第6話 ナルシストパンダは策を練る
「つまり、静香はクラスに馴染みたい。クラスの皆と仲良くなりたいということなのだな」
僕と先輩方は結局屋上の中心に座り込み、話していた。虎井さんは段々とであるが、最初の調子を取り戻しつつあった。あぐらをかき、頬杖をついて口を尖らせている。だけど、その頬は未だ赤い。そっぽを向いているのは、それを隠したいからに違いなかった。
だけど、僕も顔を背けたくなってしまう。虎井さんからではない。この酷い現実から、だ。
「成瀬先輩」
「何かね?」すぐ耳元から声が聞こえ、うんざりする。
「はなしてください」
「何をだ。私の秘密かい? いいだろう。とくと聞きたまえ」
「そうじゃなくて、僕を解放してくださいと言ってるんです」必死に顔を後ろに向けながら、足をばたつかせる。「なんで膝の上に乗せようとしてくるんですか」
ぬいぐるみを持った少女のように、成瀬先輩は僕を座りながら抱きかかえていた。当然僕は抵抗した。それはもう決死の思いで抵抗したのだけど、暖簾に腕押し、糠に釘。成瀬先輩に正論というように、そのまま膝の上に座らされてしまう。最初こそどたばたと手足を動かし抗っていたけど、地団駄を踏む子供じみていて恥ずかしく、諦めた。ふさふさのパンダの着ぐるみにくるまれている。暖かさを通り越して暑い。
「いいではないか。人は何かにしがみついてないと生きていけないのだよ。プライドとか、利権とか、根賀とかにな」
「人を何だと思ってるんですか」
僕はこれ見よがしに肩を落としてみせるけど、成瀬先輩に気付いた様子はなかった。「そんなことより、早く虎井さんの悩みを解決しましょうよ。虎井さんの悩みにレッツトライです」と話題を変えた。さすがの先輩もお悩み相談の時くらいは僕を離してくれるはずだ。
「人の悩みを何だと思ってんだ、お前は」が、反応したのは虎井さんだけで、成瀬先輩は微動だにしなかった。ああ、と声が漏れてしまう。救いはないらしい。
「いいから、何とかしてくれ。どうすれば、私は周りの連中からびびられずにすむんだ」
「髪の毛、黒くしたらどうですか?」僕は思いつきで言った。我ながら雑な答えだけど、強ち的外れでもないはずだ。「金髪だと怖がられますよ」
「それもそうだ」と成瀬先輩も同意する。「そもそも校則違反だしな」
「お前にだけは格好に文句を言われたくねえ。金髪よりパンダの着ぐるみの方がやばい」
「私はやばいからな」
「なんで上から目線なんだ。偉そうにしやがって」
「私が偉いからだ」
虎井さんが横目で僕を流し見てくる。助けてくれ、とその呆れ果てた目元は言っていた。もちろん僕には虎井さんを助けることはできない。むしろ少し嬉しかった。僕の苦しみをもっと味わってください、と無言で返す。
「髪を染めるつもりはねえよ」結局虎井さんは、うんざりとした声でそう答えた。「私に言わせりゃ、黒い髪の方がよっぽど怖いっての。そうだろ? ゴールデンレトリバーは穏やかだが、狼は凶暴だ。金色ってのは穏やかさの象徴なんだよ」
「おいおい。そんなこと言うとゴールデンレトリバーが困ってしまうだろう。きっと文句を言われるぞ。荷が重すぎるレトってな」
「ワンじゃないんですね」
「あいつらは人を馬鹿にするときだけレトって鳴くんだ」
「馬鹿にしてたんですね」
「お前らなあ」
ただですら低い声をさらに低くした虎井さんはいつの間にか立ち上がっていた。両手を制服のポケットに突っ込み、淡々と前に進む姿は近寄りがたい。向かい風で金色の髪がぶわりと浮かび、彼女の顔が後ろから見える。俯き、目を鋭く姿は般若のように恐ろしい。
「あの、虎井さん」
「何かね」
「なんで成瀬先輩が返事をするんですか」
怖い顔する虎井さんに声をかけるにはびびりで間抜けな僕ではかなりの勇気が必要だったのだけど、成瀬先輩はそんな僕のささやかな勇気を平然とした顔で受け取ってしまった。
