電脳探偵/2

 凶一のオフィスは荻窪の飲み屋街の雑居ビルに存在した。築年数は分からない、既に壊れかけのビル。戦争や移民の余波で建て替えの余裕がないまま権利がうやむやになり、今は誰が有してるか分からない有様だった。しかしそれゆえに犯罪者、不法入国者(既に不法を定義することもできない)、世捨て人、そんな人間のたまり場としてはもってこいのビルとなっている。防音は既に機能していないので、昼間から男女の嬌声やイカレた怒鳴り声が聞こえる素敵仕様だ。


 その一室にオフィスはあった。


 扉を開く、小ぎれいに片付いた部屋が見えた。おおよそ10畳程度、内装は簡素、来客用のソファ、その前にテーブルがある。


 凶一はアリサにソファへ座るよう促し、そのまま流しに向かった。コーヒーを入れるためだ。合成100%、一切の自然物の入っていない人口コーヒーと、合成ミルク、合成シロップを用意する。慣れた手つきでそれを2つ、自分用と来客用に。


「砂糖はお好みで」


「あいにくと、飲む気分にはなれないの」


「ふぅん」


 尻目に凶一はコーヒーを口に含んだ、一切のコクが廃された飲み口はただの苦い湯としか感じられない。天然コーヒーをいつか飲んでみたいと思うが、高いから手が出せない。昔は庶民でも簡単に手の届いた嗜好品だったというが、それが信じられない。


「それじゃ、依頼の確認と行こうか」


 ええ、と、アリサがうなずいたのを確認し、言葉を選んで発していく。


「それじゃ、妹さんがいなくなったのはいつ?」


「大体一週間前、帰宅時間…門限になっても帰ってこなかった…多少、時間が変動することはあっても1時間も時間をオーバーしたことはないから、不審に思って………」


「ふぅん…それで待ち続けて、帰ってこなかった?」


「ええ、流石に21時を回った時点で嫌な予感がした、父もそう想って捜索をしたの…」


「警察には相談してないんだったね」


「ええ、役に立たないからね市警も民警も…」


「わかった……それじゃ、交友関係について聞きたい、妹の交友関係で変わったところは?」


「友人関係で言えば、いわゆる悪い友達はいなかったと思う…」


「彼氏の存在、もしくは男性は?」


「いないはず…」


「フンフン…例えば、普段の趣味からは考えられないアクセサリ、化粧品を見た記憶は?」


「ないわ、居なくなった後手掛かりを探すために妹の私室、探したの…だけど、何の変化もなかった」


「なるほど…それじゃ、家庭環境はどうかな…厳しい束縛何かがあると外に居場所を求めやすい」


「ない、かな…そもそもうちは、比較的緩い方なの…例えばだけど出来愛して彼氏の存在を許さない、みたいなこともないし………」


「なるほど…ってことは、逆に過度な期待をかけていたこともないんだね」


「ええ…だからこそ分からないの…何でこんな事になってるか」


 凶一はコーヒーを口に含みながら考える。家庭環境、交友関係はともに良好…が、なにかを見落としてる気がする。少しばかり思考の海に潜ってから、


「そっか、それなら一回妹さんの部屋、俺も見てみたいな」


「え…あ、そうよね」


「何か?」


「あんまり、女性の部屋に男性を入れるのは、って思って」


 それじゃ捜査にならないだろうとツッコミを心で入れるが、こう言った思考をする人間は多い。プライベートな空間を荒らしてはならないという発想は誰でも持っている。だが、それを踏み荒らし、真実を探し出してこその探偵。許可された荒らし行為を行う人間。土足で他者に入り込み、痕跡を洗い出す必要が、仕事の中に存在する。


「それで解決しなかったとき、俺のせいにしないなら」


「…分かってる、ちょっと抵抗があるだけ」


「そっか…ま、人としては正しいよ…それじゃ、行こう、案内して」


 〇


 椿家は高級住宅街にある。セキュリティに守られた一軒家が立ち並ぶ中の一つ、豪邸とは言えないが、比較的大きい家だ。

 

