第二章 サブロウ流国盗り

第16話 下克上。私の好きな言葉です。

 サブロウが子供に手を出すけだもの扱いされることに対して、必死で弁明しているころ。


 守護所から離れた人気のないところにぽつんと建っているこじんまりとした屋敷に男たちが集まっていた。


「下克上。私の好きな言葉です」


 顔を出したばかりの朝日の光を浴びながら七十歳ほどの小柄な老人は己れの屋敷の庭に集まった面々を見まわしてそう語った。静かに語りかけるようでいて、かつよく通る声だ。


「人はその人物自身の能力で評価されるべきです。たとえ序列や身分が低くても、有能な人物ならば責任のある地位について力を持つべきです。皆さんも、そうは思いませんか?」


しかり!」


「まったく!」


「いかにも、その通り!」


 集まって面々が異口同音で同意の言葉を叫ぶ。だが、老人はあくまでも冷静に話し続ける。


「有能でも庶子として生まれただけで、どうして無能な嫡子に従わなければならないのでしょうか?どうして有能な弟が無能な兄に従わなければならないのでしょうか?どうして遠い祖先の功績を誇ることしかない家柄だけの無能な輩が、大きな顔をして他者を見下し、虐げることができるのでしょうか?いつまでもこのような不正が許されて良いはずはありません」


「そうだ!」


「不正は許せぬ!」


「意義なし!」


「皆さん、不正がまかり通っていて皆が豊かで幸せになれると思えますか?」


「無理だ!」


「できるはずがない!」


「是非もなし!」


「でも、幸いなことに今は力がものを言う乱世。戦国の世です。無能な者が一族を率いていては、一族が繁栄するどころか、生き残るのも難しいでしょう。時代が私たちの味方です。私たちには御家や一族を守るためという大義があります。私たちのように有能な下位の者が、家柄や序列に関わらず力を勝ち取り、無能な上位の者に代わって皆を導く。それが下克上なのです。素晴らしいことではありませんか」


おおおおおおお!


 集まった者たちが歓声をあげる。


「ところが、この乱世でもまだ現実が見えぬ愚か者たちがいます。仮初かりそめの怠惰な平和の上に胡座をかき、既得権益にしがみつき、変革を拒み、私たちの前に立ちはだかる無能な者たちが。彼らをのさばらせてはなりません。美濃もここ二十年、大きな戦もなく、平和な惰眠をむさぼり、よどみ腐っています。足りないのは戦です。いよいよ美濃に大乱を起こす時がきました。近々、それも明後日には、土岐美濃守政房さまが守護職を引退してご子息にその地位をお譲りするのだそうです。私たちはこの土岐家の家督継承に介入します」


「次期守護は嫡子で長男の次郎頼武さまで決まりではないのですか?」


 この中では比較的に落ち着いた風情の男が訊ねた。森小太郎である。


「いや、美濃守さまご自身はやはり嫡子で次男のサブロウ頼芸さま推していると聞くぞ」


「しかし、サブロウさまと言えばここ二年ほどはあっちへふらふら、こっちへふらふらとまるで風来坊。大うつけとの評判だが」


「左様、家督の継承には全く関心がないときいておるぞ。いくらなんでもアレはなかろう」


「その、サブロウさまに家督を継承していただこうと思います」


 老人が強い口調で言い切る。


「「「なんと!」」」


「ふむ。なるほど。明らかに次郎頼武さまの方が守護に相応ふさわしいからこそ、すんなり次郎さまが家督相続なさっては私たちの旨みが少ないということですかな」


 森小太郎が意を汲んで訊ねる。


「その通りです。美濃を安定させてはいけません。現守護たる美濃守さまはサブロウさまを推しています。私と同族の小守護代の長井さまも美濃守さまに同調していますから、これに私たちも乗り、サブロウさまを擁立する側に回れば、美濃は家督継承をめぐって大きな戦となるでしょう」


「「「なるほど」」」


「加えて、これは上の者も私たち下位の者共の意見を軽んずることはできないという、良い先例になるでしょう。下位の者の意見が通り、次男が長男に勝つ。二重の意味での下克上です」


