第2話 勝負とか面倒くせぇ



「え? だれこの人?」

佐伯さえき先生だ」

 別段こっちに訊ねたわけではないのだろうが、光守の疑問に俺が佐伯先生に代わって手短に答える。

「佐伯先生……? 萌は見覚えある?」

「ううん。私は初めて見るかも……」

「自分も見たことないっスね」

 三人揃って疑問符を浮かべる光守たちに、佐伯先生は頬を掻きながら「あ、そっか。下級生だとまだ知らない子たちの方が多いのか~」と苦笑した。

「じゃあ改めて名乗るわね。あたしは佐伯さえきかや。普段は三年生の現代文を担当しているから、あなたたちと顔を合わせるのはこれが初めてかもしれないわね。ついでに言っておくと、文芸部の顧問でもあるのよ」

「え、ここって顧問いたの?」

「いるに決まっているだろ。顧問がいなきゃ、そもそも部として認めてもらえないだろうが」

 アホみたいなことを言い出す光守に、俺は嘆息混じりに突っ込む。

 ちなみに部を設立する場合、必ず一人は顧問が必要になると生徒手帳にも明記されている。こいつのことだからちゃんと目を通した機会がないのだろう。まあ、俺もすべての内容を把握しているわけでもないのだが。

「わー。綺麗な先生。でもどうしてジャージなんですか? 現代文担当なんですよね?」

「なんでって、そりゃあジャージの方が楽だからよ」

 水連寺の問いに、身もふたもない返し方をする佐伯先生。

 そんな佐伯先生に、水連寺は笑顔を強張らせて「楽……」と言葉を失っていた。

 気持ちはわかる。見た目は宝塚の男役でもやっていそうなほど凛々しくてカッコいい女性なのに、ジャージを着ている理由が「楽だから」というまさかの一言だしな。俺も佐伯先生と初めて会った時は、水連寺とまったく同じ反応をしたものだ。

 いや、ジャージの方が楽というのはよくわかるし、その方が仕事もしやすいのだろうが、せめてもうちょっとマシな理由はなかったのだろうかと思う。体育教師でないというのなら、なおさら。

「それで、さっきの『まんざら噂でもない』というのはどういう意味なんですか?」

 俺に水を向けられ、佐伯先生は今思い出したとばかりに手をポンと打って、

「あ、そういえばまだ途中だったわね。実はちょっと前に職員会議があったんだけれど、そこで部活が多すぎるのが問題視されて、現存する部の見直しが近々行われるのが決定しちゃったのよ」

「部活の断捨離……」

「やっぱり、一部の生徒には知られちゃってたかー」

 光守がふと漏らした呟きに、佐伯先生は苦味走った笑みを浮かべた。

「本当は後日、体育館にみんなを集めて知らせるつもりだったのだけど、どこかで情報が漏れたみたいねー」

「ほら見なさい! やっぱり本当のことだったじゃない! きっとあんたみたいな友達の少ない奴だけしか知らなかっただけなのよ!」

 勝ち誇ったように言う光守に、俺は憮然と腕を組んで「ふん」と鼻を鳴らす。

「勘違いするな。俺は友達が少ないんじゃない。友達がいないんだ」

「…………、えっ。なんでそれ言っちゃったの? 言い直す必要なんてあった?」

「ある。大いにあるね。友達なんて足枷にしかならないような存在が、俺にもいるとは思われるのは甚だ心外だ」

「えー……。あんた、どんだけ性格が捻じ曲がっているのよ。今からでも心理カウンセラーに診てもらった方がいいんじゃないの?」

 大きなお世話だ。

「それより先生。その見直しというのは、具体的にはどう行われるんですか?」

「現時点で少数の三年生しかいない部や、規定の部員数に足りていない部などが見直し対象になっているわね。もっとも今すぐどうこうする話でもないし、あくまでも部室からの退去を命じるだけで、廃部扱いにするわけじゃないけれど」

 俺の質問に、苦々しい表情で答える佐伯先生。佐伯先生としても本意ではないということなのだろう。

「じゃあ文芸部は? 今のところこいつ一人しかいないし、その見直し対象というのに入るんじゃないの?」

 俺を不躾に指差しながら問うた光守に、佐伯先生は「まあそうね」と頷く。

「なにかの大会で表彰されたというのなら話は別だけど、これまで文芸部がどこかの賞に選ばれたっていう経歴はないし」

「ということは、やっぱりウチらの部室にしていいってこと!?」

「このまま新入部員が入りでもしない限りはね。それもあと二人以上は」

 佐伯先生はああ言いはしたが、まあ無理だろうな。なにせ勧誘活動なんて一切してこなかったのだから。

 ようは身から出た錆という話ではあるのだが、急な話だったため、こっちとしても戸惑いを隠せない。

「悪いわね、影山。あたしもどうにかして止めようとはしたのだけど、全然話を聞いてもらえなくてね……」

「いえ、先生も公務員とはいえ雇われている側ですし、上に逆らえないのは仕方ないことですよ」

「くっ……! 会議前にカップ酒を飲もうとしたのがまずかったか……! でも、ちょっとくらい見逃してくれたっていいじゃない! こちとら連日残業で心身共に疲れきっているというのに! あの毛髪詐欺め、今度あったら生徒たちの前であのカツラを毟り取って、ハゲ教頭って渾名を学校中に定着させてやろうかしら……!」

 完全に自業自得だった。

 ていうか、逆恨みがすぎる。

「……なんかこの先生、思っていたよりアレな人ね」

「うん。見た目は綺麗なのにね……」

「残念美人って奴っスね」

 佐伯先生のやばい言動に、こそこそと身を寄せ合って内緒話をし出す女子三人。はっきり言って会話が丸聞こえ状態なのだが、まあいっか。本当のことだしな。

「先生。そんなことより、さっきの続きを話してもらえませんか? まだどんな形で退去を命じられるのか、聞いていないままなので」

「そんなこと!? ちょっと影山、こちとら酒もなかなか飲めない残業続きの毎日を送っているのに、そんなことの一言で済ますつもり!? 今まであたしが残業をしていられたのも、カップ酒のおかげだったのよ!?」

「初犯じゃないんかい」

 普通なら解雇案件のはずじゃね?

