第4話 陽キャは陽キャで大変らしい(ウルトラどうでもいいけど)
案の定、トイレから戻ったらさっそく光守の小言が始まってしまった。
「ほんとにあんたって奴は……。そんな調子じゃ、いつまで経っても女の子を紹介できないじゃない。いくら部室を懸けた勝負でも、知り合いの女の子を悲しませるようなことはしたくないんだからね?」
「女子を紹介してほしいなんて一言も頼んだ覚えはないんだが?」
「じゃあ、どうやってあんたに恋愛させたらいいのよ? だれか女の子を紹介しないと話にならないじゃない。あんたの好みも未だに全然わからないままだし。今のところ、あんたがありえないほど面倒くさい奴ということしかわかっていないわよ?」
「それで十分だろ。つまり、俺に恋愛は無理だってことだ。はい終了。解散解散~」
「勝手に終わらすな! こっちはまだ諦めたつもりなんてないし、負けるつもりだって全然ないんだから!」
「へー」
「いや『へー』って、他人事みたいに言うんじゃないわよ! あんたも思いきり当事者でしょうが! ちょっと、萌もなにか言ってあげてよ!」
「えっ? そ、そう言われても……」
「じゃあ鳴でもいいわ! このバカになにか言ってあげてちょうだい!」
「お腹空いてきたっス。ドーナツはいつ食べに行くんスか?」
「ほらみなさい。萌も鳴も『このゴミカスクズゴミ野郎』って言っているわ。あんたがずっと無気力なせいよ」
勝手に二人の言動を捏造すんな。
ていうか、なにげに「ゴミ」って二回言ってね?
「だいたい、あんたわね──」
と。
トイレから離れて、先ほどいたばかりのレディース服売り場を通り過ぎたあとだった。
俺の隣を歩きながらくどくど説教していた光守の口が、突如としてぴたりと止まった。
しかも、前方を見据えたまま。
「やばっ……! みんな、今すぐ隠れて! できたら、ここからみんなの姿が見えないところに!」
一体何事かと首を傾げる俺とは対照的に、水連寺も光守と同じ方向を見てなにかを察したのか、いつものおどおどした態度が嘘のようにすぐさま別の通路へと足早に移動して、
「鳴ちゃん! 影山くん! 早くこっちに!」
と、これまた初めて聞く大声で俺たちを誘導する。
ふむ。これは光守にとって不都合な事態が起きたと見た。
ならば、ここから離れるわけにはいくまい。
光守の不都合は、俺にとっての好都合も同義だからな! ヒャッハー!
「ヤダね。すげぇ面白そうだから、俺はここに残って──」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと行くっスよ先輩」
「うお!? おい待て!」
なんて制止の声もまるで聞かず、強引に俺の手を引いて水連寺のあとを追う大空。
ていうか、めちゃくちゃ力強いな! さっきから振りほどこうとしているのに、全然ビクともしないぞ。本当に女子か? ゴリラが人間に化けた姿じゃなくて?
