第2章『水面の騎士』

1話

 中央の国、帝都クラルテ。聖騎士団が居を構えるこの街の朝は早い。

 日が昇るのと同時に聖騎士団の始業を合図する鐘の音が、世界樹の魔力で出来た街全体を覆う結界に反響して、住民たちを起きるように促しているからだ。


「……ん」


 リンゴーン、リンゴーン、と鳴り響く鐘の音に、ホロは重い瞼をゆっくりと持ち上げた。

 どうやら執務机で力尽きてしまったらしい。今日の昼までに書き上げねばならない報告書が昨夜のまま、未だ白紙に近い状態で皺を寄せていた。


「……古きもの、戒めの姿を捨て生まれかわれ――《新たなる命リヴァイス》」


 ホロが手を触れると、紙がふわりと宙に浮き、薄緑の光を放って弾けた。やがて弾けた光が、淡い黄色に変化し、意思を持っているかのように元の形へと集まっていく。

 渡された時と同様に肌触りの良い紙に戻った。


「よし」


 我ながら素晴らしい魔力コントロールだ、とホロは魔法を使った紙を朝日に透かして満足そうに笑みを浮かべる。

 ふと、日に透かしていた紙に影が落ちた。今日は朝から雲一つない晴天であると、昨夜の気象魔導師がタロットカードで予報をしていたはずだ。

 はて、と首を傾げながらに窓の方を見れば、巨大な金色の目玉と目が合った。


「……」

「シアン様。この赤毛の方でお間違いないでしょうか?」


 そう言って目玉が下に下がっていったかと思うと、今度は桜色が窓一面を埋め尽くす。思わず口を開けて呆けていたホロの前に見知った人物が姿を見せた。


「戻ったぞ、ホロ」


 シアンが満面の笑みで窓の外に現れたのに対し、ホロは思わず机の上に立ち上がって、彼の乗っている乗り物に視線を遣った。

 そして、それを眼に収めると同時に窓を蹴破る勢いで開け、外に飛び出す。

 先ほど綺麗にしたばかりの書類がまた汚れてしまうなどと悠長なことを考えている暇はない。眼前の巨大な生物に、探究心が勝った。


「ちょ、いきなり窓から飛び降りないでくださいよ! 本気で焦ったじゃないですか!」


 白衣をはためかせながら、飛び降りてきたホロの腕をギリギリの所で掴みながら、桔梗が怒気の籠った声で言った。


「あははは~。ごめんごめん」

「ったく、自殺願望でもあるのかお前は」


 シアンがぐい、とホロの左腕を掴んで桜花の上に引き上げる。それを聞いた桔梗がムッとした表情になって彼を睨んだ。


「元はと言えば、大佐がホロさんに桜花を見せたいって言うから悪いんですよ!? この人の探究心に火を付けたら手に負えないの、知っているくせに!」

「だって、見せた時のアホ面拝みたいなって……。ほら、アレだよ。魔導学校のガキがサラマンダー見せびらかしたくなるやつ」

「魔導学校の子はそんな理由でサラマンダーを捕まえたりしません」


 大体それは大佐の話でしょ、と睨まれてしまい、シアンは肩を竦めながら桔梗から視線を外した。


「凄いなー! この龍、ラディカータから連れて来たの? ねえ、解剖しても良い?」

「ダメに決まっているでしょうが!! ったく、どうして私の上官はこんな変人ばっかりなの……」


 がっくりと肩を下ろした桔梗にシャムと桜花が顔を見合わせて苦笑する。やがて、地面が近付いてくると、桜花は皆が降りやすいように、と芝生の上に寝そべって着地した。


「近くで見れば見るほど、美しい龍だね」

「お褒め頂き光栄ですわ」


 照れた風に眦を和らげた桜花に、シャムが紋章の光る右手で触れた。

 途端に、辺り一面を煙が多い、人の姿となった龍が桔梗の赤いコートを纏ってお辞儀してみせる。


「…………わあ!」


 それっきりホロは黙り込むと、団長室に向かう間、ずっと桜花のことを観察していた。


「第一、第二小隊、帰還しました」


 ノックと共に重厚な黒塗りの扉を潜ると、そこには真紅の椅子に座った金色の鎧を纏う騎士が居た。聖騎士団、団長クラウド・ダガースが、にこにこと満面の笑みで一同を迎え入れる。


「おかえり」


 シアンと桔梗が、頭を垂れるとクラウドはそれを片手で制した。

 そして、彼らの後ろに控えるシャムと桜花を見て、ソファに座るように促す。

 桔梗とホロが座るのに倣って、彼らも桔梗の隣へと腰を下ろした。シアンも彼らが座るのを見ると、自分もクラウドの隣にある一人掛け用のソファに腰を落ち着かせた。

 そして、全員が座るのを見計らったかのようなタイミングで、扉がノックされる。


「ユタ・ネイヴェス少将です。結界魔導石の件でご報告に上がりました」

「入れ」


 クラウドがそう言うと、部屋の中へ赤い髪に緑の軍服の女性が入ってきた。よく見ると、ホロと同じ顔をしているのに気が付いたシャムが桜花の服の裾を引っ張りながら、彼と女性との間で視線を行ったり来たりしている。

 それを見た桔梗が可笑しそうに笑いながら言った。


「もしかして双子を見るのは初めて?」

「ふ、双子?」

「ホロさんとユタさん、そっくりでしょう? まあ、中身は全然似ていないけれど。ユタさんは、第四小隊隊長で参謀長官。ホロさんもこう見えて第三小隊の隊長で、技術班の総指揮を務めている偉い人なのよ」

