第36話 掴んだ端緒


 キールは早速その本を広げて読み進めていった。


『記憶に関する魔術と前世からの贈り物』というその書物には実に興味深い点が散見された。


 まず、記憶に関する魔術については、記憶を操作する魔術として、過去にそれを術式としてあらわしたものは伝説の魔術師ボウンだけだとある。

 ここで言う「魔術師ボウン」は、いわゆるおとぎ話に出てくる「超魔術師ボウン」ではなく、ロバート・エルダー・ボウンその人を指すことは明白だ。


『彼は数種類の記憶を操作する術式を編み出したというが、そのすべてに共通するある符号をつけた。「rootルート」である。

 その符号が付いたものが記憶操作術式であるという証だ。記憶操作術式とは私が勝手に命名した分類であり、具体的には、『記憶消去』『記憶追加』『記憶再生』『魂魄記憶再生』の4つを指す。』

 

と、その『赤背表紙本』には記されてあった。


――「rootルート」。それが符合?

今すぐにでも『総覧』を開きたい気持ちに駆られるが、キールはいったん深呼吸をして、先を読み進めた。


 この『魂魄こんぱく記憶再生』における、『魂魄』というのは、文字通り人に宿る魂と言うべきものであり、これには人の前世前々世その前の記憶が記録されており、脈々と受け継がれるものであるとは言っている。

 つまり、今の自分の記憶や行動はこの魂魄に記録され、死後生まれ変わったときはこの『記録』をもって再度この世に生を受けることになるという。

 しかしながら、この『魂魄記憶』は通常の生活の中では明確な「記憶」として人の頭の中に残るものではないため、そのもの自身はその『魂魄記憶』に自身の行動が制限されることはなく、自身は自身の経験と記憶に基づいて行動できるのだという。

 では、何のための『記録』なのか。これはおそらく人智の範疇ではないことなのだろう。われわれ有限の命を持つ人類にとってはそこに何の意味があるのかなど、おそらく考えるだけ無駄なことなのだ。

 ただ、この『魂魄記憶』を呼び覚まし、確かな記憶とすることによって得られるものがあるとすれば、それはとても『特別な贈り物』となりうる。それを可能たらしめる術式が『魂魄記憶再生術式』なのだろう。


――前世の記憶、魂魄……。

 

 キールが欲しているものの手がかりが今、手に入ったようなそのような気持がして、キールはこの本との出会いに感謝した。

 ここに記されている4つの術式、中でも『魂魄記憶再生』があれば、消えてしまったあの男のことや、この間聞こえたおじいさんの声について何かがわかるかもしれないのだ。


(それにしても最近少し、本を読んで理解できることが増えてるような気がする。これまではなんだか右から左って感じだったのだが、最近しっかりと記憶にとどまっている感がある。これが知識というものか――)

 

 キール自身、どうしてそんなふうになってきてるのか理解できていない。ただ、知りたいもっと知らねばという思いは、幼いころ物語や伝記を読みふけったときに比べれば格段に強いと言える。


――それこそが人類の存在の根幹をなすもの、「」というものじゃ。


 キールは不意に後方から声を掛けられたような感覚に襲われ、振り返った。

 しかしそこには誰もいない。


――わしのことはよ? もっと、知らねばの……。


 ふぅっとその気配が遠のいてゆき、もうその気配は掻き消えてしまった。


(なんだったんだ? 今の、この間のじいさん?)

キールは確かに今声を聞いた。そしてそれはしっかりと「記憶」としてキールの中に残った。


 人類の存在の根幹、知識欲――。


 「知りたいと思う心」のことだろうか。確かにキールは魔法のことについてもっと知りたい知らねばと常々思っている。昔本を読んでいた時よりその気持ちは明らかに強い。


(ああ、なるほど。これが勉強ってやつなんだ。僕は今、初めて勉強しているんだろう――)




 キールはのちのちこの時のことを弟子たちにこう語ったという。


「人がある事柄に対して知識を深め、思案を深めるために必要なのは何よりもそれに対する単純な欲をもつことだ。ただそれだけでいい。ただし、その欲の強さが成果となって表れるのは時間が経ってからだ。だからお前たちは、魔法に対して、もっと知りたい、もっとうまくなりたいと思うことをやめてはいけないよ――」(『大魔導士キール・ヴァイスの教え(メストリル王立出版)』より抜粋)



 





 

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