第17話 彼の到着と、振るわれる拳と
ビルとビルとの隙間の路地で荷物のようにかつぎ上げられ、手足を紐でくくられて。震えるジニアは運び出された。サイキらにとっては確かに物に過ぎないのだろう、臓器の入った入れ物に。
横を歩くサイキが、煙草の煙をジニアの顔に吹きつける。
「イイ子だ。泣きもしねェ、漏らしもしねェ、大した度胸だ。親が親だからか? オレっとこに雇いたいぐれェさ。ま、そーもいかねェがよ」
目を見開いたままジニアはつぶやく。
「……知ってるの、パパか、ママのこと」
「ママは知らんがパパの方はよ。確かにありゃ強ェ……どうだ、助けに来てもらいてェか、ン?」
ジニアは答えなかった。ただ目を瞬かせ、涙をこぼした。もうこうなっては、その問いも無意味に思えた。目に映る、黴と埃にまみれた薄暗い路地の景色と同様に。ただ、その光景と同様、その言葉ももう二度と、触れる機会など無い気がして。細くつぶやく。
パパ。助けて、パパ。
サイキは鼻で息をつく。
「期待してろ、どうせムダだ。追いつきゃしねェし、来たところで。パパにゃ、また死んでもらうさ」
何か、少しだけ今の言葉が引っかかったけれど。口を開けたままのジニアの頭では、何が気になったか分からなかった。気にする意味ももうなかった。
路地の向こうから白く光が差し込む。そこから先は
やがてたどり着いた白い光の中には、黒塗りの車が何台も停まっていた。多くの黒服が礼で出迎える。サイキは鷹揚にうなずき、車のドアへ顎をしゃくる。待機していた黒服がドアを開け、男たちがジニアをそちらへ運ぼうとしたとき。サイキが声を上げた。
「……あ?」
黒服たちがサイキの見上げた方を向く。そのおかげでジニアにも見えた。ほんのわずかな隙間を空けて建ち並ぶ
「な……!」
サイキがうめく間にも、それは真っすぐ落ちてくる。ジニアの方へ、その横の車の上へ。コートの裾をたなびかせ、灰色じみた肌の男が。
「マーチ!」
ジニアが叫ぶと同時。重い音を立てて車が軋んだ。舞い上がる土埃の中、真ん中から歪んだ車は腹を地につけ、ガラスは全てひび割れていた。へこんだ天井の上には。折り畳むように背を曲げうつむく、マーチがいた。
「てめ……」
後ずさっていた黒服の一人が言い終わるより早く、マーチは顔を上げ、跳んだ。振り下ろす左掌がその男を軽々と打ち倒す。男の頭は体ごと毬のように叩きつけられ、地面に当たってわずかに跳ねた。
銃を抜こうとする別の男へ、脛を踏み折るような下段の蹴り。ひるんだそこへ体重を乗せ突き込む、左の
ジニアを肩から下ろした黒服は、後ずさりながら銃を取り出す。
「動くな、この娘が――」
迷わずマーチは跳び込んだ、身を縮め、上体を左へ曲げながら。着地と同時、包帯を巻いた右手をしならせ、体ごと鞭のように振り出す。右手は風を切る音を立ててジニアの頭上を過ぎ、裏拳で男の頭を打つ。
首から嫌な音を立てた男の、ジニアをつかんだ手から力が抜ける。銃を取り落とし、その場に倒れた。
縛られた手足のままジニアは跳ねた。マーチの方へと。
「マーチ……マーチ!」
冷たく固い、大きな体に顔を埋める。すえたにおいと消毒液の不自然な香りが鼻をついたが。そのにおいさえ懐かしかった。湧き出る涙を拭うようにコートへ顔を押しつける。
マーチの右手、大きな手がジニアの背を抱く。左手はジニアの手を縛った紐をちぎり、続けて足の紐も裂いた。
自由になった手足で抱きつこうとしたのに。マーチはジニアを片手で抱え、ひしゃげた車の後席に押し込めた。続けて運転席のドアを開ける。丸太のような脚を振り上げ、シフトレバーを根元から蹴り折る。振り回すように右手を叩きつけ、左手で真っすぐ突き込んでハンドルを破壊した。これで誰も、この車では逃げられない。
黒服たちがマーチに銃を向ける。銃声がいくつも上がった。辺りが開けているせいかそれはまるで、爆竹を一つ一つに分けて点火したような、しょぼくれた音に聞こえた。
銃弾を受けてマーチは身を震わせた。黒服たちの方へ向き直り、額に開いた穴の横を、こつ、こつ、と音を立てて指で叩いた。そうして手を上げ、構えを取る。
「この、バケモンが!」
黒服の一人が駆け出て、マーチへ銃を向けた。両手で腰だめに持ったそれは細長い箱を組み合わせたように四角く、拳銃よりも一回り大きい。おそらく、小型の機関銃。
その男の頭を、後ろからサイキが殴った。
「ダボが、状況見えてねェのか。……ケンカが上手ェな、拳法家サンよ」
マーチは構えたまま表情を変えない。
サイキは靴音を立て、歩き回りながら続ける。
「
殴られた男が言う。
「じゃ、どうすりゃあ」
「引きはがすンだよ。銃以外でな」
「ですからどうやって――」
言い終わる前に、男の顔に拳銃が突きつけられる。
「立派な手足がついてンだろ、奴もテメェらも二本二本よォ。やれ。……言っとくが、銃は奴らに向けられねェだけだ」
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