そうこうしている内に、俺たちがつい先ほどいた地点の反対側──中心の広い吹き抜け部分を境に、光守の様子を遠くから眺められる場所へと着いた。
「はあ、はあ……。つ、疲れた……」
「ご、ごめんね影山くん。急に走らせちゃって……」
息を切らす俺に、そばにあった観葉植物に身を隠しながら手を合わせて謝る水連寺。
「まったくだ。無駄に体力を使わせやがって……」
「いやいや、先輩の体力がなさすぎるだけっスよ。実は貧弱キャラだったんスか?」
「やかましい。いきなり走らされた上に、お前のバカ力から逃れようとして余計体力を消費してしまったせいだよ……」
あと、陰キャは基本的に運動が苦手なんだよ。よく覚えとけ。
「で、これは一体どういうことなんだ? なにか理由があるんだろ?」
いくらか呼吸も整ってきたところで、俺は水連寺に訊ねる。
「う、うん。でもその前に、一緒に隠れてもらってもいいかな?」
「なんでだ? さっきもそうだが、ちゃんと分かるように説明しろ」
「光守先輩の友達がいたんじゃないんスか?」
と、水連寺が答える前に、俺の後ろにいた大空が唐突に口を挟んできた。
「あいつの友達……?」
「ほら、光守先輩が前に言っていたやつっスよ。先輩と一緒にいるところを友達とかに見られるのはまずいって」
あー。そういえばそんなことも言っていたような気がするな。
「うん。実は鳴ちゃんの言う通りなの。だから一緒に隠れてもらってもいいかな?」
「自分は全然オッケーっスよ。向こうが自分のことを知っているかどうかはわからないっスけれど」
言いながら、水連寺と同じ観葉植物の陰に隠れる大空。
「先輩も早く隠れた方がいいっスよ。向こうに気付かれる前に」
「断る。なんで俺までこそこそ隠れなきゃいけないんだ。バカバカしい」
「けどここで隠れないと、光守先輩が先生になにか言うかもしれないっスよ。知り合いに勝負の件を知られないように配慮したのに、先輩だけ協力してくれなかったって」
「うっ……」
こいつ、なかなか鋭いことを言いやがる。いつも飯のことしか考えていない奴かと思いきや、そうでもないのだろうか。
「ちっ。仕方ねぇな……」
渋々、水連寺たちとは別の観葉植物の陰に身を潜める。大空の言う通り、佐伯先生に告げ口でもされたら面倒だからな。
そんなこんなで、水連寺たちを真似るように物陰から光守の様子をこっそり覗いてみると、いかにもギャルギャルしい見た目の女子四人組と話し込んでいる最中だった。
つーかあれ、この間の昼休みの時に俺の椅子を奪ってきたケバケバギャルとその一味じゃねぇか。
あいつ、休日の時までケバケバしいのかよ。むしろ三割増しになっているじゃねぇか。顔面詐称しすぎだろ。
それはともかく、だ。光守の様子が先ほどからどこかおかしい。
いや、決して挙動不審というわけではないが、さっき俺といた時とは明らかに違うというか、初めて光守と対面した時のような泰然とした表情を浮かべていた。
もしかしてあいつ、人によってキャラを使い分けているのか? 単に俺の前だけ──嫌い相手にだけ感情的になりやすいという線もなきにしもあらずだが、それにしては、今の光守の方がどこか無理をしているように見えた。
もっとも、ただの勘でしかないが。
光守とは知り合って数日程度の関係でしかないし、読心術めいた特技なんて俺にはない。本当にただの当てずっぽうな推察だ。
それでも変に背伸びしているというか、達観した女子を演じているように見えるのは、俺の気のせいなのだろうか──?
