第29話 精霊魔法を使ってみよう

 ランチタイムが至福の時間であった事は言うまでもなかった。


 海の幸をふんだんに使ったシーフードピザやキャベツサラダに舌鼓を打ち、しっかりとエネルギーを蓄えて迎えたアランとの精霊魔法の訓練の時間。


 これまためちゃくちゃ広い屋敷の庭にて、ソフィアはアランと二人きりになっていた。

 クラリスは「二人でごゆっくり」と離れた場所で待機している。


「この間の説明の繰り返しにはなるが、もう一度おさらいしておこう」


 アランはそう言って、指を二本立てる。


「世界には二つの力がある。なんだったか、覚えているか?」

「魔力と……精霊力、でしたっけ?」

「正解だ。よく覚えていたな」


 アランが満足そうに頷く。


「えへへ……」


 些細なことかもしれないが、アランに褒められた事にソフィアは喜色を表情に浮かべた。


「次に、君の国では、魔法はどうやって発現させると習った?」

「魔法学校で学んだわけではないので細かい部分は朧げなのですが……」


 記憶の糸をたぐり寄せてから、ソフィアは説明する。


「自分の中にある魔力を捉えて、世界に具現化させたい現象……水や風、炎などをイメージして放つ、といった感じだったかと」

「なるほど。精霊魔法の発現方法ついては、後半部分の具現化させたい現象に関する部分は同じだ」

「そうなんですね」

「ああ、違うのは前半部分で、“自分の中にある魔力を使う”魔法に対し、精霊魔法は“空気中にいる精霊に力を借りて”使うものだ」

「精霊の力を借りて……」

「そうだ、例えば……」


 アランが手を掲げて言葉を紡ぐ。


「炎の精霊よ……ファイアボール」


 瞬間、アランの掌で拳大ほどの火の玉がボッと現れた。


「わわっ……凄い……!!」


 アランの掌の上でメラメラと燃えるファイアボールにソフィアが目を輝かせる。


 自分には炎も水も、風も土も生み出せる魔力は無い。

 だからこうした、人智を超えた力を生み出せる人に尊敬の念を抱いていた。


 ……自分に対して嫌がらせの手段として使ってくる人は例外だけども。


「消す時には消えるイメージを浮かべれば消える。なんら難しい事はない」


 言うと、アランの掌から火の玉が消え失せる。


「実演していただきありがとうございます。質問よろしいでしょうか?」

「問題ない」

「詠唱……と言うんですかね? 炎を出す前に言っていた言葉には何か決まりはあるのでしょうか?」

「詠唱はあくまでもイメージを明確にするための補助に過ぎない。だから、各々の好きに決めていい。慣れてきたら無詠唱でも可能だ。大事なのは、“精霊から力を借りさせていただく”という、感謝の気持ちだ」

「感謝の気持ち……」


 やってみないとピン来ないところではあったが。

 なんとなくわかるような、少なくとも自分と相性が良さそうな感覚な気がした。


「では、同じようにやってみるか」

「いいいいきなりですか……!?」


 唐突な実践形式にソフィアは狼狽える。


「私に……出来るでしょうか? もし失敗してしまったら……」


 実家では、失敗は何よりも許されない最悪の所業だった。

 仕事にしろ家事にしろ、失敗したらすぐに罵倒と暴力が待っていた。


 故にソフィアにとって、失敗は何よりも怖い事だった。


 今まで一度も試したことのない、人智を超えた力による奇説の発現となればなおさらだ。


 自分の魔力がゼロだとわかって、周りから失望されて、無能だの役立たずと言われ続けて。

 途方もない無力感と、完膚無きまでに叩き潰された自己肯定感が、ソフィアから挑戦する気力を奪い去っていた。


(もし何も出なかったら……アラン様に失望されたら……期待外れだとガッカリされたら……)


 考えただけで息が止まりそうだった。

 だがそんなソフィアの怯えを、アランは一蹴する。


「別に、失敗してもいい」


 ソフィアの驚きに見開かれた瞳がアランを見上げる。


「そもそも今まで一度もやった事ないことを最初から出来る者はほとんどいない。失敗して当たり前だ。大事なのは失敗を恐れず、とりあえずやってみる事だ。逆に言えば、一番良くないのは失敗を恐れて何もしない事」


 アランにとってはごく当たり前のことを言っているのだろうが。

 今まで失敗が何よりも悪だと思い込んでいたソフィアにとって、その言葉は新鮮と衝撃を持って受け取られた。


「だから、失敗なぞ気にするな。とりあえず、やってみてくれ」


 アランの言葉にほんの少し……いや、かなり心が楽になった。


「ありがとう……ございます」


 覚悟を、決めた。


「やってみます」

「それでいい。……まあ、心配は無用だと思うがな」

「と、いうと……?」

「君は精霊に愛されているから」


 さらりと言うアランの瞳は確信に満ちていた。

 一に一を足すと二になるという、当たり前の式を前にしているかのような確信。


 ソフィアの胸の奥で、前向きな気持ちが芽生える。


「火は危ないから、水で試してみるか」

「はい」


 細かな心遣いに頬がにやけそうになるのを抑えて、手を合わせる。

 誰かに願いを伝える際の、祈りのポーズ。


「俺は少し距離を取る。俺のことは気にせず、とりあえず集中してみてくれ」

「わかりました」


 アランの気配は薄くなると同時に膨れ上がる、自身の気持ち。


(アラン様の期待に応えたい……)


 その一心で、目を閉じる。

 そして、辺りに意識を集中させる。


(…………いる)


 それは、完全に感覚だった。


 理屈じゃ説明できない。

 温かくて、柔らかくて、でも少しひんやりしているような……。


 朧げだが、確かな気配を感じた。

 集中すればするほど、ふんわりとした感覚は徐々に輪郭を表してくる。


(水の精霊さん……どうか……)


 祈る。

 そして、唱える。


(ウォーターボール!!)


 集中し過ぎて言葉にすることを忘れていたが、確かにソフィアは念じた。


 水の玉を発現させて欲しい、と。


 ……。

 …………。

 ………………。


「…………あれ?」


 目を開ける。

 きょろきょろと見回すも、水はどこにも生じていない。


 手のひらを見てみるも、自分の汗で少し湿っている程度だ。


 ソフィアの胸にずんっと、“失敗”の二文字が浮かび上がる。

 

「ソフィア!!」

 

 離れて見ていたアランが大きな声をあげる。

 怒られた、と思ってソフィアの肩がびくりと震えた。


「ごめんなさいアラン様……私、失敗して……」

「違う! 上を見ろ!」


 ……上?


 反射的に首を上げ、絶句した。


「……!!」


 空が、歪んでいた。


 いや、歪んで見えたのは、視界に映る範囲いっぱいを覆うほど大量の水が突然、自分の頭上に発生したからで……。


「その場から離れるんだ! ソフィア!!」


 アランの大声も虚しく、浮力を失った水の塊がぐらりと揺らぎソフィア目掛けて降り注いだ。

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