アフター70 「発破」

 ほのかに先を越されるのは想定外だった。


 結婚式の会場になったホテルの一室でシャワーを浴びながら思う。


「ん。でも、だからと言って焦る必要はない」


 口から出た言葉に頷く。そう。まだ焦る必要はない。


 大学の卒業までは後3ヶ月。就職活動も終わって後は何事もなく過ごせば晴れて(?)社会に出る。まあ、別に社会に出なくてもいいくらいにはし、その必要性も感じないんだけど。ソウくんが「主婦だけだと絶対に飽きるぞ」って言ってきたからしょうがない。出たくないけど社会に出る。


「焦る必要はない、って言っても先を越されたのは変わんないじゃん。先にウチらだったんじゃないの?」


 私の後ろに立った霞が言った。最近はソウくんより霞と一緒にお風呂に入る方が多い。理由は簡単。今後の戦略会議。それとソウくんの休息時間。


「ん。でもこのくらいは見逃す。想定外も楽しまないと」

「おおらかになったモンで」


 はい、座る!と肩を叩かれた。


 椅子に座るとすぐに頭からお湯をかけられた。一瞬冷たいものが乗っかって、すぐに霞の手がマッサージをするようにワシワシと音を立てる。


 ソウくんにやってもらうのもいいけど、こういうのは霞の方がやっぱり上手い。ずっとやって欲しいくらい気持ちがいい。


「で?先を越されたわけだけど。どうすんの?」


 そんなの答えるまでもない。けど、脳筋な霞には言葉にしてあげた方がいいってのは姉の私が1番よく知ってる。だから一言で返す。


「ん。大勢に影響なし」

「大勢に影響なし……ってアンタね。そうやって先を越されたのが穂波と澪なの、わかってる?」


 霞の気持ちもわかる。なんせ失敗、とまでは言わないけど、明らかに出遅れた2人が身近にいるんだから。まあ、2人は今の生活に満足してるっぽいからあえて突っ込まないけど、それでも刻一刻と忍び寄るものはあるわけで。危機感を覚えないわけがない。


 けど、そんなことよりやることがある。


 私は意を決して口を開く。


「霞はソウくんとどうしたいの?」

「急にどうしたの?そんなこと聞いて」

「いいから」

「どうって?どう、って……そりゃあ、ねえ?ん〜……」


 言葉を濁す霞。察しろ、ってことなんだろうし、どんな顔して言ってるのかもわかるんだけど、いい加減言葉にしてもらわないと困る。これから先は数十年と続く道のり。ここまでは助走。ここからが人生という長距離走の本番。一緒にいるなら周回遅れは許さない。


 雫ならできるだろ。


 ソウくんに任せられた私は役目を果たすべく、言葉を紡ぐ。


「ん。そろそろ言葉にするべき。その先も考えてるなら余計に」

「まあ……そうなんだけど。そうなんだけどさぁ」


 ぐむむ……と霞が唸る。


「ん。別に言ったからって今さら何も変わらない。私はここにいるし、ソウくんもここにいる。順番だって変わらない。変えるつもりもない。麻衣も乃愛も、零奈も涼も、言葉にしてる。霞だけ。昔のままなのは」


 何度もチャンスはあった。みんながせっかく背中を押してるのに、チャンスをぶっ潰して便乗して、なあなあで事に及んで、言葉にしたフリをしてるだけ。この後に及んで我が妹はまだ勇み足を踏んでる。まるで崖を飛び降りるかのように。言葉にしたところで死にはしないのに。


 ――ん。しょうがない。最後の一歩を押すか。


 私は口を開く。本人も意識していない、ホンモノを。


「ん。ソウくんに言うだけ。初めて会ったときから好きだった――って」

「――は?」


 シャンプーの泡で籠る音が消えた。


「な、なに言ってんの?は、初めて顔を合わせたとき……?んなわけないじゃん!バカじゃないの!?そんなマンガみたいなことあるわけないでしょ!?」


 ワシワシ音が戻ってきた。けど、力が入っていて地味に痛い。けど、この程度で素直になるんだったらここまで拗らせていない。現実を突きつけないと、このバカはいつまでも「」なんて気づかないだろう。