なんて、少しの間様子を窺っていると、ふと光守が仲間のギャルに一言謝りを入れるように片手を上げたあと、デニムのポケットからスマホを取り出してなにやら操作を始めた。
電話をかけるにしては画面へのタップが多い。そうなると、あれは──
「なあ。あれってお前らにメッセージかなにか送っているんじゃないのか?」
「え? あ、もしかしたらそうかも……!」
言いながら、慌ててポシェットからスマホを取り出す水連寺。
「わっ。本当に麗華ちゃんからだ! すごいね、影山くん!」
「世辞なんぞいい。それで、あいつはなんて?」
「えっと……『もう少し時間がかかりそうだから、どこかで暇を潰してもらえる? あとで場所だけ教えてくれたらすぐに追いかけるから!』だって」
「ほえー。先輩、よく気付いたっスね」
「状況を見たらなんとなく察しは付くだろ。それより、これからどうするんだ? 暇を潰せって言われても、あちこち動き回るのは嫌だぞ」
「そうだね。あんまり遠い場所に行っちゃうと、麗華ちゃんも困ると思うし……」
うーんと少し悩むように辺りを見渡したあと、水連寺はとある場所でふと視線を止めた。
「あそこなんてどうかな? ここからちょっと歩いた先にあるブックカフェ」
言われて水連寺が指差した方向を見ると、確かに洒落た雰囲気のブックカフェがあった。
他にもファーストフード店やラーメン屋などがあるが、少し時間を潰す程度ならブックカフェの方がいいか。
「わかった。あそこでいい」
「自分もいいっスよー」
そんなわけで、俺たちはブックカフェに向かうことにした。
店内に入ってみると、ブックカフェというだけあって目の前に本棚がずらりと並んでいた。少し歩いた先には飲食できるスペースがあり、ジュースやコーヒーを飲みながら本を読んでいる客がちらほらと見受けられた。
ゆったりした曲調のBGMに、おそらくヒノキかなにかで作られた木材の調度品。なにより読書スペースが店内の中央にあるので、通路を歩く人の目を気にしなくて済むというのが、個人的にポイントが高い。
もしもショッピングモールじゃなくて家の近所にあったなら、何度か通っていたかもしれないと思うほど、なかなか良い感じの店だった。
なにぶんショッピングモール内の店なのでそれほどスペースは広くないが、ざっと見た感じ、本の書類も豊富だ。お堅い実用書からライトノベルまで多く扱っている。俺とそう変わらない年代の客もいるのも、そのせいだろう。
ちなみに、光守への連絡は水連寺に済ませてもらった。ここでお茶でも飲んで過ごしていれば、その内あいつもやって来ることだろう。
「えっと、どこのテーブルにしよう……?」
「あそこでいいんじゃないっスか? 三人くらいなら余裕で座れそうっスよ」
きょろきょろと視線を巡らす水連寺に、大空が隅の方にあるテーブルを指差す。
「あ、うん。じゃあ、あそこにしようか。……影山くんもそれでいい?」
無言で頷く。落ち着いて座れるところではあれば、別にどこでも構わないが。
そうしてテーブルに着く俺たち。ちょうど丸テーブルに三角形を描くような位置関係で、各々椅子を引いて腰を落とす。
と思ったら、席に着くなり水連寺がすぐさま俺から距離を取ってきた。
せっかくの正三角形が、二等辺三角形に。
いや別段それはどうでもいいし、女子から距離を取られることも昔から慣れているので今さらどうこう言うつもりはないが、せめて時間を置いてから離れるとか、そういう多少の配慮はしてもらいたかったところだ。慣れているとはいえ、気分のいいものではないし。
なんて思考がうっかり表情に漏れ出ていたのか、ちらっと俺を見た水連寺が「あっ」と自分の行いを恥じるように顔を赤らめた。
「ご、ごめん影山くん! 昔からの癖というか、男の子のそばに座るのはちょっと抵抗があって……。それでつい……」
ああ、そっか。そういえば水連寺は男が苦手だったか。さっきまで普通に話していたから、すっかり忘れていた。