「あとで肩揉みでもなんでもしますよ……それより話の続きをお願いできますか?」

 俺の言葉に多少は気を良くしたのか、佐伯は少し嬉しそうに頬を緩めて、

「そ、そう? それならまあ話を続けようかしら」

 言いながら、懐から四つ折りにされた紙を取り出す佐伯先生。そうして佐伯先生の手ずから広げられた紙には、文字の羅列のようなものが裏面から透けて見えた。

「これはまだ秘匿情報なんだけれど、すでに退去を検討されている部がいくつかあって、この紙にリストアップされている部は、近日中に生徒会から退去勧告を受ける予定になっているわ」

 思わず「えっ」と両目を剥きつつ、佐伯先生から紙を受け取って文芸部の名を探す。

「マジか……」

「なに!? もしかしてここも載っていたの!?」

 呆然とする俺からリストを強引に奪い取って、光守が水連寺と大空と一緒になって書面を眺める。

「あ! あった文芸部! ていうことは、ここも近い内に空きになるってことね人 やったあ!」

「れ、麗華ちゃん、ちょっと喜びすぎだよ……」

「だって、ウチたちの部室がようやく手に入るのよ!? 喜ばないでどうするのよ!」

 俺の方を気遣うようにちらちらとこっちを窺う水連寺とは対照的に、光守は嬉々とした表情でぴょんぴょん跳ねる。

 佐伯先生の話からして、部室を取り上げられるのはほぼ確実のようだが、まさかこんなに早く退去(まだ実際には勧告されてはいないが)を命じられるとは思ってもみなかった。

 そうか、数少ない俺の居場所がもうじき無くなってしまうのか……。無念というかなんというか、もはやショックがでかくて言葉も出ない。

「ふっふっふっ! 運命の神様はウチたちに味方してくれたみたいね! ざまあ見なさい、この陰険童貞野郎が! あんたみたいな死んだ魚みたいな目をした奴は、冷凍庫の中で一生閉じこもっていればいいのよ! 魚と一緒にね!」

「麗華ちゃん、言葉遣いが汚いよ……。あと、そんなに上手くもないし……」

 なんて西蓮寺のツッコミも馬耳東風とばかりにスルーして、光守はビシッとネイルが塗られた人差し指を俺に向けて突き立てた。

「さあ、今度こそウチたちにこの部室を渡しなさい! もう言い逃れしたって無駄なんだからね!」

「だが断る」

「うんうん。あんたもようやく観念したか。色々言い合ったりはしたけれど、いつかあんたの部に人が集まるのを陰ながら祈って……って断るぅぅぅ!?」

 本日二度目のノリツッコミ、いただきました。別にいらんけど。

「なんでそうなるのよ!? さっきまでの話、聞いてなかったの!? 近い内に空く予定の部室を、ウチたちが先約するっていうだけの話じゃない! なんの問題があるのよ!?」

「問題はない。問題はないが──」

 そこで俺はおもむろに椅子から立ち上がり、逆に指を差し返して言った。

「そっちにくれてやるくらいなら、他の部に譲ってやるまでだ! お前らの思い通りにさせてたまるかブァーカ!」

「はああ!? ほんとありえない! このクズ!」

 クズでけっこう。こいつの困った顔が見られるのなら、いくらでも外道に堕ちてやるわ。

「もう! どこまでも融通の利かない男ね! あんたみたいな面倒な奴は、いっそのこと運動部にでも入っちゃえばいいのよ! それで仲間と一緒に青春の汗でも掻いて、少しでもその曲がった根性を矯正してもらいなさい!!」

「運動部とか、ぺっ!!!」

「きゃあ!? きったな! なんで唾なんて吐くのよ!? しかも部室で!」

 即座に俺から距離を取る光守。どうせならこいつの顔にでもかけてやるべきだったかと思ったが、さすがにそれはまずいか。佐伯先生もしかめ面になっているし。

「なに、あんた運動部が嫌いなの? うちの野球部とサッカー部、けっこう強くて有名なのよ?」

「はんっ。運動部なんて、ろくでもない連中の溜まり場でしかないんだよ。野球部はタバコの喫煙がバレて地区大会出場禁止になって、サッカー部は校内での乱交が発覚して全員停学処分にでもなっちまえばいいんだ。ついでに全員もげろ」

「なにその偏見……。なんか根拠でもあるの?」

「俺の独自の調査による統計だ」

「どんな調査よ……」

 それは企業秘密だ。他人に話すつもりは一切ない。

 だいたい奴ら、運動部というだけで文化部にマウントを取りがちなんだよな。運動ができるというだけで俺みたいな陰キャよりも立場が上とでも思っているのだろうか。だとしたら猿山のボス気取りも甚だしい。

