第2話


 携帯ショップは混むので開店と同時に入るのがいい、なんて知恵を仕入れてきた母の意見により、わたしたち母子と篠田家の母子の計四人は、ぞろぞろと午前中の妙な時間帯に街を歩いていた。


「ごめんね。受験も終わってのんびりしているときに、こんなことにつきあわせて」

 わたしは斜め上を向き、隣を歩く篠田に声をかけた。

 母がいつから篠田に目をつけていたのかは不明だが、彼にとってはとんだ災難だ。まさに、青天の霹靂だったろう。

 受験勉強のせいか、篠田は多少痩せたように見えるものの、それでも166センチのわたしが見上げるほどのその高い背に見合うような、しっかりとした体をしていた。

 篠田は、大きな欠伸をひとつしたあと、いや、俺も買わないといけなかったから、と意外な台詞を言ってきた。


「そっか。だから、おばさんも一緒なのね」

「未成年者は親がついてないと契約できないからさ。というか、篠田は四人で携帯ショップに行くことを、いったいなんだと思っていたの?」

「篠田はわたしの携帯を買うのに付き合ってくれて、おばさんは、うちのお母さんの話し相手かと思った」

「おもしろいこと考えるな」

 篠田が笑う。

「でも、篠田も携帯電話を持ってなかったんだね。なくて、困らなかったの?」

「多少不便はあったけれど、持っていると面倒そうで、嫌だったんだよなぁ」

 彼はそう言うと、頭をかいた。

「なんか、ちょっとほっとした」

 携帯を持っていないのが自分だけじゃなかったことが嬉しくて、ついそんな台詞を言ってしまう。


「そっちこそ、持ってなくて不便じゃなかったわけ? 女子って、携帯好きだろう」

「まぁ、そう思った時もあったけど、今となっては、なくてもよかったかなぁって」

「俺もそうだな。マメじゃないから、きっと持っていてもあんまり使わなくて、かえってひんしゅくをかったかもしれない」


 ――あらら。わたしと同じような考えの人がいたなんて。


 意外な共通点に、ちょっと笑った。


 ふいに、母と並んで前を歩いていた篠田のお母さんが、振り向いた。

「真子ちゃんのお顔見るの久しぶりだわ。すっかり、お姉さんらしくなって。中学生のころは、うちによく遊びに来てくれたのに、高校に入った途端、ぱったりなんだもの。おばさん、寂しかったのよ」

「中学生の時も、決して遊びに行っていたわけではないんですよ。幸弥君に試験のヤ……ではなく、勉強を教えてもらっていたんです。でも、高校は別になったし、幸弥君は勉強が忙しいから、お邪魔するのはよくないと思いまして」

「あら。高校時代、幸弥は、勉強なんかしてなかったわよ。むしろ、中学の時に真子ちゃんが遊びに来てくれた方が一生懸命に勉強をしていたような気がするわ。ねぇ、幸弥」

 篠田が、うーんと考える。

「高校でも、勉強していたつもりだけどな」

「そうよ、おばさん。勉強しないであの大学に入ったなんて言ったら、あちこちから槍が投げ込まれますよ」

 篠田のお母さんは、それでも引かない。


「でも、なんか違ったのよ。なんていうか、こう、中学のころに比べると、勉学に対する情熱が、パッションが感じられなかったの。だから、わたし、この子受験大丈夫かしらって、ずっと心配で。真子ちゃんを呼ぼうかしらって、お兄ちゃんに相談したくらいよ」

 篠田が咳き込む。

 そりゃ、そうだろう。気の毒に。あれだけ、いい大学から合格をもらいながら、勉学に対する情熱がないなんて言われたのだ。


 おまけに、勉学に対する情熱から最も遠い場所にいるわたしを呼ぼうとしたなんて、おばさん、どうかしている。わたしにしても、もし、呼ばれたとしても、なにをしていいのかさっぱりだったろう。


 百歩譲って、篠田が中学の時には持っていた勉学に対する情熱が、高校になって失われたとするならば、答えは一つだ。


「おばさん、幸弥君は中学生のとき、それはそれは一生懸命にわたしに勉強を教えてくれたんです。その一生懸命さが、おばさんの目には勉学に対する情熱と映ったのではないですか?」

「そうなのかしら? わたしは、てっきり幸弥は真子ちゃんが――」

「母さん、なんか鳴ってるよ」

 篠田のお母さんのバックで携帯電話が鳴りだした。おばさんはわたしたちから少し離れて、誰かと話しだす。


「母が騒がしくてすみません」

 篠田がわたしの母に謝と、母は首を振った

「篠田さんは明るくて、一緒にいると楽しいの。それに、あーでもない、こーでもないと言いながら、お出かけするのもいいものよ。子育てにしても、篠田さんをはじめ、ご近所のみなさまにとても助けられたの。うちは真子一人だけれど、わたしは幸弥君や近所の子たち、みんなの成長がとても楽しみなの。そう思えるのがとても幸せなの」

「そういえば、わたし、一人っ子には見られない。よく、兄弟がいるでしょうって言われる」

「ふふふ、そうね。幼稚園、小学校と近所の子みんなでプールに行ったり、花火をしたり、お泊り会もしたものね」

「そうだった、うん。あぁ、懐かしいなぁ」


 うちの近所は、同じくらいの年の子がぞろぞろいたため、町内会のイベントも多く、家族ぐるみで仲がよかったのだ。

 さすがに、子ども同士はとっくの昔にそこから抜け出し、中学校、高校と独自の交友関係を築き始めているけれど、母たちは今だに仲が良く、ランチや映画に行っている。


「今日もね、幸弥君がついてきてくれて、本当に助かったの。おばさんも真子も、機械が苦手でしょう」

 篠田はそんな母の言葉に、お役に立てるのなら、なんて答えている。

 ここで、はなから名前があがらないうちの父は、悲しいかなそもそも戦力外なのだ。

「ほら、真子。幸弥君にお礼は言ったの?」

 今度はわたしか。

 そりゃ、お礼を言う気はあるけれど、まだ携帯ショップに着いてもいなければ、ブツも手にしていない――と、文句を言いたいところをぐっと堪える。これから、それなりの値段の品物を買ってもらうのだ。波風は立てたくない。

 わざとらしくないだろうかと思いつつ、ありがとう、とお礼を言うと、篠田は尤もらしい顔つきで頷いた。


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