いや、待てよ? 思い返してもみると、今まで水連寺と一度も視線が合ったことなんてない気がする。
なんなら今だって思いきり目線を逸らされているし、本当はこうして男の近くにいることすらストレスに感じているのではなかろうか。
だからと言って、俺に解決できる問題でもないし、そもそもこっちは無理やり付き合わされている立場でしかない。
要するに、こちらが気を遣う理由なんて一切ないってわけだ。
「別に謝る必要はないだろ。離れたいのなら好きにしたらいい。俺も勝手にやらせてもらうつもりだしな。なんなら、今から一人で録画しておいたテレビ番組を観に行ったっていいんだぞ?」
「それは距離を取りすぎというか、家に帰っちゃってない……?」
そうとも言うな。
一方の大空はと言うと、俺と水連寺の会話なんて端から聞いていなかったらしく、
「おー。このお店、デザート類がけっこう豊富なんスねー。どれも美味しそうっス」
と、いつの間にか手にしていたメニュー表を前に瞳を輝かせていた。
「あ。自分、このパンケーキ食べてみたいっス」
ほらほら、とパンケーキの写真を見せてくる大空に、俺は嘆息しつつ別のメニュー表を手に取って確認する。
「……お前、本当にこれ食べられるのか? なんか特大サイズって書いてあるぞ」
「大丈夫っス。甘い物は大好きなんで」
「あっそ。まあ好きにしたらいいんじゃないか? 俺が金を払うわけじゃないし」
「え? 先輩が
「は? なんでそうなる。俺が誘ったわけでもないのに、驕るわけがないだろ」
「でも、こういうのは男が率先して驕るものだって、光守先輩が前に言ってたっスよ?」
「あいつの仕業か……」
あの恋愛脳、余計なことを吹き込みおって。
「あいつになにを言われたかは知らんが、男が女の代わりに食事を驕る決まりなんてないぞ。だいたい今の時代、男女関係なく働くのが普通になっているんだから、どっちが金を払うかなんてお互いに相談して決めるべきだろ。しかもこっちはバイトもしていない学生だぞ。よって、俺が驕る理由は断じてない」
「えー? じゃあだれに驕ってもらえばいいんスかー?」
「言い出した本人に驕ってもらえばいいだろ。そもそも、あいつが美味しい物を食べさせてやるって約束したから、お前もここまで付き合っているんじゃないのか?」
「それはそうなんスけど、さすがに光守先輩がいない前じゃ食べられないっスよ。どれだけお金を持っているかもわからないので」
ふむ。一理あるか。
だからと言って、俺が驕る理由にはならないが。
「じゃあここは私が代わりに払うから、鳴ちゃんは好きな物を頼んでいいよ」
「マジっすか!? 万とか超えちゃっても大丈夫っスか!?」
いいわけないだろ。限度というものを知らんのか、この食欲魔人は。
「それはちょっと……。せめて三千円以内でお願いしてもいいかな……?」
「三千円以内っスかー。パンケーキはなんとか頼めそうっスけど、他のは慎重に選ぶ必要があるっスね~」
言って、再度メニュー表とにらめっこする大空。まるで子供だな。
「で、そっちはどうするんだ?」
「……え? どうって?」
「注文だよ、注文。店員は男女両方いるみたいだが、女ならともかく、男が来たら俺が対応するしかないだろ。あの後輩はまだ考え中みたいだし」
と返したら、水連寺に驚いた顔をされた。
「なんだ、その反応」
「あ、ごめん……。ちょっと意外っていうか、影山くんがそんな風に気を遣ってくれるなんて思ってもみなかったから……」
「余計な手間を省いただけだ。くだらないことで時間を無駄にしたくないからな。で、注文は?」
「えっと、じゃあカフェオレで……」
わかったと返事をしたのち、手元にあった呼び鈴を鳴らす。
少しして、二十代前半くらいの男性店員が静かな足取りでやって来た。見た目は中性的な優男といった感じだが、こんな男っぽくもない容姿でもダメなのか、水連寺はずっと店員から顔を逸らしてその場をやり過ごそうとしていた。