「……ねえ麗華ちゃん。もういいんじゃないかな?」

 と、離れた位置で俺らのやり取りを見ていた水連寺が、躊躇いがちに光守の袖を後ろから掴んだ。

「影山くんもああ言っているし、一度日を改めるのはどうかな?」

 などと言う水連寺に対し、光守は慌てて背後を振り返って、

「待ってよ萌! 諦めるのはまだ早いわよ。どこかの部に取られる前に早くウチたちのものにしないと、ただでさえこっちは顧問がいなくて不利なんだから……!」

「ん? お前さっき『顧問がいない』って言ったか?」

 俺の問いかけに、光守は「あっ!」と声を上げてよろめいた。

「ううっ。また口を滑らせちゃった……。絶対言わないように気を付けていたはずなのに~!」

「あれ? あなたたち、まだ顧問がいなかったの? それだと部室はあげられないわねー。ていうか、そもそも顧問がいない状態だと部すら設立できなかったような……?」

 なんて首を傾げる佐伯先生に、光守も水連寺も気まずそうな顔で互いを見合った。ちなみに大空はというと、腹をさすりながら「お腹空いてきたっス~」と嘆いていた。こいつ、本当にブレないな。

「なるほど。なんでそこまで文芸部の部室にこだわるのかと疑問に思っていたが、そういうことか。つまりお前らは顧問の先生が正式に決まるまで、先に部室を押さえておきたかったんだろ? 取り合いになりにでもしたら、絶対に勝ち目なんてないから」

 俺の指摘に「くっ……」と悔しそうに歯噛みする光守。

 とどのつまり、こいつは部室欲しさに虚言を吐いていたというわけだ。

 恋愛研究部なる架空の部をでっちあげて。

「部室を欲しがっているところなんて、他にもいっぱいあるからねー。あたしが職員会議で聞いた限りでは、二十近くの部が部室を欲しがっているみたいだし。だから仮に顧問が見つかったとしても、壮絶な取り合い合戦になるでしょうね」

「二十近くって……。あ、そうだ! 佐伯先生にウチらの顧問になってもらうっていうのはどう!? 文芸部が無くなれば、先生も空いてくるわけだし!」

「ふざけんな。俺は文芸部を無くすつもりはないぞ。たとえ同好会扱いになって、部室を追い出されたとしてもな」

 それに、今さら他の部に行く気もないし。部室が無くても、部活動自体は図書室とかでも可能だしな。他人と同じ空間にいなきゃいけないのだけは苦痛ではあるが。

「うーん。それだと他の部の顧問にならなきゃいけないし、ちょっと厳しいわね~。ていうか、これ以上働きたくなんてないし……」

 最後にぼそっと本音を漏らす佐伯先生なのであった。俺的には逆に頼もしい限りである。いいぞ、もっと光守を絶望させてやれ。

「そんな~。じゃあウチたち、やっぱり顧問の先生を探さないといけないの~?」

「まあ、そうなるかしらね。心当たりのある先生がいたら紹介してあげてもよかったのだけれど、みんな忙しいから望みは薄いわねえ。そもそもあたし、あんまり仲のいい先生がいないから……。特に男の先生には酒癖の悪い女って噂されているみたいで、心なしか敬遠されているような気がするのよね……」

 いや、なにも佐伯先生の絶望まで見せなくても。不憫すぎてこっちの胸まで痛くなるぜ……。

「なんか、結局ダメそうな感じっスね」

 と、それまで静観ばかりしていた大空が、ここに来て話を締めるような言葉を発した。

 さてはこいつ、空腹のあまりさっさと帰りたくなったな? そういう素直なところ、嫌いじゃないけどな。

「そうだね。鳴ちゃんの言う通り、このまま話しても平行線が続くだけだと思う。ね、麗華ちゃん。今日はもう帰ろう?」

「くう~っ。せっかく部室を押さえられると思っていたのに~。こんな根暗陰険童貞クソ野郎さえいなかったら~!」

「あっはっはっ! いくらでも言うがいいわ! おら、用が済んだらさっさと帰れ! こちとらお前の顔なんて一生見たくないんだよ!」

「それはこっちのセリフよ! ほんとありえない! ああもう、こいつに一泡吹かせてやりたい~!」


「あ。だったら、この際あなたたちで勝負をしてみるのはどう?」


 と。

 清々しい気分で光守たちを見送ろうとした矢先、佐伯先生が良いことを思い付いたと言わんのばかりの笑顔で口を開いた。開きやがった。

「勝負……? ウチらがこいつと……?」

「ええ。だって、この部室が欲しいのでしょう? だったら部室を懸けて勝負でもして決めたら?」

「待ってください先生。それ、こっちになんのメリットがあるんですか?」

 と、厳めしく目を眇めつつ、俺は問い詰める。

「このままだと部室が無くなるのは確かなんでしょうけれど、それでもこいつらに寄越すくらいなら期限ぎりぎりまで粘って、他の部に渡した方がまだマシなんですが?」

「そう怖い顔しないでよ。あたしだってなにも考えなしに勝負なんて話を持ち出したわけじゃないから。どっちかが損する未来を待つくらいなら、せめてどちらかが得する未来を勝ち取ればいいと言っているだけよ」

「どちらかが得する未来……。それってどういう意味ですか?」

 一度は踵を返して部室から出て行こうとしていた水連寺が、佐伯先生の話に興味を引かれたのか、再び元の位置に戻って疑問を投じる。

「影山、あんただってこのまま文芸部の部室が無くなるのは惜しいでしょ?」

「それは、まあ……」

「だったら、あんたが勝利した場合、この三人に入部してもらえばいいのよ。それなら部活動も続けられるし、部室を追い出される心配も無くなるわよ?」

「「はあ!?」」

 思いも寄らなかった提案に、つい光守と一緒に声を合わせてしまった。

 くそっ。俺としたことが、こんなクソギャルと同じリアクションを取ってしてしまうとは、一生の不覚……!