「「「ふむふむ」」」


「もう一つ、加えるならば、上に担ぐ神輿みこしは軽い方が良いです。ご政道や戦にとんと関心を持たないならかえって好都合というもの。改革も戦も全て私たちが思うまま。サブロウさまは守護になっても、のんびりとお好きな絵でも描いてお暮らしいただければそれで良いです」


「はははははは、違いないですな」


「次郎頼武さまの方はどうなさいますか」


「あのご性格ではご自分が守護になれないとなると、力づくでその座をもぎ取ろうとなさるでしょうから、お好きに暴れていただきましょう」


「次郎さまにあえて謀叛むほんを起こさせてそこを討ち取るのですか?」


「とんでもない。肝心なのは、この土岐家の家督継承争いにです。この争いを緊張感を保った状態で不安定なまま可能な限り長引かせる方が、私たちには都合が良いでしょう。ですから、私たちも状況に応じて一方を追い詰めすぎないように臨機応変に対応しなければなりません。そして、私たち同志が相対する場合には、消耗しないようにお互いに手を抜きましょう」


ははははははははは!


 一同が大笑いするが、森小太郎一人がそれに疑義を差し挟む。


「たしかにそうですが、一つ懸念がございます」


「懸念とは?」


「我らが神輿に担ぎ上げたくとも、肝心のサブロウさま本人にやる気がないのでは、逃げ出されてしまうのではないでしょうか?」


「ふむ。たしかにその可能性もありますね」


「ああ、その点なら心配ご無用です」


 一同の中でもっとも若く見えるひょろりと背が高い優男が手を挙げて軽薄そうな声で発言する。柿田弥次郎だ。


「どういうことですか、弥次郎殿」


「サブロウさまは、稲葉備中守殿のご令嬢にえらくご執心だそうで、そのヨシノさまをこともあろうにかどわかし同然に大桑おおがの屋敷までさらってきたとか」


「あの稲葉のじゃじゃ馬姫をか!なんとまあもの好きな」


「それよりも、あのじゃじゃ馬姫ってまだ子供だろうに。歳はいくつだ!」


「今年で数えで十歳と言ってましたよ」


「まだわらべではないか!それを拐かすとは普通ではないな」


「少なくともまともではないな。そのような者を神輿にかついで大丈夫なのか」


「ふむ。サブロウさまの女性の嗜好はさておき。伴侶をお選びになったということは良いことではありませんか。今までのようにふらふらすることはもうないでしょう。しかし問題はサブロウさまが逃げずに守護を継承するかどうかですよ」


 老人が話の流れを戻す。


「はい。そこで、サブロウさまに土岐家を継承する自覚を持っていただくために、ヨシノさまを今いる大桑おおがより、もう少し守護所に近いお屋敷にお迎えしましょう」


「それはどういうことですか?」


「ヨシノさまには多少強引な手を使っても、こちらの用意する屋敷にお越しいただき、私たちが厳重に保護させていただきます。さすれば、いくら太平楽なサブロウさまと言えども、こちらの要求通りに動かざるを得ないでしょう」


 こともなげに弥次郎は言い放つ。


「つまりは拉致して人質にすると」


「有体に言えばそういうことです。女童めわらわ一人をかどわかすだけの簡単な仕事です。大桑の土岐屋敷の状況も既に把握しておりますので、いつでも実行に移せます。稲葉の彦次郎殿と彦三郎殿もいるようですが、このお二人とも妹のヨシノさまを可愛がっていたそうですから、上手くいけばこちらの手駒になるかもしれませんよ」


「はっはっはっ!なんと悪辣なことを!」


「いや、さすがは、弥次郎殿」


「長井さまの懐刀だけのことはあるな」


「お褒めに預かり光栄でございます」


 弥次郎と呼ばれた男はへらへら笑いながら頭を下げた。


「弥次郎殿、まあ、お待ちなさい。まずは一応サブロウさまご本人に守護になる意思があるかどうか確認する方がよろしいのではないでしょうか?ご本人に実はその気があるのならば、またはその気にさせることができるならば、手荒な真似も不要でしょう。同意の上で我らが用意する屋敷にお迎えすれば良いのでは?もちろん私たちの手の者の護衛付きですが」