「なんでって。私は悪くないよ。むしろ紛らわしい君が悪い。どうせならこれを機に私のことは想羽先輩と呼びたまえ。想羽でもよいぞ」
「嫌ですよ」
「照れているのかい? まあそうだろう。異性の先輩。それも美人で学校中から尊敬されている高値の花を名前呼びだなんて、恐縮するのも頷けるよ」
「いえ。好きなアイスクリームと同じ名前だったんで、なんか呼びづらくて」
「君は本当に可愛くないなあ」
「もういい!」
すぐ後ろで叫び声が聞こえ、はっとする。いつの間にか虎井さんが僕たちに背を向け、扉へと足を進めていた。
「帰る。想羽に頼んだのが間違いだったよ。人がせっかく相談してんのに茶化しやがって」
「無理ですよ虎井さん」そんな彼女に、僕はそう声をかけずにはいられなかった。「諦めてください」
「ああ? 何だお前」
「いえ、その」
「なんだ? 私には真っ当な高校生活なんて送れやしねえって思ってんのかよ。そんなのは私でも分かってんだよ。こんな性格だしな。だが、分かりきったことを偉そうに話す奴ほどウザい奴もいねえ。なめてると殺すぞ」
「そうじゃなくて」
今ので怖がられる原因の八割方分かったような気がしたけど、指摘はしなかった。これ以上火に油を注ぎたくなかった。それに、人の性格は変えようと思ってもそう簡単に変わるものではない。
「僕はただ、帰ることなんてできないと言ってるんです」
「は?」
「成瀬先輩からそう易々と逃げられるはずがないじゃないですか」
「そうだぞ」
はっとし、目を見開いた虎井さんは僕に背を向け、屋上から逃れる唯一の方法である鉄製の扉へと目をやった。そこには当然のように成瀬先輩が仁王立ちしている。
「私に悩みを打ち明けてしまったのが運の尽きだな。そう易々と私から逃れられると思うなよ」
「お前」
「私を誰だと思っているのかね? 天下の成瀬想羽だ。静香の悩みだってちゃんと解決してみせるさ。名付けて、ヤンキー馴染ませ大作戦だ」
「人の悩みを勝手に名付けるなよ」
よくこんな奴がお悩み相談なんてやっていけてるか分かんねえよ。虎井さんは静かに言葉を溢しながらも、柔和な笑みを浮かべていた。僕は心の中で呆れながら、豪快に笑う成瀬先輩を見る。多分、それは。成瀬先輩の滅茶苦茶さがどこか心の深刻さを打ち消してくれているのではないか。悩みを持った人たちの気持ちを解してくれているからではないか。そう言おうとするけど、それより早く虎井さんが「最初からそう言えばいいんだよ」と嫌みったらしく笑った。
「お前も面倒くせえ奴だな」
「私は面倒くさいことに定評があるからね。頼りにしてくれ」
「死ぬほど癪だが、まあ多少は当てにしてやるよ。精々私のために頑張ってくれ」
「ああ。大船に乗ったつもりでいてくれていい」
さすが成瀬先輩。すごい自信だ、と対岸の火事よろしく先輩方を見る。大変そうだなあ。高校生も楽じゃないのだなあ、とのんびり考えていると、突然二人が同時にこちらを向いた。驚き、後ずさってしまう。
「な、何ですか」
「何ですかじゃねえよ。お前もお悩み相談室の一員なんだろ? 想羽だけじゃ不安だからな。お前も頑張るんだぞ」
「大船に、君も乗るんだ」と成瀬先輩も続けてくる。こういうときだけ息ぴったりだ。
「僕が船に乗っても、役に立てませんって。船底に穴を空けることくらいしかできません」
「私の船は頑丈だからな。船乗りの成瀬と言われたこともある」
「ふなのりのなるせ」
「何だい。馬鹿にしているのかね?」
「いえ」慌てて首を振る。「ただ」
「ただ、何だね?」
「ただ、僕には荷が重すぎるレト」
やっぱり馬鹿にしてるじゃないか、と成瀬先輩に怒られる。そんな僕たちを見てケラケラと笑う虎井さんは、信じられないくらい楽しそうだった。
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