3話

 ドスドス、とヒールブーツにあるまじき音を奏でながら団長室に戻ってきた桔梗を見て、クラウドとユタは互いの顔を見合わせた。


「シアンとホロはどうした?」

「知りませんっ!」


 ふん、と鼻息荒く、一人掛けソファに腰を下ろした桔梗に、ユタが爽やかなレモン色の液体が入ったグラスを差し出す。


「これは?」

「魔力増強剤よ。気休めかもしれないけれど、飲んでおくといいわ」


 鮮やかな色合いとは正反対に、受け取ったグラスから飲み物の放っていいものではない何とも言えない嫌な臭いがした。

 例えるなら、昨日シアンが食べていた納豆パフェを更に発酵させて数日寝かせたような臭いである。


「……これ、何を原料に作っているんです?」

「聞いた方がもっと飲めなくなると思うけど、知りたい?」


 うふ、と笑ったユタの顔を見て、桔梗は全力で首を横に振った。

 鼻を抓んで一気にグラスの中身を飲み干した桔梗を見て、クラウスとユタがカラカラと笑い声を上げる。


「しかし、弱ったなぁ。ホロとユタの二人でも解けない術となると、打つ手が無いぞ」

「あら、そうでもないですよ?」


 そう言ってユタが懐から取り出したのは、浅葱色の便箋だ。

 その便箋の色を見て、桔梗とクラウドはハッとした顔つきになった。


「カグラか! そうだな。あそこなら、高名な魔導士や薬師もたくさん居る。一人くらいこの術式が解ける人間が居てもおかしくない!」

「ええ! それに、あの街には様々な薬湯があります。もし術が解けなくても、薬湯に入ればある程度の魔力は回復するかもしれません!」


 きらきらと子供のように顔を綻ばせる二人に、ユタは肩を竦めた。


「水を差すようで申し訳ないのだけれど、これはレオンからの応援要請なんです。従って、貴女と桜花さんだけカグラに向かわせるわけにはいきません」


「え~……」

「『え~……』じゃありません! 本当なら貴女の隊に応援として向かってもらう予定だったけれど、隊長の貴女がそんな状態じゃ前線には出られないでしょう? そこで、」

「そこで?」


 ユタの目が、弧を描く。


「シアンの隊に応援部隊として向かってもらうことにしました。もちろん、貴女たちの護衛も兼ねてね」

「…………」

「何です。二人してそんな顔をして」


 桔梗とクラウドが見る間に表情を硬くする。その様を見て、ユタは首を傾げた。

 戦闘が出来ない隊長が部隊を率いるのは難しいと判断し、シアンの隊を応援部隊として見繕ったのだが、何か不備でもあったのだろうか。

 うんうん、唸り始めたユタに、桔梗が溜息交じりに硬い表情の答えを教える。


「シアン大佐とレオンが兄弟なことはご存じなんですよね?」

「ええ」

「なら、彼らの仲がとてつもなく悪いことは??」


 桔梗の言葉に、ユタはパチパチと瞬きを落とした。

 とてつもなく仲が悪い。

 その一文に、シアンがユタの提案を聞いて苦そうな顔をしたことを思い出す。


「……知らなかったわ」

「同期の間では有名なんです。顔を合わせれば罵詈雑言は勿論、手も足も出るほど仲が悪いって。まあ、ユタさんは研修が別の場所でしたから知らないのも無理はないですけど」

「ごめんなさい。それでシアンったら妙な顔をしていたのね」


 しゅん、と項垂れてしまったユタを宥めながら、桔梗は小さく溜め息を吐き出した。

 そもそもの始まりは自分が攻撃を受けてしまったことが原因なのだ。あの時、油断していなければ、と黒いスティレットが己に迫ってきた場面を思い出し、知れず眉間に力が籠った。