 いや、ひとまず反省はあとにしておこう。今はそれどころじゃない。

「なんでこいつと同じ部員にならなきゃいけないのよ! ウチは絶対に嫌よ!」

「嫌ってお前、ちょっと前に俺を勧誘したばかりだろうが。もう忘れたのかよ」

「あの時はまだ仏心でウチたちの部に入れてあげようとしただけよ! こんなに最悪最低な奴だとわかっていたら最初から勧誘なんてするわけないでしょ! あんたと一緒なんて、想像しただけで寒気がする~っ!」

「はんっ。それはこっちのセリフだっつーの。お前と同じ部とか、寒気を通り越して吐き気を催すわ」

「あんたたち、さっきからケンカばっかりねー。ケンカするほど仲がいいってやつ?」

「「絶対違うっ!」」

 ああくそ。また光守なんかと声を揃えてしまった……!

「まあまあ、とりあえず落ち着いてあたしの話を聞きなさい。まずはそこの金髪ちゃん」

「き、金髪ちゃん? ウチのこと?」

 まさか教師に渾名っぽい呼び方をされるとは思ってもみなかったのか、キョトンとした表情で自身の顔を指差す光守に、佐伯先生は終始飄然とした口調で「そうそう。そこの金髪ちゃん」と繰り返す。

「金髪ちゃん、ここの部室が欲しいのでしょう? なら勝負に勝てばいいだけとは思わない? そうすれば影山と同じ部に入る必要なんてないし、なにより部室が手に入っちゃうのよ?」

「それは……そうかもしれないけど……」

 納得し難そうに顔を逸らす光守。不満は多々あるが、提案そのものは検討しなくもないとでも言ったところか。こいつの表情を読む限りは。

「で、影山。あんた、この部室を手放したくないんでしょ? ならさっきも言った通り、金髪ちゃんたちに入部してもらえばいいじゃないの。あんたみたいな偏屈な奴が、今さら新入部員を呼び込めるはずもないし」

「後半は否定しませんが、だからと言ってこいつらに入部してもらってまで文芸部を存続させたいとは思いませんよ。部室が無くなるのは確かに惜しいですが、このギャルが喜ぶ顔を見るよりは断然マシです」

「あんたは相変わらず捻くれているわねえ。三人共、可愛い子ばかりじゃない。言ってしまえばハーレム状態になれるのよ? ほら、やる気になってきたでしょ? ムスコもビンビンしてきたでしょ?」

「セクハラはやめてください」

 ほんとに教師か、この人。

「だいたい、自分に気のある女子でもない奴らに囲われたところで、嬉しくもなんともありませんよ。むしろ居心地が悪いだけです」

「強情ね~。ともかく、もうちょっとだけあたしの話を聞きなさい」

 言いながら、強引に俺の首に腕を回して顔を寄せてくる佐伯先生。

「……あのー、胸、当たっているんですが……」

「当てているのよ。すかした顔しているけれど、本当は背中に伝わるおっぱいの感触を内心楽しんでいるんじゃないの~?」

「俺が? はっ。これくらいで興奮なんかしませんよ」

 前髪を掻き上げて、俺は鼻で笑った。

 実はめちゃくちゃ興奮している俺です。

 恋愛は嫌いだが、普通に性欲はある思春期男子だからね。ドキドキしちゃうのは仕方ないよね。

 なんて当惑するこっちの気持ちを知ってか知らずか、俺の体ごと光守たちに背中を向けて、

「話を戻すわよ。金髪ちゃんたちを部員に入れたとしても、実質部長はあんた──つまり命令権は影山の手の中にあるってわけよ。それだけで魅力的だとは思わない?」

 耳元で囁く佐伯先生に、俺は若干顔を逸らしながら「はあ」と相槌を打つ。

「なによ。気のない返事ね」

「いや、あいつら……特にあのギャルは個人的にすごく気に入らないですけれど、別に命令したいとか優越感を得たいと思っているわけではないので」

「わかってないわねえ、影山は。ああいうツンツンキャラが敗北に屈して涙を流すところを見るのが乙なんじゃない。エロ同人なら罰ゲームで凌辱されるところね。しかも乱交」

「仮にも教鞭を取る立場の人が、教え子にいらん性癖を吹き込まないでくださいよ」

 まあ、興味がないって言ったら嘘になるが。

「だいたい、このままだと一番困るのはあんたの方じゃないの? 影山のことだから、部室を取られても図書室で活動すればいいとか考えているのでしょうけど、あそこ、いつでも使えるわけじゃないのよ? 放課後の図書室はまれに補習で使われる場合もあるし、文化祭が近付いてくると比較的多くの生徒が利用する傾向にもあるわ。そんな中で単独行動好きのあんたが耐えられるの? いくら同好会扱いになったとしても、あまり休みが多すぎると他の部に強制入部させられるかもしれないわよ?」

「うっ……」

 そう来たか。

 いやでも、仮に廃部になったとしても、だ。また将来的に一人占めできそうな部を選べば──

「ちなみに、文芸部の時みたく三年生しかいない部を選んでも無駄よ。どのみち一人になるとわかっている部をこのまま放っておく理由なんてないんだから。でなきゃ、また部室不足の原因にもなっちゃうし」

