CASE 9 繋ぐ光

CASE 9 クリス・倦怠感

    1


 手のひら大の麻袋に乾燥させた薬草が詰められる。豊かな香りに満たされてから口が紐で縛られた。

「それはなんだ?」

 調合室で薬草の成分を抽出する蒸留釜の火を管理していたムーンは、リリーの行動に気がついて疑問を投げかけた。

 リリーは出来上がった袋を手に乗せて答える。

「虫除けです。ローズマリーとラベンダーが入ってます。これを寝室の窓辺に吊るすんです」

「虫除け? 花には虫が近寄るのではないか?」

 小さな袋で虫を避けられるという話はムーンにとって不思議だった。正直にそれを口にすると、リリーは待ってましたと言わんばかりに深く頷く。

「確かに花は種を虫や動物に届けてもらわなければならないから香りを出します。でも、それで食い荒らされたらたまりませんから、忌避きひされる香りも出すんです。森の中だから、せめて寝起きする自室だけは、といつもつけているんです」

「なるほど」

 リリーは納得をするムーンを横目に言葉を続ける。

「香りは虫だけではなく、病気も寄せつけないといいます。その昔、恐ろしい病気が流行りました。一部地域では三分の一も人口が減ったという病――黒の病です。薬草の香りは病を防ぐのにも有効でした。薬草を取り扱う者は不思議とかからなかったといいます。そこで感染しないようにマスクの中に薬草を入れるようになったんです」

 ムーンは少し黙ってから、「私も身につけた方がよさそうだ」と真面目な口調で言ったので、リリーはくすくす笑ってから応えた。

香り袋サシェはいつでも作りますよ」


    2


 クリスと名乗った二十代半ばの女は近隣の村から来たと言った。生まれてから大きな病気は一度もせず、健康体そのもの。夫と二人で農業を営んで暮らしているという。

 クリスは長い髪を三つ編みにし、スカートにエプロンという労働者の格好をしている。

「一週間前から不調なんです。何しても疲れるというか……。熱や痛みはないんですけど……」

 クリスは思い悩んだ顔で言った。早くに両親を亡くしていて、家族と呼べる者は夫だけだという。そんな夫に心配をかけて申し訳ないと声を落とした。亡くなった両親に自分を重ねているのかもしれない。

「早くに来て下さってよかったです。身体を見せて下さいね」

 リリーは患者を安心させるように優しく微笑んだ。些細な異常を見逃さないように、しっかりと顔色を見たり、身体の音を聞いたりする。差し出された腕に指を三本置いて脈拍も測った。リリーの眉が一瞬だけ跳ね上がる。クリスに悟られないように微笑みを絶やさずに話しかけた。

「さらに質問していいですか?」

「ええ……」

 クリスは不安げな表情のまま問いに答えていく。

「――最近、食生活が変わりました?」

 その質問には目を開いて言葉を失う。まるで知っているかのような質問だったからだ。

「はい……。ええっと、恥ずかしいんですけど、芋のソテーをよく食べるようになりました。畑でよく取れるからというのもあるんですけど……」

 頬を染めながら紡ぐ答えにもリリーは笑わず、丁寧にメモを取っていく。

「はい、じゃあ次の質問です。今月は月経は来ましたか?」

「え。ああ、来てませんけど……、来ない月もあって……」

 クリスの顔が訝しげな表情から呆けたものになり、語尾が途中で霧散する。

「わたしは専門ではないので百パーセントではないんですけど――」

 そこでリリーは一呼吸置いてから「クリスさんは妊娠をしている可能性があります」と言った。

 クリスは口元を押さえて声を震わせた。

「あの……わたし……できないものだと……。主人と諦めてたんです……。赤ちゃん……」

 顔の中心に皺が寄り、目元が光る。

「クリスさんには妊娠したときの脈が出ています。身体の変調にも特徴があります。食の好みが変わるんですよ。絶対とは言い切れないんですが。来月辺りにもっと吐き気などはっきりと分かる症状が出ると思います。お産婆さんの方が詳しいと思いますが、注意事項を紙に書きます。分かる方に読んでもらって下さい」

 クリスは言葉なく何度も頷いた。

「今は大事な時期ですから安静にして下さいね。重いものは持ってはダメです。薬草を今出すのはやめておきます。赤ちゃんに影響があるかもしれません。お腹が出てくるような時期に入れば、安産に効くラズベリーリーフをお出しできます。吐き気で食事もできないときはペパーミントを用意します。水も飲めないときは身体に影響がありますから、教えて下さい。食事はしっかりと加熱したものをおすすめします。食べたものがいいもの、食べない方がいいものは紙に書きました」

 患者は渡された紙を握ったまま動けないでいる。リリーは手を優しく添えた。

「これから寒くなりますから、お腹を冷やさないようにして下さい。何かありましたら、わたしが行きますから、どうか安心して過ごして下さいね」

 そこでようやくクリスは我に返って目を細めた。

「ありがとうございます」


    3


 リリーはムーンと患者を見送りながら、ぽつりと呟く。

「こういうときは、いつも嬉しくなってしまいます。患者さんを差し置いてはしゃいではいけないから我慢してますけど。無事に赤ちゃんが育って欲しいです」

 ムーンはクリスの背を見て言った。

「君が診断したから分かったのだが……。彼女は体温が若干高いな。そして、微かだが心臓の音が重なっていた。きっと、新しい命が宿っているからだろう」

 リリーの顔に希望の光が差す。

「君の診断は正しい。来年には赤ん坊が見られるな」

「はい……!」

 少女の顔には患者の前では見せなかった溢れるような笑顔に満たされていた。



次回→閑話 リリーとムーンの休憩時間③

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