「出発は明日にしてもらっても構いませんか?」


 意気消沈するユタの手から便箋を受け取ったクラウドが「構わんよ」と笑顔で頷く。


「シアンにもよく休むように言ってくれ。あれは放っておくと徹夜で任務に行こうとするからな」

「分かりました。シャムや桜花の宿を手配してから、声を掛けてみます」

「ああ、頼む」


 いつの間にか元気になった桔梗が颯爽と部屋から出ていくのを見送って、クラウドは静かに長い息を吐き出した。

 手の中に握られている便箋には、普段のレオンからは考えつかない荒い文字が綴られている。


「……あの子には酷じゃないのか」


 桔梗が飲んでいたグラスを片付けようとしていたユタは、背中に掛けられた声にピクリ、と肩を震わせた。


「分かっています。けれど、いずれ知ることになるのならば、それは少しでも早い方が良いでしょう?」

「だが、」

殿下・・なら、きっと乗り越えてくれます」


 ユタの言葉に、クラウドは二の句を飲み込む他なかった。

 くしゃり、と手の中で歪んだ紙へ再び視線を戻す。


『結界魔導石の故障により、至急応援を願います。それから、東の国・王都「ミツバ」より、緊急招集がありました。詳しいことはまだ分かりませんが、霊峰キリにて龍の死骸が見つかったそうです。東の国、全支部に国王印の入った手紙で通達がありました。他の支部と合同で捜査してほしいとのことです。詳細が分かり次第、追って連絡致します。


 カグラ支部、支部長レオン・ウェルテクス』


 文末の名前を指で辿って、クラウドは頭を抱えた。

 これから桔梗が向かうのは、東の国の支部で最も危険で、華やかな街「カグラ」。小規模の街ならまだしも、山を掘って造られた三層からなる街カグラの結界魔導石を修復するとなると滞在期間は長くなる。


「何事も無ければ、良いが」

「ええ。そう願います」


 手紙から顔を上げた先、いつの間にか夕闇に染まった空をクラウドは静かに見つめるのであった。



◇ ◇ ◇


どこからか聞こえてくる笛の音に、桔梗と桜花はうっとりとその表情を甘美の色に染めた。

 美少女二人の恍惚とした表情に道を行く若者と彼女たちの後ろに連なる騎士の視線が釘付けになる。


「……惚けてないで、歩け。後ろが詰まっているだろうが」


 ゴン、と鈍い音を発したのは桔梗の頭頂部である。

 無論彼女にそんな真似が出来る男は同行する中に一人しかいない。


「痛っ!! 何も拳骨を落とさなくても良いじゃないですか! しかも私だけ!」

「お前な。桜花は今回の護衛対象の一人だぞ。殴るなら同僚の惚けている方に決まっているだろう」

「うぐっ……」


 たんこぶが出来ていないか頻りに頭を触りながら、漸く移動を始めた桔梗を見て、隣に立っていた桜花がくすり、と笑みを零した。


「何よ? 随分楽しそうねぇ。そんなに私が怒られているのが可笑しいっての?」

「あ、いえ、違います。シアン様は構いたがりなのかなぁと思って」

「はあ?」

「だって、先程列車で移動をしていたときも、ご自分の隊と同じ場所に座るのかなと思ったら、桔梗姉様の隣に座っていたでしょう? 私には姉様のことを構いたくて仕方がないという風に見えてしまって」


 ふふ、と笑う桜花の横顔に桔梗は開いた口が塞がらなかった。

 思い返せば、肩に傷を負ってから、シアンは桔梗の傍を付いて回っているような気がする。

 それに気が付いて、桔梗の顔がじわりじわり、と熱を帯びる。


「おい、桔梗。先にシャムと桜花の通行証を……って、どうした? 顔が赤いぞ?」


 先に支部の中に入って手続きを済ませたシアンが戻ってくるなり桔梗の顔を覗き込む。

 あまりにも自然な動作で顔を覗き込まれて、桔梗は狼狽えた。


「な、何でもありませんっ!!」

「それなら良いが、肩の傷が痛むようなら言えよ」

「は、はい」


 視線をうろうろと彷徨わせながら返事をした桔梗を、シアンは不思議そうに見つめていたが、やがて肩を竦めるとシャムと桜花に支部内を行き来する為に必要なゲスト証を手渡した。