「うぐうっ!」

 トドメの一発を受けたかのような気分だった。

 それを言われては、もうどうしようもない。

「で、返事は?」

「………………やります」

「うんうん。素直な子は好きよ~」

 よく言う。脅迫じみたことを言っておいてからに。

「おーい。影山が勝負してもいいって~」

 観念して重い溜め息を吐く俺とは裏腹に、溌剌とした声音で光守たちに手を振る佐伯先生。曇らせたい、その笑顔。

「勝負してもいいって言われても……。ねえ萌。萌はどう思う?」

「わ、私? えっと……あの、佐伯先生? 少し質問いいですか?」

 おどおどしながら手を挙げる水連寺に、佐伯先生は鷹揚に頷いて、

「いいわよ。なんでも訊きなさい」

「えっと、仮に私たちが勝っても、このまま顧問がいなかったら部室は貰えないんですよね? それだと意味がないように思えるんですけれど……」

「あ、ほんとだ。言われてもみればウチたち、勝負するだけ無駄でしかないじゃない!」

「安心しなさい。そっちが勝った場合、あたしがあなたたちの顧問になってあげるから。面倒とは言ったけど、別にできないわけでもないしね。ていうかこのまま文芸部が同好会扱いになったら、絶対手が空いたとか思われそうで後々怖いし……」

 どこまでも自分に正直な先生だった。

 困るのは俺の方じゃないのかと言っておきながら、その実、佐伯先生が一番困っていたのではないか疑惑浮上な件。

「ほんと!? やったわ萌! これで部室も顧問の問題も両方一気に解決よ~っ」

「う、うん。まだ勝ったわけじゃないけどね……」

「肉まん、食べたくなってきたっス」

 佐伯先生の色好い返答を聞いて、キャッキャ子供みたいにはしゃぐ光守。西蓮寺の言葉じゃないが、勝負すら始まってもいないのにあんなに喜ぶとか、気が早すぎるだろ。脳内が黄色い花畑にでも埋め尽くされているのか、あの女は。

 それと大空に関しては、もはやなにも言うまい。そのままのお前でいてくれ。

「それで、勝負というのは具体的になにをすれば?」

「ん? あ、そっか。まだ内容までは話していなかったわね」

 俺の質問に、佐伯先生はしばらく「う~ん」と腕を組んで考え込んだあと、

「そうねえ。確かあなたたち、恋愛に関する研究をしたいって話していたわよね?」

「えっ。まあそうだけど、でも先生、いつからウチたちの会話を聞いていたの?」

「実はけっこう前から。いやー、面白そうな話をしていたものだから、ついつい聞き耳を立てちゃってね~」

 教師のくせして、趣味の悪いことを……。

「こほん。ま、それはともかく……」

 白い目をしている俺たちを見て気まずくなってきたのか、わざとらしく咳払いをしてお茶を濁しつつ、佐伯先生は話を続ける。

「恋愛の研究がしたいのなら、ここにうってつけの人材がいるわ。影山という青春嫌いを絵に描いたような男がね」

 は? なんでいきなり俺?

「そこで、影山に恋をさせたら、あなたたち恋愛研究部の勝ちというのはどう?」

「いやいや、ちょっと待ってくださいよ!」

 耳を疑いたくなるような発言に、俺は思わず立ち上がって佐伯先生に詰め寄る。

「どうしてそういう話になるんですか。俺がそういうのをめちゃくちゃ嫌っているのは、先生もよく知っているはずですよね?」

「もちろん知っているわよ。知った上で言っているのよ」

「だったら、なんで──」

「いい? 影山」

 と、質問を遮る形で俺の肩に両手を置いてから、佐伯先生は穏やかな瞳をこちらに向けてこう言った。

「あんたはまだ十代なの。この先、色々な経験があんたを待っているとは思うけれど、子供の内の恋なんて今しかできないの──辛いこともあるかもしれないけど、きっとどれも影山にとってかけがいのない貴重な財産になるわ。それを上手く生かすか殺すかはあんた次第だけれど、どちらにしても思い出という形として影山の中にずっと残ってくれるのは確かなはずよ。きっとそれが、あんたの心の成長にも繋がってくれるわ」

「先生……」

「ていうか、大人になったらそうそう簡単に恋愛できるものじゃないのよ? 社会人になったら学生の時よりも格段に出会いの機会が減るし、休日は自分を癒すので精一杯だし、たまに出会いがあっても、お互いの仕事とか趣味とか未来の展望の食い違いが気になって自然と心の距離が開いてしまったり、マジで色々と大変なんだから。あたしぐらいの年齢になると、どんどん心が擦り減っていく一方よ。だからあんたも少しは恋愛の苦しみを知りなさい。そして、あたしの心の渇きを爆笑で潤して☆」

「先生……?」

 それって、完全にあんたの憂さ晴らしでしかなくない?

