第14話
結局その日は、それ以上双葉たちに追及されることもなく、平穏無事にすべての授業を終えた。
ついでに補足すると、いつもの紺野先生との面談も、小日向が休みというのもあって急遽延期ということになった。小日向には悪いが、思わぬラッキーだ。
とはいえ、色々と心労の絶えない日だったこともあって、放課後はほとんど屍に近い状態で帰路に着いた。たぶん、高校に入学してから一番ダウナーな姿を晒していたんじゃなかろうか。
そんなメンタルだったので、当然寄り道なんかする気にもなれず。まっすぐ家に帰ったあとはさっさとお風呂に入り、それからはずっと自分の部屋でだらけていた。
「やっぱ家が一番だよなあ」
冷房の効いた部屋でゴロゴロしながら、しみじみと呟く俺。なんならこのまま自分の部屋にずっと引きこもりたいくらいである。まあ、どうせ親が許すはずもないが。
「小日向は、今頃どうしてるのかねえ……」
具合が悪いとのことだったが、ひょっとして風邪だろうか。梅雨時期の風邪はなかなか厄介だし、しばらくは学校を休むことになるかもしれない。
ていうか、あれだよね? 俺のせいとかじゃないよね? 俺があちこち連れ回したせいじゃないよね? 疲労を溜め込んでの欠席とかじゃないよね?
……うん。なんか考え始めたらだんだん不安になってきたぞ。例の告白疑惑の件もあるし、一度小日向と連絡を取った方がいいかもしれない。
しかしながら、相手は病人。小日向の負担になるような真似はすべきではない。
ここはひとまず体調だけ訊いて、具合が未だ悪いようなら、昨日あちこち連れ回してしまった件だけ詫びてすぐ終わりにしよう。変に昨日の件に触れて、余計な負担を掛けたくないし。
そういうわけで、ベッドの隅に置いてあったスマホに手を伸ばし、メールを開く。
「今日欠席って聞いたけど、体調の方はどうだ、と……」
ベッドに寝転びながら手早く文面を書いて、送信。
すると数分したのち、小日向からメールが来た。
『心配してくれてありがとう。朝は辛かったけど、今は全然大丈夫だよ。なんか疲れが溜まっていたせいで、それで体調崩しちゃったみたい(笑)』
えっ。それってやっぱ俺のせい? 小日向に無茶させたせい?
『なんか、すまん……。それって俺のせいでもあるよな。昨日、もうちょっと気を遣うべきだった……』
『それは違うよ! お医者さんの話だと、今までの心労が祟ってこうなったみたい。だから望月くんのせいとかじゃ全然ないよ。むしろ昨日は楽しかったくらいだし』
今までの心労……?
『それって大丈夫なのか? 相当ストレスが溜まっていたってことなんじゃあ……』
向こうの体調のこともあるので返信するかどうか迷ったが、結局気になってしまい、少しの間指を迷わせたあと、俺はそうメールで訊ねた。
『大丈夫だよ~。明日には登校できそうなくらい体調も戻ってきてるし。心労だけじゃなくて、前からずっと夜更かしばかりしていたのも関係あると思うから』
夜更かしというのは、おそらく撮り溜めした深夜アニメとか漫画の消化のことだろう。
以前本人から、リアルの友人関係や勉強などで、夜中の時ぐらいしか趣味の時間に使えないって言っていたし。
その趣味の時間を減らせば、ちょっとは体調もマシになる気がしなくもないが、ストレスが主な原因となっているのなら、逆に悪化の要因にもなりかねない。もどかしい話である。
だがきっと本人もそれは重々承知の上でやっているのだろうし、俺がどうこう言うのも筋違いだ。なら、ここは深く追及しない方がベターに違いない。
『そっか。小日向も大変だな』
『そうだよ~。隠れオタクって大変なんだよ~』
冗談混じりのメールが返ってくるが、事態は思っていたより深刻そうだ。
今はまだどうにか大事にならずに済んでいるが、これ以上小日向の心労が溜まるような出来事でも起きたら、今度こそ取り返しの付かないことになるやもしれない。
たとえば、今日起きたばかりの告白騒ぎとか。
「……まずいかもしれないな。これは」
