第39話 精霊の契約とおまけ

 ◇


「アレクシア様の魔法書を読んで勉強いたしました。まさか、直にお会いできるとは」


 今日、何度目かの褒め言葉にシェイラは困って目を瞬かせる。


 早速、シェイラは『精霊との契約を解く』ための魔法陣作成に取り掛かっていた。補佐として遣わされたのは、ゼベダで最も優秀な魔導士・アンジーである。


 アンジーはゼベダの侯爵家の生まれで高貴な血を持ち、その才能を認められて王宮の魔導士として勤めている。もちろん、元からアレクシアのことを知っていた。興奮気味の彼女が、朝から何度も繰り返し褒めてくることに、シェイラは困惑している。


「あれはまだ若い小娘が書いたものです。アンジー様、持ち上げすぎですわ」

「いいえ。高位魔法の魔法陣には閃きと緻密さが必要です。どんなに歳を重ねても、そこまで到達することは到底できません」


 きっぱりと言い放つアンジーに、シェイラは『この先はもう聞き流そう』と決意する。


(そんなことより、問題は精霊との契約を解くこと。それも、ただ解くだけではだめだわ。下手をしたら、転生すらなかったことになる可能性だってある)


 シェイラは覚えていないが、シェイラ以外の3人は精霊に会って取引のようなものをしたらしい。


(その場には、猫のクラウスが居たみたいなのだけれど)


「クラウス。何か、知らない?」

『みゃー』

 当然答えてくれるはずもなく、クラウスはシェイラの足元に寝転がっていた。


「一般的な契約魔法の時は、契約魔法をかける側の魔力を使うのよね。だから、転生者に使われているのは、精霊の魔力を直接取り込んでいるってことになると思うの」


「……反対に契約魔法を解くには、かけた者の同意と魔力が必要になりますよね。つまり、アルバート殿下の契約を解くには、精霊の魔力が必要だと。加えて、さまざまな制約をそのままにする魔法陣を描いて……ほぼ無理ではないでしょうか、これは」


 アンジーは頭を抱えてしまった。


『みゃーん』

 会話を聞いていたクラウスがぐぅぅん、と伸びをして立ち上がる。


「どうしたの?」

『みゃー、みゃー』


 何かを一生懸命訴えている。


「急にどうしたのでしょうか」

「わからないわ」

 シェイラとアンジーは顔を見合わせる。


(……あ!)


「クラウスは精霊の使いだわ。『精霊の魔力』はこれでクリアできる」

「えっ? 精霊の使い?」


 アンジーがあげた素っ頓狂な声を聞きながら、シェイラは魔法陣を描くために必要なことを頭の中で羅列していく。


(これは思っていたよりも簡単に解けるかもしれない)


 ◇


 数日後、シェイラは自分の部屋にアルバートを呼び出した。アルバートからの求婚を正式に断り、依頼を受けてから彼はシェイラの部屋に来なくなっていた。


 軍人のような外見をしているにもかかわらず緊張感のない、彼のふにゃっとした笑顔を見るのは久しぶりである。


「アルバート殿下。前世で最期に精霊と契約を交わした時のことをお話しいただけますか」

「はい。精霊との契約を解くために必要なのであれば、どんなことでも」


「では、精霊に話したことを」

「そうですね。気がついたら、目の前にこの猫――クラウスが居たのです。そして、頭の中に声が響いた。不思議と、その声はこの猫のものではないと確信していました」


(私は……それを知らないわ)

 そう思いつつも、シェイラは黙って話を聞く。正確な魔法陣を描くためには、どんなに些細な情報さえ聞き逃してはならない。


「声の主……恐らく精霊、は私に心残りを聞いてきました。私は、貴女のことが思い浮かんだ。すると、何も言わないうちに心臓のあたりにカチッと音が。そして、頭の中に声が響いたのです。『代償として、新しい人生での苦労を』と」


「新しい人生での苦労、って……」

「恐らく、メイリア王国の第二王子としての前世を持ちながら、ゼベダの王太子として生まれ変わることでしょう。今回の依頼の根幹でもありますが。確かに大変ですね、これは」


 アルバートは表情を崩さないが、その口ぶりからは相当な苦労があったことが窺えた。


「……アルバート殿下。私には精霊と契約を交わした記憶はありません。ですが、心残りが解消できたとき、体の中に何か硬質な振動が響いたのです。きっと、それこそが呪いのようなものが解けた瞬間だったのだわ」