 促されるままに凶一が中に入る。エレナの私室に通された。


 部屋は年頃の女性らしい作りをしていた、かわいらしいと形容して良い。ピンクを基調とした家具がいくつか、机、タンス、ベッド、キャビネット、本棚。


「一応言うと…」


 アリサが声をあげる。


「既に一通りの物は探したわ、痕跡は一切ないの」


「ま、それでも漁るのが探偵の仕事」


「ふぅん…」


 凶一はアリサの白い眼を横に物色を始める。一つでも証拠を見つけるために漁る。どのようにしても、必ず痕跡と言うものは残るからだ。ノートを、キャビネットを、ぬいぐるみの中に異物がないかまで徹底的に。そしてタンスに手をかけた瞬間に、声が上がった。


「あんまりタンスはいじらないでね」


「なんで?」


「女の子の下着を弄る趣味でもあるの?」


「なくてもするのが仕事なんだよ…」


 まるで変態を見るような目で、アリサが凶一をにらんだ。凶一は知らん顔をして受け流す。そもそも、アリサと言う女に何がわかるのか、と凶一は思った。はるかに凄惨な現場に何度も遭遇したことがある。それこそ、解体された女の死体を見たこともある。去勢され苦痛の内に死んだ男の姿を見たこともある。今更下着ごときで鼻を伸ばすような精神はしていない。タンスを開き、服を一枚一枚物色していく。丁寧に、一枚でも何か痕跡が残っていればそれが足掛かりになるのはまず間違いない。


 数十分かけて、全ての服と下着を開き終えた。結果はゼロ、ただの徒労に終わった。ただし、アリサからの視線は絶対零度のごとく。


「何もなかったわね、変態さん」


「仕事でとやかく言われても困る」


 依頼をしたというのだから、少しは信じるといことをしてもいいだろうに、どこまでも癇に障る女だ。とは言え文句をダラダラ言ってる暇はない。クライアントから受けた仕事は受注した以上遂行しなければならない。失敗は評判にかかわる。無論すべてを成功できる電脳探偵など存在はしないが、だからといって遂行のために全力を尽くさないのはプロとしての仕事とは到底言えない。副脳を検索、視神経に接続するアプリを起動、視界にレイヤーをかぶせて捜査モード。


「………何か起動した?」


 アリサが声を上げた。アプリを起動すると、目に集中したナノマシンが起動を知らせるために発光する。これはナノマシンではなくインプラントでも変わらない。法律上義務付けられているものだからだ。


「あぁ、物を物色するためのアプリ。温度だとか、タンパク痕跡だとか、そう言ったものを見つけることができる」


「最初から、それを使えばいいじゃない」


「腹が減るんだ。インプラントみたいに電源がついてるわけじゃない。ナノマシン式はカロリーを消費するから長時間使用するのには向かない…そもそもこれは万能じゃないし」


「そうなの?」


「あぁ、所詮は道具、使う人間のスペックはかえられないってこと」


「ふぅん」


 凶一は言葉を切り上げて再度捜索に戻った。起動したアプリを使い部屋を見渡す。視神経のナノマシンを媒介に副脳が処理を行う。熱源探知、DNA痕跡探知、そう言った情報が複合的に処理され、脳に伝わってくる。


「ビンゴ」


 声を上げた。


「何かあったの…?」


「あぁ」


 そう言ってフローリングの一画に手を当てた、そして一気に持ち上げる。


「隠し棚…?」


「そう言う事になるね」


 どうしてこんな隠しギミックがあるかは想像はつかない。しかし事実としてそれは存在した。中に収められてるのは、


「これ……電脳端末(サイバーデッキ)?」


「だね、しかも…これはNONYが二年前に発売した最新式のやつだ…妹さんはこう言ったものを欲しがるタイプ?」


「いえ…これを買うくらいだったら、化粧品を買いたがると思う」


「つまり、これは不釣り合いな物ってことになる」


「そう、ね…確かに」


「こいつを開いても大丈夫?」


「え、ええ…と、言ってもこんなもの、持ってたなんて……」


「さてさて、こいつが吉と出るか凶と出るか…」


 デッキはノートタイプのもので、本来は持ち運びを用途としたものだった。軽量だがその分デスクトップのデッキには能力で劣る。例えば同世代のノート型とデスクトップを比較した場合は前提としてデスクトップが勝つ、それほどにその差は歴然としている。ちなみに最高のデッキはチェア型、モニタを必要としない最初から電脳同化型(ダイレクトダイブ)の物。ネット上での労働を縄張りにする人間ならば一度は夢見る代物だ。


 デッキを開き、スイッチを入れる。起動。巧妙に隠された何か、それはきっと何らかの手掛かりがあると電脳探偵の直感が声を上げた。


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