「シャムと桜花は、これを首にぶら下げておけ。レオンなら、もうすぐ戻って来るらしいから、お前が話を通せ」


 それじゃ、とそこで何故かシアンは片手を上げた。それは彼がよく飲み会を抜けるときに示すポーズで、桔梗が眉間に皺を寄せる。


「それじゃ、ってどこに行く気ですか? 今回の応援部隊を率いているのはシアン大佐だから、大佐が書類を書かないと……」

「だーかーらー。顔を見たくねえから、お前に頼んでいるんだろ」

「はあ!?」

「アイツも俺の顔なんて見たくねえだろうし。お前たちも俺たちの喧嘩を止めなくて済むし、一石二鳥だろ? な? ってなわけで、俺は焼き鳥を食ってくる。以上、解散!!」


 そう言って本当に歩き出してしまったシアンの背中を桔梗と第一小隊、シャムと桜花の面々は黙って見送ることしか出来なかった。


「そんなに仲が悪いんですか?」


 待合室に通され、一心地着いた頃、シャムが首を傾げながらに言った。


「そうねぇ。昔は仲が良かったんですって。ただレオンが騎士団に入団するって話をしてから少しずつ喧嘩が増えるようになった、ってレオンは言っていたかなぁ?」

「桔梗さんはいつ頃、二人と出会ったんですか?」

「入団テストの時よ。丁度私のグループにレオンが居て、たまたまそのグループの教官が大佐だったの。あの時は壮絶だったなぁ。実戦形式で教官と戦うんだけど、レオンは自分に与えられた役割が『回復役』なのに、飛び出して行っちゃってね。結局、時間内にシアン大佐を倒せなくて……」


 桔梗は当時のことを思い返そうとゆっくりと瞼を閉じた。

 脳裏に鮮烈に蘇ったのは、木刀が真剣に見えるほどの殺気を放つウェルテクス兄弟の姿。

 憎み合っているわけではないのだ、といつかレオンは言っていた。

 それを聞いて桔梗は、彼らが互いを大切に思い合っているのだと思った。実際にそれを当人たちに言ってみたところ「鳥肌が立つからやめてくれ」と全く同じことを言われてしまったのだけれど。

 ふふ、と思い出し笑いを浮かべていた桔梗の耳に、ノックの音が響いた。


「遅れてすまない。応急処置に手間取ってしまって……。久しぶりだね、桔梗」


 汗で張り付いた金髪を後ろに流しながら、男性が一人部屋の中に入ってくる。

 どことなくシアンに似た面立ちと、彼と同じ深い海色の目を持つ男性に桔梗は笑いかけた。


「お疲れ様、レオン。丁度、今貴方の話をしていたところだったのよ」

「へえ? それはまた随分と楽しそうなことを」

「ふふっ。相変わらず、元気そうで良かった」

「君もね」


 レオンは窓から街中を興味深そうに眺めているシャムと桜花の二人をソファに座るように促す。


「初めまして、レオン・ウェルテクスです。ここの支部長を任されています。桔梗とは同期なんだけど、階級は彼女より一つ上の中佐です。今回の滞在中、第一小隊と一緒に君たちの護衛を担当します。何かあったら遠慮なく言ってください」

「は、はい」

「よろしくお願いします」


 緊張して上手く話せないシャムの代わりに桜花がそっと言葉を引き継ぐ。

 何しろ二人にとって一昨日から目まぐるしいことの連続なのだ。慣れない土地、慣れない人。本来であれば、森から一歩も出ない森の民であるシャムにとって外の世界は未知の領域である。様々なものを見たり、聞いたり、でシャムの頭がパンクしそうになっていると桜花から苦情があったのには少しだけ笑ってしまった。


「それで、第一小隊の隊長殿はどちらに行かれたのかな?」


 厭味ったらしくそう零したレオンに桔梗は苦笑する。


「まあ、そう言わないで。任務内容が内容なだけに、先に結界魔導石を見に行ったんだと思うよ。素直じゃないから『焼き鳥を食べに行く』って言っていたけれど」

「ふーん……」


 レオンは何とも言えない表情を浮かべたが、すぐに元の表情に戻ると桜花と桔梗の術式の件について、良い人を知っていると言った。


「解呪魔法が得意な魔導士の知り合いなんて、いつできたのよ?」

「先週だよ。ちょっとした会議の帰りに、たまたま森で襲われているところを助けたんだ。そしたら、この街に移住を考えていた人らしくてね。そのまま移住と家の手配も僕が済ませてあげたんだ」