「ん。そのバカが私の後ろで髪を洗ってる。いつまでマンガみたいな恋愛に憧れてるの?マンガみたいな恋愛してるくせに」

「アタシが?してるって?」

「ん。そう言ってる」


 止まった手に頷く。


「イヤイヤイヤ!んなわけないでしょ!?どこをどう見たらそう見えるわけ!?」

「ん。そう見えるわけがあるから言ってる」

「アタシが!?最初っから!?ないないない!ないって!」


 霞はそう否定するけど、真っ赤な顔で否定されればされるほど胸にクるものがある。


 今は私がソウくんの一番。絶対に変わらない不動の地位。そして、私に先を越された霞はどこまでいっても2番目。


 けど、本当の順位決めはここから始まる。そしてそれは心理戦という名の目に見えない戦争だ。自分の意思で立てない者は無理矢理引き摺り出されて蜂の巣にされるだけ。そこに慈悲はない。悠長なことを言ってるヤツほど真っ先に置いていかれる。その前にやっておかないと、と思うのは私が姉としての優しさを見せてるのか、はたまたまだ同じ土俵にいないライバルを引っ張り上げるためか。


 ともかく私は霞に言う。


 意思を示すだけじゃなくて言葉にしろ、宣戦布告をしろ、と。


 なんせ増えれば増えた分だけソウくんの時間は削られるんだから――。


「ん。それならそれでいい」


 霞がその気ならこれまで。まあ、高校までずっとあの調子だったし、大学に来てようやく少しは――ってところだから。けど、それはそれ。


 そもそもみんながそれを知ってるからって手加減をしてくれるわけがない。むしろ、チャンスとばかりにソウくんに迫るはず。それこそ先を越されるわけにはいかない。まだ全員がスタートラインに立ってるだけの今しかない。


「ん。みんな、ここから本気になる。霞もその気にならないと、お手伝いさんで終わる」

「……マジで?」

「ん。マジで。戦争。」


 これだけ言えば脳筋な霞でも伝わる。そして、霞が一つ、ため息を吐いた。残念と思ったのか、寂しさなのか、私にはわからなかった。


「……戦争、ね。もう少し平和にいきたかったんだけど、そうも言ってらんない、か。アンタも?」

「ん」


 頷くと霞の目の色が変わった。


「ふうん。ここまでが練習でここからが本番って?いいじゃん。上等よ。乗ってあげるわ」


 霞はそう言ってシャンプーの泡を洗い流した。


 お風呂から出ると、早速霞が動いた。


「ん。」

「お前ね……」


 呆れながらもソウくんが霞からドライヤーを受け取る。霞はそのままソウくんの膝の上に座った。


「近い。やりにくい」

「うっさい。いいからやれ」


 発破をかけたつもりだけど、相変わらずな霞にため息が出る。これじゃいつも通り。行動するんじゃないの?


 霞と目が合った。ドヤ顔してるけど、ソウくんにはもちろん効果ナシ。そりゃそうだ。いつもとおんなじだし。


 自称デレモード、その意に反して見た目はいつも通りな霞に対してソウくんは慣れた様子でドライヤーのスイッチを入れて、乾かしはじめた。


 霞の髪が乾くまで手持ち無沙汰になった私はソウくんの後ろに回ってそのまま腰を下ろす。ソウくんの背中を背もたれに寄りかかると、長かった1日が終わった気分になる。


「暑い。重い」

「ん。重くない。気のせい」


 デリカシーのかけらもない言葉を全否定してソウくんの背中に体重をかける。特に深い意味はない。隣に私がいるのに、結婚式で知らない女に声をかけられてデレっとしてたとか、話しかけられた女の慎ましい胸に目を向けてた、とか、ほかにもたくさんあるけど、別に気にしてない。気にしてないったらないのだ。


「雫。頭突きはやめろ」

「ん。たまには物理に訴えないと。なんでも許してもらえると思ったら大間違い」


 まったく。色仕掛けに誘われやがって。


 八つ当たりとわかっていてもお仕置きという大義名分を後ろ盾にソウくんの後頭部に頭を打ち込む。痛いけど、対抗心で張り合おうとする気持ちを打ち消すのにもちょうどいい。


「不可抗力だっての。あんな風にチラチラやられたら気になるだろ。どう見たって着けてなかったし……」

「ん。私もそれは気になった。忘れたとは思えない」

「アンタら、そんなところ見てたの?仮にも友達の結婚式だってのに?なにしに行ったのよ」


 呆れた霞の声に私たちはなにも返せなかった。

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