今日まで小日向と関わってわかったことではあるが、彼女はだいぶ他人に気を遣うタイプだ。こんな無愛想な俺にも常に顔色を窺っていたし、自分の行いのせいでだれかが面倒な立場に立たされることを絶対に良しとしないはず。
そんな小日向が今日の騒ぎを知れば、十中八九気に病むに決まっている。
メールのやり取りから見るに、どうやらまだ今日の話を聞いていないようだが、それも時間の問題──いずれ双葉かだれかに写真の件を訊かれるだろうし、どのみち明日になればクラス中から注目を浴びることになる。そうなれば、嫌でも俺との噂を耳にすることになるだろう。
それでも、どうにか上手く誤魔化してくれればいいのだが、小日向にそれが望めるのだろうか。かなり周りの目を気にする方だし、当然俺にも気を配ってくるはずだ。そうなると、俺をディスることによる自己擁護もしにくかろう。
そんな小日向が、果たして皆の納得がいくような対応ができるのか、かなり怪しいものがある。それに失敗した時のリスクもでかくて、到底楽観視なんてできそうにない。
というか告白自体、誤解以外のなにものでもないのだが、仮に真実が周囲に伝わってくれたとしても、隠れオタクという秘密がバレただけで、小日向にしてみれば十二分に死活問題だ。少なからず俺にだって余波が来るだろうし、面倒事は極力回避しておきたい。
となれば、今のうちに小日向と対策を練っておくべきなのだが、先述の通り、ただでさえ体調を崩している時に今日あったことなんて話したら、余計悪化しかねない。少しは回復しているらしいが、あまり精神的な負担を掛けるような真似はやめておくべきだ。
最悪、明日の早朝に小日向と連絡を取り合うという手もあるが、いつもどの時間帯に起床しているかわからないし、相談できるだけの時間が取れるという保証もない。やはり今日の内になんとかしておくべきだ。
しかしながら──
「一体どうしろってんだ、こんなの……」
唾棄するように持っていたスマホを枕の上に放り投げて、俺はベッドの上で四股を広げた。
まだメールのやり取りをしていた最中ではあったが、少しくらい時間を置いても問題はないだろう。というより、今は考える時間が欲しい。
「まったく、なんで他人のためにここまで悩まなきゃならんのだ……」
「そりゃあんた、それだけその人のことを気にしてるってことなんじゃないの?」
突如として聞こえてきた声に、俺はがばっと跳ね起きてドアの方を見やった。
「姉貴……。またノックも無しに……」
毎度のごとく下着姿で勝手に部屋の中へ入ってきた姉貴に、俺は深い溜め息をついて、もう何度めになるかわからない文句を口にした。
そんな呆れMAXな俺に対し、
「あんたもまあよく飽きもせず同じセリフを吐けるわねえ。逆に感心するわ」
と褒めているのかバカにされているのかよくわからないことを言って、当然のように俺のベッドに腰掛けた。
しかも、棒アイス片手に。
「……姉貴。頼むからベッドの上にだけは落とすなよ。ただでさえチョコなんて汚れが取れにくいんだから」
「大丈夫ダイジョ~ブ。私、棒アイス食べるの超上手いから」
「なんの自慢にもならないな」
今時、小学生ですらそんなアホな自慢はしないぞ。
「あ~。やっぱ風呂上がりのアイスと冷房の効いた部屋のコンボは最高ね。極楽極楽~」
言って、その僅かに濡れた後ろ髪を艶やかに掻き上げながら、美味しそうにアイスをほうばる姉貴。
これが赤の他人だったら、目の前の色香に惑わされていたところなのだろうが、実姉な上にそのだらなしさを知っている俺にとっては、単に煩わしさしか感じなかった。むしろ、とっとどっか行ってほしい。
「つーか姉貴。さっきのはなに?」
「さっきのって?」
「姉貴がここに来て最初に言ったやつ」
「ああ、はいはい。あれねー」
そうおざなりに相槌を打って、姉貴はさっさとアイスを食べ終えたあと、残った木の棒を指で持ち遊びながら再び口を開いた。
「よく知らないけどあんた、大事な人のためになにかしようって考えてるんでしょ? だったらなにをそこまで悩む必要があんのよ?」
「大事な人、か……」
それは、どうなのだろう。