 と、同時に思う。前世の最期のあのとき、もし自分の身にも同じことが起こっていたとして、自分は自分の転生を望んだのだろうか。と。


 精霊に心残りを聞かれた瞬間に、全く違う言葉が思い浮かぶような気がした。


(私はきっと――)


 これから、前世も含めて最も難しい魔法陣を描かなければいけないというのに、余計な考えが浮かびそうになる。まずは、集中しなければならない。


 あの日、クラウスが専属護衛騎士になって初めて呼んだ『アレクシア』という甘い響きを思い出しながら。シェイラはかぶりを振ったのだった。


 ◇


 その魔法陣を描くのに要した時間は、ほぼ二週間。いよいよ明日は調印式というところまで期限は迫っていた。


(1……2、3、5……固い線、緩い線。金の瞳の精霊に猫の記号。メイリア王国の国章モチーフ、それから……うん、きっと大丈夫)


 アンジーに渡す前に、最後のチェックをする。この魔法陣は、シェイラがこれまでに描いたことがない類のもの。だからこそ失敗は許されず、いつもなら省略する計算や記号も丁寧に描いた。


 ちなみに、クラウスが快く力を貸してくれるようにと、アルバートからは毎日新鮮なミルクと一切れのパンケーキが届いていた。おかげで、クラウスはゼベダの王宮で出されるパンケーキがすっかり好物になっている。


(プリエゼーダ王国に戻ったら……後宮のシェフに相談して似た味のものを作っていただかなくては)


 時間は深夜。隣室のベッドに丸まって眠るクラウスを眺めて、シェイラは微笑んだ。


「アンジー様。描き上がりましたわ。確認をお願いします」


 書き物机の隣で座ったまま眠ってしまっているアンジーにシェイラは声をかける。本当はこのまま寝かせてあげたいところだったが、明日は調印式である。魔法陣ができていないことを理由に期日を延ばされたら、フィンは無理にでもシェイラを迎えに来てしまうだろう。


「はっ……はい。申し訳ありません」

 慌てて飛び起きたアンジーの肩に、シェイラはブランケットをかけ直す。


「アンジー様、毎日遅くまで付き合ってくださり、ありがとうございました。確認に時間がかかるかと思いますので、テラスで風にあたっています。何かあれば声をかけてください」


「はい、承知いたしました」


 アンジーに笑みを返して、シェイラはテラスに出る。偶然にも、このテラスが向いているのはプリエゼーダ王国がある方角だった。


(夜が明けたら、フィンに会える)

 ――この空の先に、彼はいる。


 シェイラは彼がいるはずがないと思っていた頃の自分を知っている。それを思えば、たった一か月離れ離れになったことなど本当に些細なのかもしれない。


 けれど。ものすごく疲れているはずなのに、今夜は頭が冴えて眠れそうになかった。


 ◇


 翌朝、朝一番にシェイラの部屋を訪れたのはアルバートだった。


「今日が期限です。魔法陣はどうなっていますか」

「昨夜描き上がりました。貴国で一番の魔導士、アンジー様にも確認していただきました。アルバート殿下に害を為すものではないと」


「ほう」


 アルバートは、満足げに机の上の魔法陣に手を伸ばす。すると、待ってましたというばかりに、クラウスがアルバートの肩に載った。毎日贈られてきていたミルクとパンケーキ分の働きをするつもりらしい。


「殿下と精霊の契約を解くためには、クラウスの力が必要です」

「……なんと」

『みゃー』


「「あっ」」


 シェイラとアンジーが説明を終える前に、クラウスはぱくっ、とアルバートが手にした魔法陣を噛んだ。魔法陣はキラキラと光る砂の粒になり彼を包んでいく。そして。


「……っつ」


 驚いたような、アルバートの声が部屋に響いた。


「……今。胸の奥で、カチッと音がしました」

「! 私と同じですわ!」

「殿下、すぐに精霊との契約を確認する魔法具のもとへ」


 興奮した様子のアンジーが部屋の扉を開ける。


「きっと問題ないでしょう。ありがとうございます、シェイラ様。見返りとして」

「今日の条約への調印と、私をフィン陛下のもとに」


 重ねて答えるシェイラをまぶしそうに眺めながら、アルバートは首を振る。


「……ああ。見返りにおまけをつけましょう。今日の午後、調印式後にフィン陛下と私で懇談の時間を設けてあります。シェイラ様はカーテンの向こう側からご見学を」


「……え?」


 突然降って湧いた『おまけ』の意味が、シェイラにはちっとも分からなかった。

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