CASE 7 青の妙薬

CASE 7 キアン・秋の体調不良

    1


 かまどでパチパチと木が爆ぜる音。かまどの前でムーンが真っ直ぐな姿勢で立ったまま、上に置かれたものを見ている。鍋ではなく円形の石が一つ熱せられている。ムーンは充分に温めた石を麻布の袋に入れて縛った。

 普段は上がらない屋根裏部屋への階段を進み、一階の天井にも当たる入り口をこぶしで叩く。

「リリー、懐炉カイロを持ってきた」

 部屋の中から「はい」とどこか覇気はきのない声が聞こえ、時間を置いてから入り口が開いた。

「いつもありがとうございます」

 白い寝間着シュミーズ姿のリリーが顔を出す。

「大丈夫か?」

「ええ。すみません、寝坊しちゃって……」

 太陽は高く昇り始めていて、起きる時間は過ぎている。働き者のリリーなら洗濯物を干している時間だ。

 女の身体に生まれた以上は避けられない日がある。その中でもリリーは数ヵ月に一度、腹が痛くて堪らなくなるときがあった。そうなると、腹を温めて横になるしかない。懐炉を持ってきてもらえるだけでとても助かるのだ。

 ムーンが一階に戻ると、感謝の念を抱きながらベッドの中で腹に懐炉を当てた。


 リリーが一階に下りてきたのは、普段通りならば薬草を取りに行っている時間だ。寝間着に外出用の外套がいとうを羽織っている。台所に向かい、鍋を取り出した。

「動いて大丈夫なのか?」

 気配を感じてか、ムーンも台所にやってきた。

「はい。お腹を温めたら少し楽になりました。ありがとうございます。今のうちに薬草を煎じておこうと思って」

 リリーは取り出した茶色の種子とカモミールをスプーン一杯分だけすくって湯に入れた。数分待てば成分が湯に溶けてハーブティになる。

 種子はチェストベリーといい、チェストツリーに咲く花から取れる種だ。花は小さな紫色の穂状で可愛らしい。その種が女の病に効く。リリーは症状が重いときに煎じて飲んでいる。

 テーブルで少しずつハーブティを飲むリリーを見守りながら、「今日はゆっくり休んでるんだ」とムーンは言った。


    2


 その日の患者はキアンという若い町の男だった。靴職人だというキアンは、落ち着かない様子で顔色が悪い。仕事仲間から「具合が悪いのではないか」と薬草相談所を紹介され、半ば強制的にやって来たらしい。だからか、受け答えがどこか煮え切らない。リリーは身体のあちらこちらを調べ、結果を紙に書き出した。

「見たところ、身体に目立つ異常はなさそうですね」

「はあ……」

 相槌も心ここにあらずといった様子。本人の申告は、「何となく調子が悪い」。休みの日もずっとせっているらしい。

 リリーは質問を重ね、「起きられない」「気力がない」「眠れない」などの言葉を引き出した。そこから目の前にいる本人の様子、気候などを加味して考える。指でトントンとテーブルを叩き、導き出したのは――。

「分かりました」

 ペンを置いてキアンと向かい合う。

「もしかしたら、心の病かもしれません」

 リリーの言葉にキアンには初めてはっきりとした表情が浮かぶ。目を見開いて瞬きを繰り返した。

「心の……?」

「そうです。日が出ている時間が短くなっていくこの季節はメランコリックになりやすいんです。太陽光がないと人間は元気がなくなりますから」

 信じられないようなキアンに真面目な表情でリリーは説明を続ける。

「気力が出ませんから、当然横になる時間が長くなります。そうすると、身体に不調が出てきます。病気で気が滅入ってしまうことはありますよね? 逆もあるんです。本格的な冬が来る前に改善していきましょう」

 言葉の最後にリリーは優しく微笑む。

セントジョンズワードとリンデンを用意します。症状が改善されますし、よく眠れるようになりますよ。気力が戻ってきたら、また私とお話ししましょう。外に出ることも大事です」

 感情の動きが鈍いのか、口を開けたままリリーを見つめるキアン。少し遅れて小さく頷いた。


    3


 しばらくしてキアンに調合した薬壺が渡された。さらにもう一つ差し出される。リリーの話になかったものだ。

「これは……?」

「カーネーションの花です。飲み物に浮かべて飲んでみて下さい。こちらも効き目があります。それから――」

 リリーは背後にいる甲冑に視線を送る。相談所にやって来たキアンの応対をした無骨な助手だ。奇妙な姿を気にしてはいたものの、指摘できなかった。

 甲冑は一枚のキャンバスを手に持っていた。鮮やかな瑠璃色の海が描かれた絵。空はネモフィラの花に似た淡い色。どちらも同じ青だというのに、明確な違いが表れている。

「海の絵です。わたしは実物を見たことがないんですけどね。『青』は心を落ち着かせる色なんです。見ていると気が休まります。キアンさんも何かこうやって寝室などに青いものが視界に入るようにするといいかもしれません」

 キアンが絵に惹きつけられて視線を外せないでいる。見ているだけで穏やかな気分になる絵だった。

「簡単に見られる青いものがあります」とリリーが言葉をつけ加える。

「なんです?」

 細い指が真っ直ぐに上を差す。

「空です。こんなに大きな青は他にありません。お仕事でお忙しいときは、空を眺めて一呼吸入れて下さいね」

 気遣いげに微笑む少女の表情に曇りはない。キアンは返事をしようとして言葉が見つからず、深々と頭を下げた。


 リリーは患者が帰ってから髪を結んだリボンを解き、隣に佇むムーンに笑いかける。

「おじいちゃんの絵を持ってきてくれて、ありがとうございます」

 ムーンは両手でキャンバスを手に持ったまま。

「父君は多彩な才能があったんだな」

「ええ。留学したときに見た景色だそうよ。あ……部屋に飾れば、患者さんたちにリラックスしてもらえるかな??」

 その日から相談所には青の絵画が飾ってある。



次回→CASE 8 お別れのとき、予定

※セントジョンズワード→セイヨウオトギリソウ

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