨のほうに振り返ると、彼は渋い顔をしていた。


「……こりゃあ、庭師のしわざだな」


 足跡や土の質を確認していた薄墨がそう毒づくと、紅華が目を吊り上げて薄墨に憤る。


「なんでいきなり出てきたと思ったら、あたしたちの縄張りでまで好き勝手するんだい、あいつらは……!」


 紅華が八つ当たりするかのように、がんっと地面を踏みつける中、薄墨は困ったように調べた土を落とす。


「わからん。ただあからさまに山歩きに慣れていない割には、物の怪退治には手慣れている。これが樹木医だったら、まず辺りの草木を傷つけるような真似はしないが、物の怪と戦うことができん。山歩きに慣れてないはずの庭師が、わざわざ俺たちに無断で山に入らざるを得ない事情でもあるのか……」


 薄墨が考え込む中、紅華は地団太を踏む。


「関係ないよ、そんなの! まずはこの山の担当のあたしたちにひと言言うべきだろうさあ!? そもそもこんなに物の怪の死骸をばら撒いて! ただでさえ弱っている桜をこれ以上枯らしてどうするっていうんだい!」


 紅華が憤っている中、鬱金は考え込み、そして口を開く。


「あのう……棟梁。庭師に対して抗議は入れられないの? この間紅華が役所を通して朝廷に抗議を入れたでしょう? ここはぼくたちの担当の山だけれど……他の山からも苦情は入ってないの? 危ないよ?」


 庭師の仕事はあまりにもずさんだった。それは櫻守になりたての鬱金でもわかる。

物の怪が襲ってきたから殺したまではまだかろうじてわかるが、その後始末を全くしていないのはいくらなんでも粗末が過ぎるだろう。短気で物の怪に対して思うところの多い紅華でなくても、こんな始末では怒るはずだ。

 物の怪は死んでずいぶん経ってはいたが、火をつけたらよく燃え、その灰を辺り一帯に撒いておいた。

 灰を撒きながら、鬱金の掘った穴に若木を植えつつ、薄墨が唸る。


「……櫻守がいなきゃ、この山一帯の桜は維持できない。だが、それをわかってない連中というのはいるんだ。庭師は山に入らずとも、物の怪さえ殺せばそれで仕事になるんだからな」


 それに鬱金は「あれ?」と首を捻った。


「だから、抗議しても無駄なの? 貴族だから、なにをしてもいいの?」

「いや? 抗議を上にあげなきゃ絶対にこちらの仕事が滞っていることを、理解すらしないだろうさ。だから抗議は続けるが。果たして朝廷が聞くかどうかはわからん。そもそも庭師が櫻守の管轄に出しゃばるのに、なんの意味があるんだか」


 鬱金は薄墨の返答に、ただ困惑したまま穴を掘り終えた。

 前にも庭師は現れてた。あのときもなにか用事をしているようだったが、その用事がなんだったのかは向こうも一切教えてくれず、わからないままだった。今回山に登ったのも、その用事の一環だったんだろうか。

 彼らは櫻守には使えないような術が使えるし、実際に物の怪を殺すことには長けているのだろう。

 これが朝廷で帝を守るためには優れた技術なのだろうが……櫻守からしてみればただただ迷惑なだけだった。物の怪の死骸だけ積み上げられても、始末をしなければ結果的に桜が駄目になるのだから。

 考え込んでいる間に、穴を掘り終えた。


「穴……掘り終えたよ」

「おう、それじゃあ次の苗を植えるか」


 鬱金の掘った穴に肥料を入れ、できたばかりの灰も混ぜ込んでから、苗を植え、土をかける。

 弱った母樹の種を育てた若木だ。次に来たときまでに、きちんと根を張るかどうかは、櫻守たちにだってわからなかった。

 あちこちに植樹をして回り、途中で放ったらかしにされた物の怪の死骸を燃やして灰を集め、物の怪避けの香にするために持って帰りながら、帰路につく。

 まだ日が落ちる気配のない薄い色の空を眺めながら下山し、ようやく気付いた。

 前に九尾の狐に会って以来、庭師が殺して回った物の怪以外に、物の怪に遭遇していないということを。

 鬱金はあの美しい九尾の狐のことを思い出した。

 あの美しい物の怪がなにかしたんだろうか。

 唯一意思疎通ができた九尾の狐のことを思うと、鬱金の胸がきゅー……と苦しくなった。その苦しさがなんなのか、今の彼にはわからなかった。


   ****


 庭師の件は、山に登るたびに目立つようになってきた。

 何度役所を通じて庭師に抗議を上げてもなしのつぶて。なんの音沙汰もないために、櫻守たちの困惑も深まるばかりであった。

 鬱金は相変わらず紅華とまともに会話することもできず、どうにか庭師の始末をしながらも、仕事に終われる日々を続けている。

 その日の山での作業もまた、ずっと物の怪の死骸に遭遇し、そのたびに焼いて灰にし、土に撒いたり回収したりという作業が続き、物の怪と対峙するよりも無駄な力を使って、徒労感でくたくたになって山を降りた。

 寒さがきりりと身を引き締め、あと数か月で春が来るというのに、悩みが尽きることがないというのに、漠然とした不安を感じる。

 それが繰り返されたある朝。

 鬱金はひと足早く起きて、市場へと向かう。早朝でも畑作業や丁稚の者たちが弁当を買うために並んでいる。鬱金も鼻が痛くなるのを堪えながら待っていたら、店主に「おや、櫻守の坊主」と声をかけられた。