やっぱりこうなってしまったかと内心嘆息しつつ、水連寺の分も一緒に注文を済ます俺。ちなみに大空は例の特大パンケーキとイチゴクレープとアイスクリームを頼んでいた。聞いているだけで胸やけがしそうなラインナップである。
やがて店員が「少々お待ちくださいませ」と言い残して厨房の方へ去っていったあと、水連寺が「はあ~」と安堵の溜め息をこぼして、
「ありがとう、影山くん。私の注文も代わりに済ませてくれて……」
「別に礼はいらん。それよりも、よくそんな調子で日常生活が送れるな。普段どうやって外出しているんだ、お前」
「い、いつも一人で外出することはしないから……。それにちょっとすれ違う程度なら大丈夫なんだよ? 今みたいに知らない男の人が間近に寄って来るのは苦手だけど……」
「俺はいいのか? 知っている人間とは言っても、会ってまだ二度目だぞ」
「影山くんは、ケンカが好きそうなタイプには見えないから……」
麗華ちゃんとはよく口ケンカしているけれど、と苦笑する水連寺。別にこっちも好き好んであいつと言い争っているわけじゃないぞ。
「ケンカが好きそうには見えない、ね。もしかしてお前、俺の噂を聞いてないのか?」
「噂って、影山くんが中学生の時の? それなら前に聞いたことはあるけど、本当かどうかはわからないし、それに……」
「それに?」
「それに、さっきみたいに私を気遣ってくれた人が、理由もなく暴力を振るうなんて思えないから」
だからお前を気遣ったわけじゃないっつーの。
「ていうかお前、男に殴られたトラウマでもあるのか?」
「えっ? ど、どうして?」
「いや、ケンカがどうとか言っていたから。相手からの暴力がきっかけで男性恐怖症みたいな状態になってしまったのかと思って」
「そ、そんなことないよ。ただケンカが好きそうな男の子はちょっと苦手っていうだけで……。体や声が大きい男の子も苦手だけど……」
「学校にいる間はどうしているんだ? 体や声がでかい男なんて、それこそクラスメートにいてもおかしくないだろ」
「いつも仲のいい女の子としか話さないから……。席替えで隣同士になっちゃう時もあるけれど、そっとしておいてくれたら、なんとか大丈夫かな……」
それは大丈夫と言えるのか? 想像しただけでめちゃくちゃ息苦しそうだぞ。
「じゃあ、こうして話すのもやめておくか? こっちは一向に構わないが」
なんなら今からでもスマホをいじってもいいくらいだ。むしろそっちの方がいい。ガチャ回して~。
「だ、大丈夫っ。影山くんと話すのは嫌いじゃないから。それに麗華ちゃんにもちょっとは男の子と話す練習をした方がいいって言われてるし」
「俺じゃあ、練習台になるかどうかはわからないけどな」
と、別段深い意味もなく発した一言だったが、水連寺には嫌味っぽく聞こえてしまったようで、すぐに「あっ」と声を漏らして頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! そういうつもりで言ったわけじゃないんだけど、気を悪くさせちゃったかな……?」
「いちいち謝らなくていい。こっちも卑下して言ったわけじゃない」
思わず溜め息がこぼれる。なんか、おちおち冗談も言えない相手だな。相変わらず目線も全然合わないし、光守とはまた違った意味でやり辛いタイプだ。
「ただ、練習するなら友人や知人に頼んだ方が建設的だったんじゃないかとは思うけどな。こっちは無理やり付き合わされているだけの赤の他人でしかないし」
「それもごめんなさい……。麗華ちゃんが私のためにしてくれたことなんだけど、影山くんにしてみれば迷惑でしかないよね……?」
ごもっとも。
と首肯したいところではあるが、こいつにはまだ訊きたいことがある。ここで本心を晒して空気を悪くするのは得策ではない。
なので、質問には質問で返すとしよう。
「お前こそどうなんだ? あのギャルはやたら部活設立に躍起になっているみたいだが、お前はありがた迷惑とは思っていないのか?」