 しかも教え子の色恋沙汰を笑う気満々でいやがるし。もはや人格を疑うレベルである。いや、元からこういう人だということは知っていたけれども。

「なによー、見るからに不満そうな顔をしてー」

「むしろ不満しかないですよ」

 嘆息しつつ、俺は椅子に座り直して語を継ぐ。

「そもそも、単純にじゃんけんではダメなんですか? 恋愛で勝敗を決めるとか、ちょっと曖昧すぎる気がするんですけれど」

「じゃんけんで決めるとか、そんなのあたしがつまらないでしょ!」

「いや、知らんがな」

 世界の中心か、あんたは。

「だいいち、あんたたちはそれで納得できるの? もしこれで負けたらあっちの三人は部室も顧問の当ても無くなるわけだし、影山に至っては一年近くいた部室から追い出されることになるのよ。それをじゃんけんなんて運試しで決めて本当にいいのかしら?」

「それは……」

 続く言葉が見つからなかった。

 確かに、じゃんけんで負けでもしたら、そう簡単には割り切れないかもしれない。それだけこの部室は、俺にとってかけがえのない大切な居場所となってしまっているのだから。

「そうねー。ウチもじゃんけんなんかであっさり決めたくはないかも。先生も言っていたけど、ウチたちにとってまたのないチャンスでもあるし」

 返事に言い淀む俺に同意する形で、光守も意見を述べる。

「でも、麗華ちゃん。影山くんに恋をさせるのって、そんなに簡単なことじゃないと思うよ?」

「問題はそこよねー。こいつ性格も口も悪いし、おまけに見た目も幽霊みたいに陰鬱としているから、告白する前に女の子の方から逃げ出しそうだもの」

「そ、それもだけど、それだけじゃなくて……」

 水連寺の奴、肯定しやがった。

 所詮はこいつも光守側の人間ということか。あとでこいつも光守と一緒に呪詛の念を送ってやる。そんで犬の糞でも踏むがいい。

「影山くん、恋愛が嫌いって言っていたでしょ? だからすぐに恋人ができるとは思えないし、時間もかなり掛かると思うの……」

「あー。言われてもみれば、確かにそうね。ねえ先生、そのへんはどうする気なの? あんまり長すぎるのもどうかとも思うけれど」

「期間かー。ちょうどこのリストアップされている中のどれが対象にされるかが二、三日以内で決まるはずだから、だいたい今日から二週間以内ってところかしらね」

 パンパンとリスト表を叩きながら言う佐伯先生に、俺はすかさず手を挙げて、

「先生。その二週間以内っていうのは、どうやって決めたんですか?」

「現時点の話ではあるけれど、仮に退去通告を受けた場合、その日から十日以内に部室を開けなければならない決まりになっているの。その後、抽選で部室の使用権を争ってもらうことになるけれど、こっちも諸々の段取りで三日程度は掛かる見込みね」

 そこまで具体的に話が進んでいたのか。文芸部がここから追い出されるのはほぼ確定のようだし、これは本腰を入れてなんとかしなければ。

「え~? 二週間以内っていうのはさすがに短すぎない? ただでさえ他人に恋をさせるなんて簡単なことじゃないのに、その相手がこいつよ? 二週間程度じゃあ全然足りないくらいよ」

「じゃあ今からでも他の部室を探してみる? あたしは別に止めないわよ?」

「……その質問はずるい。顧問がいないウチらにとって、他の部室を探す選択肢なんてあるわけないじゃない」

 唇を尖らせる光守に、ふふんと胸を張る佐伯先生。年下相手に、なんて大人げない。

「ていうか、一応これはあなたたち恋愛研究部のためでもあるのよ。活動内容がちゃんと把握できるようにね」

 活動内容? と首を傾げる光守に、佐伯先生は腕を組みながら言葉を紡ぐ。

「あんたたち、まだ部の申請書を出していないでしょ? 申請書には具体的な活動内容を書かないといけない欄もあるのよ? そのへん、ちゃんと考えているの?」

「え? それって、恋愛を研究するだけじゃダメなの?」

「それだとアバウトすぎるわ。十中八九、そんな申請書だと絶対に認めてもらえないでしょうね。吹奏楽や茶道と違ってメジャーな部活動でもないし」

「じゃあ、恋愛マンガを読んで勉強するのっていうのは?」

「それでもまだ不十分ねー。マンガや本を読むだけなら、どこでもできるようなことなんだから」

 部活動の一環としては認めてもらえるでしょうけれど、と佐伯先生。

「え~? 申請書って面倒くさい~。だったらなんて書けばいいの~?」

 水連寺の肩にもたれかかって不満を吐露する光守に、佐伯先生は仕方ないと言わんばかりに苦笑をこぼして、俺の方に視線を向けた。

「影山。ここの活動日誌を見せてやりさない。少しは参考になるでしょ」

「はあ……」

 溜め息に近い応答をしつつ、俺は無言でテーブルの上に置かれている日誌を手に取り、そのまま光守に差し出した。

 対する光守はというと、俺から物を受け取ることすら嫌気が差すと言わんばかりに顔をしかめながらも、黙って日誌を受け取ってパラパラと日誌に目を通し始めた。

「……へえ。色々な本の読書記録が書かれているのね。さすがは文芸部といったところかしら。──ん? でもたまになにかのコンクールに参加した記録もあるわね。俳句とか読書感想文とか……」

「さっきも言ったけれど、本を読むだけじゃ部として認めてもらえないの。だからなにかしらの活動実績が必要になるのよ。文芸部だと文章関係の公募がそれに該当するわね」

 佐伯先生の言葉に「ふうん」と頷く光守。それから一通り読み終えたあと、俺に日誌を返して、

「それで、先生はウチにどうしろって言いたいの? 申請書の内容がすごく重要だってことはわかったけれど……」

「つまり、影山を研究対象にして実績を作ればいいのよ。うちの学校は恋愛を禁じているわけではないし、しっかりとした実績もあれば申請も通りやすくなるはずでしょうから」

「こいつで実績を~? こいつで~?」

 と、多分に嘲りを含んだ目で俺を見下す光守。その目、今すぐ潰してやろうかデコトラギャルが。

「こんな性根の腐った童貞野郎が、真剣に恋活するとは思えないんですけれど? そもそもこいつ自身が恋愛嫌いって言っている以上、こっちがなにかしてあげても時間の無駄でしかなくない?」