「あ、はい」


 すっかりと顔見知りになった店主は、親し気に話しかけてくる。


「今年の桜はどうだい? もうそろそろ花見弁当を仕込まないといけないんだけれど、桜の見頃によって仕込みが変わっちまうからねえ……」


 そりゃそうか、と鬱金は当たり前なことに気付く。

 麓の人々が、山で起こっていることを知る訳がない。庭師が不穏な動きをしていることだって、千年花が枯れかけていることだって、知らないはずだ。

 だから、今年の春も普通に桜が咲くと信じ込んでいる……いや、今年も普通の春が訪れることに固執しなければ、日常生活を送れないのだ。人は心によるべがなければ、生きてはいけないのだから。

 一拍考えてから、鬱金は笑う。


「今年の桜も、綺麗だと思いますよ」

「そうかいそうかい。ほら、おまけも持っていきな」


 店主はにこやかに弁当六つに加え、焼き石を三つくれた。これで山に登る作業中でも暖かいだろう。鬱金は店主に「ありがとうございます!」と頭を下げてから、駆け出した。

 なんとかしないと、なんとかしないと。

 代替わりが上手く行ったら、千年花が枯れなくて済むのだったら、それを行わないと。でも、肝心な部分をずっと聞きそびれている。

 また、あの九尾の狐から話を聞ければいいのに。そう思って小屋が見えてきたとき。鬱金はひくっと鼻を動かした。

 いつか嗅いだ物の怪のにおいがして、鬱金は振り返った。


「こんなところに来て大丈夫なの? このところ、山に登ったら庭師がずっと物の怪狩りをしているけれど」


 小屋に通じる小道。

 そこには九尾の狐がいた。九尾の狐は相変わらず美しいままだった。


──嘆かわしいですね。あれには理屈が通用しませんから

「理屈かあ……あなたは、庭師がなにをしようとしているのか、知っているの?」

──存じています。ただそのせいで弱いものたちに皺寄せが来て……嘆かわしいですね


 そう言いながら、九尾の狐は鬱金のほうに鼻先を向けてきた。

 最初、鬱金はなにをさせようとしているのかわからなかったが、触れと言われているような気がして、そっと九尾の狐の鼻先を撫でた。

 九尾の狐のふさふさとした尻尾が揺れる。鼻先から頭、背中を撫でてやると、その毛並みのふかふかとした肌触りに驚く。指にに吸い付くような柔らかさとその滑らかさに夢中になって撫でていると、九尾の狐は目を細めて言う。


──まだ力が足りてないようですね

「その力が足りないっていうのは?」

──わたしと契約できるほどの力です


 九尾の狐を撫でながらも、鬱金は言葉を詰まらせる。

 そもそも九尾の狐の言葉は抽象的過ぎて、いまいち鬱金が理解できなかった。それでも、代替わりを進めるための方法が今のところ九尾の狐と契約してどうにかするという手段以外を知らないのだから、それについて理解を進める他あるまい。

 鬱金は九尾の狐に手を這わせつつ尋ねる。


「ねえ、代替わりをするために、あなたと契約をしないといけないって言っていたけれど。まだ力が足りないんだったら、ぼくはどうすればいい? 特別な鍛錬をすればいいの? それともなにか、別の方法が……」

──あなたは優し過ぎるんです。だから力を出せない

「優し過ぎると、力を出せないものなの?」

──あなたの出す毒は、甘いんです


 そう言いながら、九尾の狐はペロリと鬱金の掌を舐めるので、驚いて鬱金は撫でていた手を引っ込めた。以前に大神を殺してしまったことを思い出して、鬱金はおずおずと尋ねた。

 あのとき、大神は苦しむ声を上げながら死んでしまったが、九尾の狐は平然とした態度のままで、悲鳴のひとつも上げやしなかった。


「あなたは……ぼくの毒が怖くないの? ぼく……前に間違って物の怪を殺してしまって……殺したくなんて、なかったのに……」

──あなたが毒を出すのは、当たり前です。誰だって、そうたやすく死にたくはありませんから。あなたが毒を放つのは、あなたの防衛本能に寄るものですから

「ぼくの……防衛本能……?」


 九尾の狐は大きく頷いた。

──はい、あなたが死にたくないと思わない限りは、あなたの毒で誰かが死ぬことはありえません


 そう教えられて、前のときに必死に大神に「殺したくない」と訴えたことを思い出した。たしかにあのときは、なにもかもが必死で訳がわからなくて、どうして死んだのかまで考えられなかった。だからひどく衝撃を受けたのだ。


「……ぼくが、もっと強くなって、そんなに簡単に死にかけなかったら、物の怪を殺さなくっても済むようになるのかな」


 鬱金の自嘲的な言葉にも、九尾の狐は真摯な答えを投げかける。


──おそらくは。さあ、もう戻ってください。あなたが強くなったら、契約しましょう

「待って。あなたと契約って、どうすればいいの?」


 その問いかけに、九尾の狐は背中を向けた。


──あなたが強くなったときに、お知らせしましょう


 そのまま高く飛んで、いなくなってしまった。

 結局のところ、どうすればいいのかがなにもわからなかったが、ひとつだけわかったのは、薄墨や紅華が言っていた自分が使っていたものは、術ではなくもっと別のなにかだったということ。でもまたひとつわからなくなった。

 どうして防衛本能で、物の怪すら殺せる毒を出せるのだろうか。そもそもそれは普通の人間ができることなんだろうか。

 そこまで考えて、ようやく鬱金は疑問に思った。

 どうして最下層で埋まっていたんだろうか。

 それ以前に、自分はいったい何者なんだろうか。

 紅華に掘り起こされてから、ようやく鬱金は目が覚めた。それより前の記憶は、未だにどこかに落っことしたままであった。

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