「ちょっと強引なところもあるけれど、迷惑とは思ってないかな。さっきも言ったけど麗華ちゃんが私のためにやってくれていることだし、それに私自身、男の人と普通に話せるようになりたいって考えているから」
「前に部室で言っていた、素敵な恋愛をするために──か?」
「うん。理想を言うなら、小学生の頃に読んだ恋愛小説みたいな結婚かな」
「恋愛小説? ちょうどあそこにあるようなやつか?」
言って、水連寺の背後にある本棚を指差す。
そこには『女性向け恋愛小説コーナー』と銘打ったポップと共に、様々な恋愛小説が紹介されていた。いかん。見ているだけで目が腐りそう。というより痒みで眼球を抉りたい。
「うーん……あそこに置いてあるのは切ない恋愛ものばかりだから、少し違うかも。それよりも影山くん、突然目頭を抑えてどうしたの? 大丈夫?」
なんでもないと答えつつ、俺は目元から手を離して水連寺に視線を戻す。
「じゃあどんなやつなんだ? いわゆる純愛系ってやつか?」
「どちらかと言えばそっちの方かな。私が好きだった本は、普通の女の子が貴族のカッコいい男の人に恋をして、色々悲しい出来事を乗り越えたあとに幸せな結婚をするお話なんだけれど、それがすごく感動的で今でも大事に保管してあるんだ~」
まるで大切な友人を紹介するかのように、口許を綻ばせながら水連寺は語る。
「それからなの。結婚してみたいって思うようになったのは。その頃から男の子が苦手だったけれど、いつか私も本の中に出てくるような素敵な人と夫婦になりたいなって……」
「わかる~。経済面がしっかりしていて、将来性もある高スペックなイケメンって、女の子の理想よね~。女のそういう男をステータスでしか見ない利己的なところ、あたし嫌いじゃないわよウフ★」
「えっ。わ、私、そこまでひどいことは言ってないんだけど……。というか、どうしていきなり女の子口調?」
あまりに反吐が出そうな話に、つい女口調で嘲りたくなっただけですが、なにか?
「特に意味はない。言ったこと自体は本音だけどな」
「そ、そうなんだ……。じゃあ影山くんは、ラブコメとか恋愛系の作品を読んで、登場人物に感情移することはないの?」
「俺がラブコメなんて読むわけがないだろ。ラブコメ系の作品なんて、手で触れただけで皮膚がただれるわ」
「それは誇張しすぎなんじゃないかな……?」
誇張じゃねぇよ。実際にうっかり触ってしまって皮膚が炎症を起こしたことがあるんだよ。
「それじゃあ影山くんは、普段はなにを読んでいるの? 今流行りの異世界に行って主人公が無双する話とか?」
「ああいうのは自分で妄想するから楽しいんであって、他人の妄想した俺ツエーなんて見せられても退屈なだけだろ。だいたいあれって、本屋に行っても中年のおっさんくらいしか買っているところを見たことがないぞ。残りの人生をただ静かに死だけを待っているかのような、そういうくたびれた感じのおっさんが」
「影山くん、おじさんになにか嫌な思い出でもあるの……?」
「いや別に。単に率直な意見を口にしただけだが?」
「それはそれでどうかと思うけど……。えっと、恋愛嫌いで異世界ファンタジーもあんまり興味がないってことは、ホラーとかミステリーとかが好きなのかな?」
「ファンタジーそのものに興味がないってわけじゃないが、まあそのあたりだな。恋愛や青春系じゃなければ、だいたいなんでも読むが」
「そうなんだー。やっぱり文芸部に入っているだけあって、本を読むのが好きなんだね」
「それだけが目的で入部したわけじゃないけどな。そういうお前たちは、前はなんの部活に入っていたんだ? 恋愛部を作ろうとする前はどこかの部に入っていたはずだろ?」
うちの高校は必ずどこかの部に入らないといけない決まりになっているからな。フリー期間がどれだけ許されるのかまでは知らないが。
「私は茶道部で、麗華ちゃんは国際交流部だったよ。鳴ちゃんはまだ新入生だから、どこの部にも入っていなかったけれど」