「だったら別の勝負にする? 他には『ドキドキ☆水着だらけのお尻相撲~ポロリもあるかも?~』とか『水着ローションプロレス~ポロリもあるよ!~』とか『水着借り物競争~ただし借りられるのは相手の水着だけ。これはポロリしかない!~』とかあるわよ」

「全部水着じゃない! しかもなんでポロリ前提!? ウチに胸を出せって言うの!?」

「だって、そういうハプニングがあった方が面白いでしょ? あたし、昔の深夜番組でやっていたようなノリが好きなのよ~」

 昔の深夜番組って。それ、年代的に言うと佐伯先生が小学生の頃に放映していた計算になると思うのだが……。

「絶対に嫌よ! そんなふざけた勝負!」

「え~? じゃあ勝負なんてもうやめる? あたし的には影山と勝負してほしいんだけどな~。……そっちの方が色々助かるし」

 またもやボソッと本音を漏らす佐伯先生。この人、自分に正直すぎやしないか?

 そんな佐伯先生に対し、光守は慌てて首を振って「そこまで言ってない!」と声を張る。

「ただ不公平って言いたいだけよ。元から恋愛に興味がない奴に恋をさせるなんて、どう考えてもこっちの方が不利じゃない。マジでありえないわ」

「けど、そっちは三人で影山は一人なのよ? 数だけで言うならそっちの方が有利だし、なにより金髪ちゃんはそこにいる巨乳ちゃんのために恋愛を研究したいんでしょ?」

 いや『巨乳ちゃん』って。あんまりな呼び方に、水連寺本人も顔を真っ赤にして硬直してしまったぞ。まあ、そう呼びたい気持ちはわからなくもないが。

「具体的にどうしてあげたいのかまでは知らないけれど、その奥手そうな子に理想な彼氏を作らせてあげたいのなら、影山に恋をさせるくらいの意気込みでないと、この先苦労するんじゃないの? 見たところ、そっちは女子しかいないようだし、男側の意見も貴重なんじゃないかしらー?」

 なかなか真っ当なことを言う佐伯先生に、光守は隣にいる水連寺を横目で一瞥したあと、不機嫌そうに腕を組んで黙り込んでしまった。

 決して納得したわけではないが、言い分はわからないでもないとでも言ったところか。あるいは一考の余地ありと思っているのかもしれない。

 まあこいつらにしてみれば、男側の意見なんてなかなか訊けないだろうからな。光守は男友達そこ多そうだが、処女を隠している以上、そこまで踏み込んだ話はできないだろうし、水連寺にしても男が苦手という時点で論外。大空に至っては言わずもがな。とてもじゃないが、男と恋愛トークができるとは到底思えない。

 そういう意味では、俺という存在はなにかと便利なのかもしれないな。お互い第一印象が最悪だし、これ以上関係がこじれたところで私生活になんら支障もないし。

 ゆえに、佐伯先生の提案は渡りに船とまでは言わずとも、光守たちにとってさほど悪い話ではないはずだ。こっちと違って負けてもなにかを失うわけでもないし、それどころか部活設立に必要な実績だって作れるのだから。

 むしろ勝てば俺を追い出して部室と顧問を両方ゲットできるのだから、光守たちの方が得とも言える。

 あれ? よく考えたらこれって、俺が勝ってもあんまりメリットがないっていうか、こいつらが入部して文芸部を存続できたとしても、俺の居心地悪くなるだけじゃね?

 ちきしょう。まんまと佐伯先生の口車に乗せられてしまったぜ……。

「──先生の言いたいことはわかったけどさー」

 と、勝負に乗ってしまったことを内心後悔していた最中、光守が不意に口を開いた。

「でもそれって、こいつ以外じゃダメなの? たとえば相談者でも適当に募ってさー。それでウチらが恋を応援する側で、こいつがその恋を妨害する側とで別れて勝負するとか」

 なんか、一昔前のラノベにありそうな話を持ち出してきたな。

 なんて思っていたら、佐伯先生も同じようなことを考えていたようで、

「なにそのラノベみたいな展開。世界を大いに盛り上げる何某の団みたいなノリねー」

 と、ほとんど作品名を言っているかのような例えで感想をこぼした。

 まあそれを言い出したら、部室を懸けて勝負をするという時点ですでにラノベみたいな展開ではあると思うのだが。

 しかしながら、光守たちにはなんのことだか全然わからなかったようで、三人揃ってちんぷんかんぷんといった面持ちをしていた。ま、そりゃそうか。普段ラノベどころかアニメすら見そうにない連中だし。

 俺と佐伯先生は普段ラノベやマンガの貸し借りをするくらいの関係ではあるので、今の例えにもすぐピンと来たけれども。

「ご、ごほん。まあ、それはいいとして……」

 光守たちの微妙な反応を見て気まずそうに咳払いしつつ、佐伯先生は続ける。

「その内容でもあたしは構わないけれど、その代わり、どうなっても知らないわよ? なにせ影山は卑怯上等を地で行くような男なんだから。どういう手で相談者やあんたたちを罠に嵌めようとするのか、あたしにも想像できないわ」

「えっ。そんなとんでもないことまでするの、こいつって……」

「する。影山は平然とする。昔の話になるけれど、影山がまだ新入生だった頃、後々文芸部を独り占めするために裏で画策していたことがあったんだから。おかげで去年は影山一人しか新入部員が入らなかったわね~。今年は今年でなにも勧誘活動をしなかったせいで一人も入らなかったし」