確かに、小日向は良い奴だ。それはこれまでの対面で何度も思ったことではあるが、しかし小日向に対して親愛の情があるかどうかと問われたら、首を傾げるものがあった。
「なによユウ。いまいちな反応ね」
「う~ん。正直、そこまで大事な人ってわけでもないっつーか……」
「でもさあ──」
煮え切らない俺に対し、姉貴はくるくると鉛筆回しの要領でアイスの木の棒を回転させながら、なにげない口調でこう続けた。
「基本個人主義のあんたが、そんだけ人のことを考えている時点でかなり珍しいじゃん。それだけユウの中では大層なことなんじゃないのって、私はそう思うんだけど?」
その核心を突いた言葉に。
俺は、ハッとさせられた。
言われてもみれば、その通りだった。
正直、ここまで人のために頭を悩ませたことなんて今までになかった。自分の保身のために他人を気遣うことはあれど、ここまで人の今後を心配したことなんて初めての経験だった。
そうか。自覚はなかったが、知らない間に小日向という存在がここまで大きな存在になっていたのか……。
「なによあんた、ずいぶんとまあ面喰らった顔しちゃって。今までちらっとも考えなかったの?」
「うん……。あくまでもその人とはただの知り合いというか、ビジネスライク的な関係だと思っていたから、ぶっちゃけ自分でも戸惑いを隠せない……」
「なるほどねー。今まで妹としか思っていなかった幼なじみが、いつの間にやら恋愛対象になっていたパターンねー。ありがちな話だけど、なかなか面白い展開だわ~」
「……いや、なんか勝手に妄想を広げているところで悪いけど、さすがにそこまでの感情はないから。あくまでもクラスメートとしか思っていなかった人が、以外と好感の持てる奴だったっていう程度なだけで」
「……まあそうでしょうね。人生ソロプレイヤーなあんたが、恋愛にうつつを抜かすわけないわよねー」
わかってはいたけどクソつまんないわ~、と姉貴はそれまで浮かべていたにやにや笑いから、言葉通り至極つまらなさそうに唇を尖らせてベッドに倒れ込んだ。
ベッドが軋み、振動が俺の腰にまで伝わる。二人分の体重が掛かっているのであまりそういった真似はしてほしくないのだが、どうせ言うだけ無駄なのであえてスルーしておく。
「で? あんたはどうするつもりでいるの? 詳しい事情は知らないけど、困っている子がいるんでしょ?」
「困っているっていうか、これから困ることになるっていうか……。なんにせよ、ぶっちゃけどうしたらいいのかわからない状態だな……」
仰向けになりながら問うてきた姉貴に、俺は眉間を寄せて重々しく呟く。
「というかそれ以前に、友達でもない俺が余計な茶々を入れていいもんかとも思ってんだよなあ。お節介を焼くだけというか、相手の負担になるだけなんじゃないかって……」
小日向のことだから、俺が介入しても露骨に迷惑がったりはしないだろうが、それでも厄介事に巻き込んでしまったと心を痛めるに違いない。
だから、迷っているのだ。
あくまで他人でしかない俺が、小日向の手を煩わせるような真似をして本当にいいのだろうかと。
「別にいいじゃん。友達でなくても」
と。
俺が懊悩としていた中で、姉貴はさも常識でも語るかのように、ごく自然な口振りでそう言った。
「なにをそんなに悩んでんのか知らないけど、友達だろうかそうでなかろうが、その子を助けたいと思ってるのは本心なんでしょう? だったらいいじゃん。理由なんてそんだけでさ」
「そ、そんだけで……?」
ぽかんと間抜けに口を開く俺に「うん。そんだけ」と実にあっけらかんとした表情で応える姉貴。
「あんたさあ、たとえば道端で倒れている知らない人を見て、いちいち親交があるかないか判断してから行動すんの?」
「しないけど……。むしろすぐに救急車を呼ぶなりなんなりするけど……」
「でしょ? 普通はそうするでしょ? というかもしここで頷きでもしたら、首の骨をボキボキに折っていたところよ」
「………………」
いや、怖ぇよ!
目が本気と書いてマジなだけにめちゃくちゃ怖ぇよ!
つーか、普通に死ぬからね? ボキボキどころかぽっくり逝っちゃうからね?