その大空ではあるが、さっきからずっとメニューを眺めるばかりで、俺たちの話に耳を傾ける素振りすら見せない。あの陶然とした面持ちからして、よほど注文した品が待ち遠しいのだろう。すっかり食いしん坊キャラが定着してしまったな、こいつ。
それにしても、あのギャルが国際交流部……ねえ。
「国際交流部って、確か英語を使って世界中の人と話してみようって感じの部だろ? あいつ、英語なんてできるのか?」
「麗華ちゃん、昔から英語は得意な方だったから。でも国際交流部に入ったのは、単にメイクが崩れなくて済むからって理由だったみたいだけれど」
なるほど。いかにもあいつが言いそうなことだ。
「もしかして、あいつのギャル友連中も同じ部だったりしたのか?」
「うん。麗華ちゃんに付いていく形でみんな国際交流部に入ったみたい。だから麗華ちゃんが部活を辞めた時も、色々大変だったみたいだよ。麗華ちゃんが新しい部を作るのなら、みんなもそっちに入るとか言い出しちゃって」
「それのなにがダメなんだ? いっそのこと、そいつらも入れてやればよかっただろ」
「それはたぶん、少し距離を取りたかったんじゃないかな? 麗華ちゃん、あの子たちの前では無理をしているところがあるから……」
「無理、ね──」
仲間のギャルたちと対面した時に見せた、あのどこか大人ぶった態度のことか。
やっぱりあいつ、ギャル友連中の前では猫を被っていたんだな。
「あ、でも、決してその子たちのことが嫌いってわけじゃないよ? 麗華ちゃん、みんなとよく買い物に行ったりとかするから。ただ、事情があってわざとあんな風に振る舞っているだけで……」
事情──つまるところ、そうしなければならない理由があるってわけか。
「それって、今日あいつが変装みたいな格好をしているのと、なにか関係していたりするのか?」
「あ、うん。きっとみんなには普段の自分を見せたくなかったんじゃないかな? どちらかというと影山くんと一緒に歩いているところを見られたくなかったっていう理由の方が大きい気もするけど……」
あっそ、と鼻白む俺。どうせそんなことだろうとは思っていたけどな。
「つまり他のギャルどもは、あいつが新しい部を作ろうとしていること自体はすでに知っているってことでいいのか?」
「知ってはいるけど、詳しい経緯までは知らないと思う」
「? なんでだ?」
「それは、えっと──……」
俺の素朴な疑問に、いかにも困ったと言わんばかりに目を泳がせる水連寺。
「いや、答えにくいことなら別に無理して言う必要はないが」
「……ううん。ちゃんと話すよ。元々は私のせいでこんなことになっちゃったんだから」
「なんだか、まるで罪悪感でも抱いているかのような言い方だな」
思っていたより長くなりそうな話に、つい厨房の様子をちらっと一瞥する俺。
今のところ注文した品が出来上がる様子は未だないが、もしかしたら話の途中で来るかもしれないし、切りのいいところで終わるように調整する必要があるな。
「それって、お前のために口止めしたって解釈でいいのか?」
こくり、と水連寺はぎこちなく頷いて、
「私ね、別に生まれた時から男の子が苦手ってわけじゃなかったんだ。でも小学五年生の頃くらいから……その……他の子よりもだんだん胸が大きくなってきちゃって……」
「あー。なんとなく展開が読めた。クラスの男子に胸のことで
俺の問いに、水連寺は茹で上がったタコのように頬を紅潮させた。これだけでもう答えを言っているようなものだな。
「……実はその通りなの。それ以来、男の子が苦手になっちゃって……。でもそのことを家族と麗華ちゃんみたいな信頼できる子以外には恥ずかしくて相談できなくて……」
「それであいつもあえて秘密にしてたってわけか」
ギャルどもに事情を話したら、芋づる式に水連寺の過去まで教えないといけなくなってしまうからな。
「しかし、どうやってそれでギャルどもを説得したんだ? いくら秘密にしたいからって、それだけじゃ向こうも納得できないだろ」