 ここだよ、とレオンが三人を案内したのは、支部を出てからものの五分と経たない場所に建てられた小さな一軒家だった。


「アメリアさん」

「あら、ウェルテクスじゃない。こんな時間に来るなんて、今日はお休みなの?」


 ふわり。

 その人は爽やかな花の香りを纏っていた。

 レオンの声に、花畑から立ち上がった小柄な女性は花を踏まないようにひょこひょこと小さく兎のように飛び跳ねながらこちらに移動してくる。


「急にすみません。お時間よろしければ、少し見て頂きたい術式がありまして……」


 アメジスト色の髪が風に揺れて、長い前髪に隠れていた琥珀色の瞳が覗く。

 西の国の伝統工芸品である白磁人形のような人だ、と桔梗は瞬きを繰り返した。

 滑らかな肌が濃紺のローブに反射してきらきらと輝いているように見える。


「お連れの騎士様は、魔女を見るのが初めてなのかしら?」

「え、あ! す、すみません! 聖騎士団本部所属、第二小隊隊長。桔梗少佐であります。ご無礼をお許しください」

「いいえ。この琥珀色の瞳が珍しかったのでしょう? 魔導士の中でも珍しいってよく言われるのよ」


 アメリア、と呼ばれた女性は別段怒った様子も見せずに、むしろ桔梗に興味を持ったのか、中で話をしましょうと言って快く家の中へ通してくれた。

 傷の部位が服を脱がなければ見えないということを説明すると彼女は無言でシャムとレオンを見つめた。

 レオンはそれだけで彼女が言わんとしていることを察したようだ。

 シャムに薬湯を案内してくるよ、と言って彼を上手く外に連れ出してくれた。


「助かりました。心配性なのは良いのだけれど、流石に肌を晒すのは少し恥ずかしくて……」


 桜花が頬を髪と同じ色に染めるのを見て、桔梗とアメリアがくすくすと笑い声を零す。

 桔梗のお古のワンピースを脱いだ桜花の身体を見て、アメリアは顔を顰めた。


「……随分と古い術式ね。待っていて。確かおばあさまが解呪をしたときの手帳があったはずよ」


 アメリアが言うには、これは七十年ほど前に主流とされていた術式らしく、魔法というよりも呪いに近いものだということが分かった。


「こんな古い術式を使える人がまだ居たのね」


 どことなく嬉しそうに術式をなぞるとアメリアは持ってきた手帳を片手に桜花に施された術式をあっという間に解呪してしまった。


「すごい! 本部の回復部隊でも解けなかったのに!」

「燥いでいるところ申し訳ないのだけれど、次は貴女の番でしょ? ほら、服を脱いで傷を見せて頂戴」

「はい!」


 コート、シャツ、インナーの順に桔梗が服を脱いでいく。

 露わになった左肩の傷を見て、アメリアの眉間に深い皺が刻まれた。


「アメリアさん?」

「桜花ちゃんとは違う術式だわ……。二つの術式が複雑に組み込まれている。これは今日一日じゃ解けそうにないわね。長期滞在の予定で来ているのだったかしら?」

「はい。結界魔導石が直るまでの間、ということでしたので……」

「それなら、時間をかけてゆっくりと解呪しましょう。簡単なものなら桜花ちゃんのようにすぐに解けるけれど、この術式だと最短で十日は必要だわ」

「分かりました。それなら、上官とレオンにそう伝えておきます」

「明日から支部の隣にある薬湯で解呪を行いましょう。その方が身体も解れて魔力循環も良くなるだろうし」


 アメリアの言葉に桔梗はこくりと頷きを返すと、脱いだ服を手早く着こんで、首をこきりと鳴らした。


「今日はありがとうございました。また明日から、よろしくお願いします」

「こちらこそ。久しぶりに同年代の女性と話をしたから楽しかったわ。桜花ちゃんも良かったら明日もお話ししましょうね」


 出窓から手を振るアメリアに会釈を返しながら、桔梗と桜花はカグラ支部への帰路に就いた。

 くるくると傷があった方の肩を回す桜花を見て、桔梗は少しばかり唇を尖らせる。


「いいなあ、桜花。私はまだこの辺が凝ったままだよ~」

「何だか、すみません。私を庇って姉様が怪我をなされたのに、私だけ先に治ってしまって」

「嘘、嘘! 冗談よ。だからそんな顔しないで。そうだ! シャムにお土産でも買っていきましょう!」


 眼前に飛び込んできた『焼き鳥』の文字に桔梗は桜花の手を引いて走り出した。

 香ばしい匂いが鼻腔いっぱいに広がるのに、思わず涎が出そうになるのを寸でのところで堪える。

 つきり、と痛んだ肩には気が付かない振りをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る