第44話 かわいい下級生
季節は移り行く。
新学年が始まってすでに
ミリアはあと
『魔術錬成術式総覧』の解読は少しずつだが進んでいる。
この書はキールが持っている『真魔術式総覧』に比べればまだ解読しやすい方だった。王立書庫に蔵書されている古代文字の文献を片っ端から調べたがこの書に該当する言語は見当たらなかった。
おそらくどこかのタイミングで失われてしまったのだろう。
しかしながら、似たような文字列、構文を持つ言語を見つけることができた。
『バレリア文字』――
遥か数千年前に存在したと言われる、メストリアからはるか南方の地域で発見された古代文明の文字だった。
ミリアはこの言語を解読の足掛かりとして、少しずつ読み解いていったのだ。
春先から比べると、もう随分と意味が理解できるほどまで進んでいる。そのときでも既に幾つかの術式の錬成については解読できていたが、その後またさらに術式が判明したものが増えている。
(夏休暇にはキールにいい報告ができそうだわ。相変わらず発動の方はまだできてないけど――)
そうなのだ。
術式は判明している。しかし、どうやってもうまく発動しない。
なんというか、『パーツ』が一つ抜けているような、そんな感覚を最近感じている。
ふぅ――。
と、大きく息を着いた時だった。
コンコン――
個室の扉が不意にノックされた。
ミリアは反射的に「はい」と返事をする。
「すいません、お邪魔します。お勉強中でしたよね?」
知らない男の声だ。声の感じからして下級生っぽく感じたのだが、当然顔は見えていないので全くわからない。
「ええ。なにか御用ですか?」
ミリアはやや警戒して机の上に広げていた魔術関連の資料だけをまとめてカバンへ押し込んだ。
「あの、実はすこしお伝えしたいことがありまして。古代文字に関すること――なんですが――」
男は一段とトーンを落として、ミリアにだけ聞こえるように言った。
「――!」
ミリアは身を縮める。
「あ、大丈夫、です。いきなりこんなこと言うの変、ですよね。忘れてください、僕はもう行きます――」
男はこちらの警戒心を感じたのだろう、バツが悪そうにして立ち去ろうとしているようだ。
「ま、まって! ――いいわ。入りなさい」
ミリアは覚悟を決めて扉の向こうへ告げた。
「あ、ありがとうございます! では、失礼します――」
かちゃりと音がして個室の扉が開かれると、そこに立っていたのはやはりミリアの思っていた通り若い男の子だった。おそらく下級生だろう。
「あ、初めまして――。クリストファー・ダン・ヴェラーニと申します。今年からこちらの王立大学に入学したものです」
やはり下級生だった。
物腰は柔らかく、柔和な面持ちに幼さはまだ残るが、身長は180をゆうに超えていて、体形も一目見て整っているのが服の上からでもわかる。金色に輝く短髪もきれいなウェーブがかかっていて、それでいて嫌味なくまとめられている。
切れ長の眼は涼し気な光を放っており、すっと通った鼻筋、薄く引かれた唇、きれいにつんととがった顎――誰が見ても一目でほれぼれするほどの美男子だ。
久しぶりにいわゆる「美男子」というものに声を掛けられて、少し胸が高鳴るのは乙女の必定というものだ、誰にも責められることではない。それはミリアも然りだ。
ミリアはその高まりを悟られぬように、落ち着いた口調で返す。
「ミリア・ハインツフェルト。2年よ。よろしく、クリストファー」
「ええ、存じております。王立魔術院の若き天才、将来を嘱望されるそのご高名はこの国中に轟いております」
「そんなことはないでしょう。お世辞は好きじゃないわ」
「はは、やはり、思ってたとおりの方だ。よかった――」
「なにが、よかったのよ? 私はあなたの言葉が不快だと言っているのよ?」
「だから、よかったのです。そういうお方は信頼するに足る人物ですから」
「――」
「あ、すいません。用のほうですね、これだけお伝えしたらもう行きます。――ちょっとこれを見てくださいませんか?」
そう言ってクリストファーは一冊の本をミリアの前に広げた。
「これは……」
ミリアはそこに記述された文字をよく知っている。
「はい、バレリア文字です」
「どうしてこれを私に?」
努めて平静を装いながらミリアは返す。
「おそらくお探しのものではないかと思いまして」
「なぜそう思ったの?」
「すいません。実は少し前にお見かけしたことがありまして、その時にこの文字に関する書物を手に取っておられました。その後も何度かそのご様子を拝見していたものですから、もしかしたら――と思いまして。違ったのならいいんです、僕の勘違いですね」
「ええ、それはあなたの思い過ごしというものでしょう――」
さすがにここでそれに飛びつくほど無警戒なミリアではない。
「――そうですか……。お邪魔致しました、突然お声をおかけし申し訳ございませんでした。僕はこれで失礼します」
「ええ。ありがとう、クリストファー、気にかけてくれて。でも、それは私には必要ないわ」
「はい、了解いたしました。お勉強頑張ってください、失礼します」
クリストファーはそう言って個室を出て行った。足音が遠ざかるのが感じられた。
――いつ? いつみられてた?
ミリアはさすがに少し気味が悪くなった。
しかし、今日の彼から敵意は感じられなかった。それに、どちらかと言うと協力的にも感じられる。
ただ、相手のことがわからないうちは懐に飛び込む無謀は冒してはならない。
それは去年のキールとの対決以降ミリアの教訓となっている。
――まずは相手を知る、それからだ。それに――。
ミリアが人と接するときの癖のようになっているものだが、特に初めて会う人物には『魔法痕跡感知』を発動するようにしている。
――あの子、魔術師だったわ――。
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