「友達のためにどうしても新しい部を作りたいって麗華ちゃんが何度も言ったら、どうにか納得してくれたみたいだよ。時間はかかったみたいだけれど」
「友達のためっていう理由だけで? よくそれで乗り切れたな」
「それは麗華ちゃんがみんなに慕われているからだよ。麗華ちゃん、すごく仲間思いだから、その気持ちがみんなに伝わったんだと思う」
仲間思いねえ。あいつの刺々しい態度しか知らない俺にしてみれば、嘘みたいな話に聞こえてならない。ギャルどもに慕われているという点だけは納得してやってもいいが。
「だとしてもあのギャル、お前に対して献身的すぎやしないか? お前の事情は今の話でわかったが、いくら男性不信を治すためとは言っても、普通、ここまでするか?」
「それは私の口からはちょっと言えないかな……」
「言えない? あいつに口止めでもされているのか?」
「そういうわけじゃないけれど、これは私が話していいことじゃないと思うから……」
つまり、本人から直接訊けってわけか。
訊いたところで教えてくれるとは思えないが、まあ頭の片隅にでも置いておくとしよう。もしかしたらなにかのきっかけで有益な情報を聞き出せるかもしれないし。
「それにしても、なんつーか、お前たちってあれだよな」
「? あれって?」
「スーパーウルトラ面倒くさい奴らだよな」
ぴくっ、と水連寺のこめかみが微細に揺れた。
「……それって、どういう意味なのかな?」
「言った通りの意味だが。今の話を聞いて面倒くさい奴だと思わない方が謎だろ」
と、自分で言っていて「あ」と思わず声を漏らした。
いかん。ついそのまま本音を漏らしてしまった。水連寺の話を聞き終えて、そんな心底どうでもいいような事情で俺は巻き込まれてしまったのかと内心辟易してしまったせいかもしれない。
「ま、いっか。ことさら訂正するようなことでもないし」
「……影山くん、そういうのは心で思っても口に出すべきじゃないと思うんだけど……。じゃないと敵を増やすだけだよ?」
「元々敵対関係だろ、俺とお前たちは」
「でもさっきは私のために注文を済ましてくれなかった?」
「だから、あれは無駄を省いただけだって言っただろ。ただでさえしょうもないことでしょうもない連中に付き合わされているって言うのに、これ以上こっちの時間を浪費されてたまるか」
「ふーん。そんな風に思っていたんだー。じゃあやっぱり、私のことも迷惑に思っていたってことでいいんだよね?」
「むしろ、迷惑以外のなんだって言うんだ?」
ドドドドド、なんてオノマトペが背景に浮かんできそうなほど、無言の笑顔で俺を威圧してくる水連寺。
図らずも、初めて水連寺と視線が合った瞬間でもあった。
もっとも、睨み合っていると言った方が適切な気もするが。
「みんな、お待たせ~!」
と、ここまで急いでやって来たのだろう──額に若干の汗を滲ませながら、光守が俺たちのいるテーブルまで小走りに駆けてきた。
「はあ~。ほんと参ったわよ~。みんな、なかなかウチを離してくれないだもん。って、なにこれ? どういう状況……?」
俺と水連寺の間に流れる剣呑な雰囲気を察してか、戸惑いの表情を浮かべる光守。
が、すぐに俺が怪しいと思ったのか、水連寺の表情を怖々と窺いつつも険の籠った小声で「ちょっとあんた」と素早くこっちに近寄ってきた。
「……一体なにがあったのよ? あんな萌の怖い顔、かなり久しぶりに見たわよ?」
「俺に訊くな。こっちは普通に受け答えをしていただけだ」
「嘘おっしゃい。どうせ失礼なことでも言ったんでしょ」
完全に俺への容疑ありきじゃねぇか、このやろう。
「これは徹底的に問い詰める必要がありそうね。店員さーん! 私の注文もお願い~!」
まるで居酒屋みたいなノリで店員を呼ぶ光守に、俺は深い溜め息をついた。
まったく、こっちはさっさと帰りたいっていうのに、この分だとまだまだ解放されそうにないな……。
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