「……うわっ。もう最低を通り越してゴミねゴミ。しかも黄色いゴミ袋の方の」

 だれが有害ゴミか。

「ていうか、文芸部にいた上級生の人たちはなにも言わなかったの? 文句のひとつくらいあってもいいと思うんだけど?」

「あの子たちはなにも知らなかったから。あたしもそのことに気付いたのは去年の暮れ頃だったし、その時には三年生も引退していたから、受験の邪魔になるようなことだけはしたくなかったのよ」

「……あんた、一度死んでみた方がいいんじゃないの? これだけ人に迷惑を掛けておいて悪びれもしないとか、ゲスの極みよ?」

「それがどうした。別段先輩方に不快な思いをさせた覚えはないし、死んで詫びるような覚えはなにもないね」

 そもそも、先輩方とはそんなに親交があったわけでも険悪だったわけでもないので、お互いどうとも思っていないはずである。

「それより、本当に第三者を介入させての勝負でいいのか? 俺は別にそっちでも構わないが」

「あんな話聞かされて『うん』とでも頷くと思った? 絶対嫌に決まっているでしょ」

「じゃあどうすんだ? もういっそ勝負なんて諦めて、大人しく帰ったらどうだ? というより帰れ。今すぐ帰れ。可及的速やかに帰りやがれ」

「冗談。ここまで来てすごすご帰るわけがないでしょ」

 言って、光守は居丈高に胸を張ってこう告げてきた。

「こうなったらやってやるわよ。必ずあんたに恋愛の良さをわからせてやるわ!」

 ちっ。結局こいつらと勝負しなきゃいけない流れになってしまったか。

 まったく、面倒ったらありゃしない。

「……あのう、ちょっとだけいいかな?」

 と、それまで静かに俺たちの話を聞いていた水連寺が、おずおずと手を挙げて会話に混ざってきた。

「それってどうやって勝敗を決めるの? 影山くんが恋しているかどうかなんて私たちにはわからないし、そもそも『恋なんてしていない』って言い張られたらどうしようもないと思うんだけど……」

「安心しなさい。影山が恋をしているかどうかなんて、顔を見れば一発でわかるから」

 自信満々に言う佐伯先生に、光守が眉をひそめて、

「え? どうしてそんなことがわかるのよ?」

「だって、影山とは昔から家が隣近所の顔馴染みだもの。考えていることが全部わかるってわけじゃないけれど、こいつが恋をしているどうかぐらいならなんとなくわかるわ。影山の初恋も二度目の恋も、真っ先に気付いたのはこのあたしだしね」

「「ええっ!?」」

 佐伯先生の言葉に、声を上げて驚く光守と水連寺。大空は……別にいいか。以下省略ということで。

「影山くんと先生って、元から知り合いだったんだね……。あ、だからさっきからすごく仲の良い感じだったんだ……」

「それよりもあんた、あれだけ恋愛が嫌いとか言っておきながら、人を好きになったことがあるんじゃない! なんだったのよ、今までのやり取り!」

「恋愛は嫌いとは言ったが、生まれてからずっとそうだったとまでは言ってないだろ」

「じゃあ、いつからそんな風になっちゃったのよ?」

「どうだっていいだろ、そんなの」

 ああもう。佐伯先生が余計なことを言ってくれたおかげで、妙な関心を持たれてしまったじゃないか。

 過去なんて、だれにも詮索されたくないのに。

「審判は佐伯先生。俺が恋をしたらそっちの勝ち。これで勝負うんぬんの話は終了でいいだろ」

 そう強引に話を切った俺に「そうねー。あたしもそろそろ職員室に戻らなきゃいけないし」と壁時計を見ながら佐伯先生が同調する。

「とりあえず、勝負の件はこれでおしまいってことで。他に気になる点があるのなら、またあとであたしに相談するなりなんなりすればいいだけの話だし。これでどう?」

「まあ、今はそれで納得しておく……。萌と鳴もそれでいい?」

「う、うん。私なんかで麗華ちゃんの力になれるかどうかはわからないけれど……」

「自分は美味いものさえ食べられたらそれでいいっス」

 大空……お前はほんとに食うことしか頭にないのな。なんかもう一周回って面白くなってきたわ。

「あ、そうそう。これはみんなに約束してほしいことなんだけど、くれぐれも勝負の話を他の人に漏らしたらダメよ? もしもこれが他の生徒や先生方に知られたら絶対問題になっちゃうから」

 余計なトラブルはお互いに避けたいでしょ? とウインクする佐伯先生。

 トラブル、か。こっちにしてみればすでにそのトラブルと遭遇したようなものだが、確かにこれ以上の厄介事は御免被りたい。先生の言う通り、この件が外部に知られたら色々と面倒なこと(他の部室待ちの生徒からの不満とか)になりそうだし、俺としても異論はない。

 それは他の三人も同意見だったようで、皆一様にして佐伯先生の言葉に頷いた。

「よし。これでどうにか話はまとまったわね」

 言って、リストアップした紙を丸めてマイクのように持ったあと、佐伯先生はさながら司会者のごとくこう続けた。

「それでは本日を持って、影山に恋させちゃえ大作戦~ポロリもあるぞ☆~の開催を宣言するわ!」

「だからポロリはないってば! ていうか作戦だったのこれ!?」

 戯けたことを言う佐伯先生に、光守が盛大に突っ込んだ。



 かくして、光守たちを相手に部室を懸けてわけのわからない勝負をすることになってしまった。非常に不本意ながら。

 まったく、どうしてこんなことになってしまったのやら……。


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