 老人が弥次郎をたしなめた。


「それもそうですね。では早速これから、サブロウさまたちと顔見知りである私が使者として赴き説得してみましょう。まあ、断られると思いますが、ものごとには形式や手順も大切ですからねえ」


「あまり、説得には気が乗らないようですね」


「いや、そんなことないですって。繋ぎに使っている透波すっぱの佐助も連れていきます。もうお一方、森小太郎殿も一緒に使者になっていただけませんか?」


「心得た」


「ありがとうございます。説得に失敗してもしなくても、お迎え係の皆さんとは大桑の近くの隠れ家で合流しますからね。大桑の屋敷を見張っている透波すっぱ連中もお借りして良いですか?」


「もちろんです」


「いやあ、ありがたいです」


「では、弥次郎殿の説得の可否に関わらず、ヨシノさまのお迎えにはとして腕に覚えのある皆さまにお任せします。足立六兵衛殿、岩手彦七郎殿、多田三八郎殿。例の大桑近くの隠れ家で待機をお願いしますよ。警戒が厳しいと頭数も必要ですから、私の方で足軽も二十人用意してあります。あとはお任せしますね」


「「「ははっ!」」」


「では三日後、明々後日の早朝、皆さん、もう一度ここで集まりましょう」


「「「「「「ははっ!」」」」」


「あ、そうだ豊後守さま」


「なんですか」


「ちょっとお耳を。ごにょごにょごにょ」


「な!」


「しーっ!じゃあ、いってきますね〜」


 弥次郎は陽気に手をふりふり去っていく。


「ところで森殿、人にとって一番大切なことはなんだと思いますか?」


 弥次郎の声が聞こえる。



「さあ、武士であれば御家のこととなろうが」


「武士であろうがそうでなかろうが同じですよ。大事なものを守りたいと思う心、愛ですよ。愛こそ全てです」


「ほう。愛が全てであるがその対象である大事なものが人によって違うということか」


「そうです。そうです。いやあ、森さんは話が早くて助かります」


 弥次郎たちの声が遠ざかっていく。





 集まった面々が引き上げたあとで一人残った老人は満足げに独り言を漏らす。


「くっくっく。柿田弥次郎め。『此度こたびの策はお遊びです。成功でも失敗でも大筋は変わりませんから、お気楽にお待ちください』ですと?そこまで言い切るとは、いやはやまったく油断ならない腹黒麒麟児です。やはり、私のを継承するのはあの男しかいませんね」










 翌日、老人はその弥次郎より佐助を通じて


「ヨシノさまの身柄無事確保。当方負傷者多数につき隠れ家にて潜伏中。サブロウさま守護継承受諾。予定通りに進めるべし」


 との知らせを受け取った。


「弥次郎ともあろう者が随分と手こずったようです」


 また、同時に守護所より、土岐美濃守の隠居と守護職の継承について重大な話があるということで、至急の呼び出しがあった。


「一日前倒しとなりましたか。まあ良いでしょう。私がで美濃の争乱に関わるのは四、五年ぶりですね。あの時はせっかく土岐家と守護代斎藤家の戦になり、さらには尾張の織田家も巻き込みながら尻すぼみで終わりました。今度こそ見事な大乱に仕立ててみせましょう」

 

 サブロウたちの宿敵『人心を操る魔物』こと土岐家の家宰、長井豊後守利隆は新たな陰謀を胸にゆっくりと守護所に向かって出発する。






「この後は計画通りでやんすね。宗哲さま」


「うむ。西村勘九郎殿にも知らせないとな。しかし、随分と手の込んだことを」


「そうでもしないとやりきれない人たちが大勢いやすからねえ」


「違いない」


 豊後守の屋敷を林の陰より見ていた段蔵と宗哲が頷きあった。



 

 次回は、日をさかのぼって大桑屋敷攻防戦です。

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