「いいのよ。人助けをするのに友達かどうかなんて。その様子だと、向こうもユウのことを嫌ってるわけとかじゃないんでしょ?」
「……まあ、うん」
それどころか、つい昨日友達になりたい宣言までされた身ですが。
「だったらなおさらいいじゃない。あんたも憎からず思っている子なんでしょ? その子と友達になるかどうか、なりたいかどうかは別問題として、助けたいと思っているなら素直に助けてあげたらいいじゃない」
「それで、事態がさらにこじれたら? 結局邪魔にしかならなかったら、どうすればいいんだ……?」
「その時は素直に謝るしかないわねー。それでその子のためになにができるのか、もう一度真剣に考えたらいいと思う。もしかしたら修復不可能な関係になってしまうかもしれないけど、ま、その時はその時よねー」
「楽観的だなあ……」
「そりゃそうよ。こんなのネガティブに考えるだけ無駄だもの。もうぶっちゃけちゃうとさー、こういうのって後々自分が後悔しないようにするのが一番大事なんじゃないの?」
「自分が後悔しないように、か……」
その言葉は、今の自分にかなりしっくりと来た。
まるで、今まで噛み合わなかった歯車が、突然カチリとはまったかのように。
「どう? これならその子を助ける理由として十分なんじゃない?」
姉貴に微笑まれ、俺は心の中に熱いものが込み上げてくるような感触がした。
「そう、だな」
力強く頷いて、俺はまっすぐ前を見据えた。
ほんと、俺は一体なにをごちゃごちゃと考えていたんだろうな。
小日向がどうとか、周りがどうとかじゃなくて。
最初から、俺のために動けばよかったんじゃないか。
その後の面倒なあれこれに関しては、姉貴の言う通り、またその時に考えればいい。
どのみち後悔するくらいなら、せめて自分に恥ない道を選んだ方がマシなのだから。
「おっ。なんか急に顔付き変わった。ようやく覚悟が決まった?」
「まあな……」
具体的な方法に関しては未だなにも決まっていないし、不安がないと言えば嘘になるが、一つだけこれならいけるんじゃないかと思っているものがある。まだあやふやなイメージではあるが、それはこれから固めていけばいいだろう。
きっと今の俺なら、どうとでもできる気がするから。
「ふーん。そっかそっか」
「……? なんだよ? 妙にニヤニヤして」
「いやいや、なんかちょっとだけ安心したなあって思って」
言って、姉貴は不意に上半身を起こし、横目で俺を眺めた。
「あんたってさ、昔は周りばっかり気にして、それで自分を縛ってがんじがらめになってたじゃん? 今は自分優先に考えるようになってだいぶ落ち着いてきたけど、あれはあれで決して悪いことばかりってわけでもなかったなあって」
「そうか? 精神的にだいぶ弱っていたし、姉貴だけでなく父さんや母さんにも心配かけちまったのに?」
「うん。実際すごく心配したし、ユウがこうして元気になってくれて、すごくほっとしているわよ。けど──」
そこで一拍置いて、姉貴は俺の方へと体を向けたあと。
温和な笑みを浮かべて、こんな風に言葉を紡いだ。
「けど昔のあんたって、周りの人をすごく気にする分、とても優しかったからさ」
「優しい……?」
「あ、言っておくけど、別に今のあんたが優しくないってわけじゃないからね? ま、昔に比べてずいぶん生意気にはなったけど。たまに両目潰したいって思う時もあるけど」
「………………」
そんな時があるんスか……。
これからは、もうちょっと言動に注意すべきなのかもしれない。
「だからユウにそういった部分がまだ残ってくれているみたいで、私的にはちょっと嬉しいのよね。個人主義になるのはいいけど、他人を思いやれない人間なんてただのクズでしかないし。やっぱ人には親切にすべきよねー」
「個人主義なのに人に親切って、なんか矛盾してないか……?」
「矛盾してないわよ。あくまでも自分が一番大事ってなだけで、他人をどうでもいいって思っているわけじゃないんだから。だれかを思いやれる優しい個人主義がいたってなにもおかしくないでしょ?」
だれかを思いやれる優しい個人主義。
自分ばかりでなく、それ以外にも気を配れる人間──
「そんなわけで、ユウにはこれからもずっとそういった気持ちを大切にしてほしいと思ってるのよね。たとえこれからずっとあんたに友達がいなかったとしても、それだけ忘れなかったら、きっとこの先も大丈夫よ。情けは人の為ならずって言うし」
だからさ、と姉貴はそこでにかっと快活に笑んで、続けてこう言った。
「あんたはあんたの思うようにやんなさい。仮に困ったことがあったとしても、その時は私がいの一番に助けてあげるわ。それなら怖いものなんてなにもないでしょ?」
「姉貴……」
その、俺の背中をそっと押してくれているかのような言葉に。
胸の奥が、とても温かいものに満たされていくのを感じた。
なるほど──
確かにそれは、めちゃくちゃ心強い。
たぶん俺が考えうる限り、最強の助っ人だ。
不安なんて、一気に消し飛ぶくらいに。
「……じゃあお言葉に甘えて、その時は姉貴に頼ろうかな?」
「うんうん。存分に頼りなさい。その代わり、いっぱい焼肉奢ってね?」
「って、タダじゃないのかよ!」
厚かましいことを言ってきた姉貴に、俺は盛大にツッコミを入れる。
まあ、でも。
姉貴のおかげもあって、こうして決意も固まったわけだし、あとでアイスぐらいは奢ってやろうとは思った。
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