「桔梗ちゃんさ、たまーに毒吐くよね? 何で? 上官? 上官の教育方針なの?」


 ホロが泣き真似をしながらシアンを見るが、彼は知らん振りを決め込んで手元の資料へと視線を落としながら口を開く。


「事件が起きたのは一ヶ月前。三ヶ国、それぞれの支部の騎士から倉庫に保管していた旧型の魔導銃が盗まれたと連絡がありました。報告があったのは、カグラ、アラキ、リコルヌ、といずれも大きな街ばかりです」


 そこで区切ると、シアンはちらりと桔梗の方に視線を移した。こういう事務的な報告が彼は苦手で、こんな時ばかり縋るような視線を向けてくるのだ。またか、と溜息を吐きだすと、手を上げ、発言の許可を取った桔梗が続きを口にする。


「唯一犯人の目撃があったアラキの街からラディカータ村への道を一行が逃亡したと報告を受けた矢先、ラディカータ村村長より依頼があり急行したのが一週間前です。到着当日は周辺捜査、五日ほど張り込み、昨日漸く逮捕に至りました」

「なるほど。それで、この子の依頼はどれくらいの間、こちらに回っていなかったんだ?」

「三日くらいだと思います。私と大佐は現場指揮で村に居なかったのですが、残していた部下の数名が村役場に来ているのを何度か目撃していましたから」


 クラウドがうんうん唸るのを視界の端に捉え、桔梗は次のページに進んだ。


「……また、密輸には村長も一枚噛んでいました。自分の取り分を減らされそうになったので、慌てて依頼書を作成したようです。――村長含む密輸関係者は全部で三十名。その内、魔導銃をぶっ放したのが十六名。残りは逃走を図ったようですが、大佐の一撃を真面に喰らって吹っ飛びました・・・・・・・」

「吹っ飛びましたって、正当防衛だろ。アレは」

「どう見たって過剰防衛でした。武器を取り出すのを見ただけで一閃したくせに」

「うぐッ」


 鋭い視線でシアンを睨めば、書類を全部読み終えたのかユタが桔梗の方に視線を寄越した。


「密輸の件は分かったわ。けれど、この後の……」

「『血の契約』か……。今回は成功したから良いけれど、最悪の場合 この子たちはここに居なかっただろうね」


 妹の言わんとしたことが分かったのか、ホロはユタが敢えて言い渋った部分を代わりに引き継ぎ、口にする。二人の言葉に桔梗はシャムと桜花を見て、小さく俯いた。

 一歩間違っていれば死んでいたかもしれないのだ。本当に運が彼らに味方したおかげとしか言いようがなかった。


「良いじゃねえか。生きているんだし」

「そうだぞ、お前たち。その時はその時だ。この子たちに運が味方したのさ」


 桔梗とユタがそれぞれ、向かいに座っているシアンとクラウドをジト目で見つめる。あっけらかんと言う彼らに言葉が出ない。


「……ちょっと待って。この黒い武器って言うのは?」

「えっと、ああ。これです」


 神妙な面持ちで資料を見るホロに桔梗は腰ポーチの中から黒い破片を取り出した。

 それは桔梗と桜花両名を貫いた例の面を付けた男たちが使用していた武器の破片だった。


「嘘だろ」


 それを受け取ったホロが益々驚いた表情になり、桔梗を始め、その場に居た全員が彼を凝視する。


「……桔梗ちゃんと桜花、さん? でいいのかな? ちょっと身体検査させてくれない?」

「え」

「お前は、また性懲りもなく」


 嫌そうな顔をした桔梗と桜花に助け舟を出そうとシアンが呆れて肩を竦めれば、彼は真剣な顔をして首を振った。


「冗談抜きで。早めに対処しといた方が良いと思うんだ。だってこれ、」


 ホロがグッと破片を握る手に力を込めた。その瞬間、桔梗と桜花が、同時に傷口を押さえてその場に蹲る。


感覚共有リンクしているみたいだから」


「……兄さんッ!! 玩具おもちゃじゃないのよ!! せめて一言断ってから、行動に移して!!」


苦悶の表情を浮かべたまま動かない二人の前にしゃがみ込みながらユタが兄を叱責する。そして、苦しむ桔梗と桜花の手を握り込むとユタの手が淡く光を帯びた。


「光の精よ、我らを癒したまえ――《聖なる雫ホーリードロップ》」


 優しく暖かい光が二人を包み込む。あっという間に痛みは引いたが、そのスイッチをホロが持っていると思うと二人の顔が見る間に、嫌悪に染まった。


「……ホロさん?」

「あ、ごめんなさい。すみません。ちょっと試したかっただけなんです。あの、だから雷は止めてー!!!」


 問答無用で桔梗から発した稲妻がホロを襲う。

 その隙にユタが彼の手から破片を奪うと慎重に小瓶の中にしまった。


「大丈夫、桜花?」

「ええ。少し痛んだだけだから。でも、まだじんじんするわ……」


 恨めしそうにホロを睨む桜花を心配して傍に寄り、手を握ったシャムに、クラウドが笑いながら言った。


「うちのがすまないね。悪気はないんだが……」

「あれで悪気があったら、頭からガブリと行っていますわ」

「綺麗な顔で恐ろしいことを言うな、君は。まあ、冗談はさておき医術の腕は確かだ。一度ホロとユタに見てもらうといいよ」


 クラウドの屈託のない笑顔に毒気を抜かれてしまって、桜花は渋々頷いた。それを見ていた桔梗が苦笑する。


「私も一緒に受けるから安心して。いざとなったら雷で鎮めるから」

「どうしてこう、俺の周りの女性陣は物騒なのかね」

「……個人的には、アンタが一番物騒だと思いますけど」


 肩を竦めて言ったシアンに桔梗が鼻で笑いながら返す。何だと、と青筋を立てて詰め寄ってきたシアンを躱して桔梗は伸びたホロを引きずりながら、桜花と医務室を目指した。

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