北センチネル島からの脱出

岸亜里沙

File.01 遭難

秋元勝彦あきもとかつひこは取引先である亜細亜アジア貿易との会議を終え、小型客船でポート・ブレアへと向かっていた。


大の飛行機嫌いの秋元は、どんなに時間がかかろうとも、船や列車での移動手段を常としていた。今回も飛行機のフライトであれば、ほんの数時間で済む所だが、敢えて船での移動を手配している。


冷房もあまり効いていない船内で、秋元は鞄から取り出したフェイスタオルで額の汗を拭い、ペットボトルのぬるくなったミネラルウォーターを口にし、一気に飲み干すとひとつ息を吐いた。


波はうねり、海は荒れている。客船も激しい揺れに襲われていた。船旅に慣れない人間であれば、船酔いに苦しめられているだろう。

秋元は船の揺れをものともせず座席から立ち上がり、船内から船尾へと出ると、勤務先の会社へ電話をかけた。


「お疲れさまです。秋元です。亜細亜貿易との商談は終わりまして、今ポート・ブレアへと向かっております。次の商談が終わり次第、また連絡を致します」


会社としては、船や列車での移動のみを希望する秋元をあまり快く思ってはいなかったが、交渉や人身掌握術に長けた秋元をクビにする事は出来なかった。特例として秋元の我が儘を会社は認めていた。


電話を終え席に戻ろうとした秋元だったが、ちょうどその時、鈍い衝突音と、船体から突き上げるような衝撃を感じ、秋元はよろめいた。


「なんだ?」


そこに慌てた表情の船員がやって来て、救命胴衣を秋元の方に投げた。


「***********!」


地元の言語で話された為、秋元には船員が何を伝えたかったのか理解が出来なかった。


「What? Please speak English」


秋元は英語で問いかけたが、船員は慌てた様子で救命胴衣を指差すと、すぐさま船首の方へと戻っていった。

どうやら救命胴衣を着けろと言いたかったようだ。

何が起こったのか分からないまま、秋元は急いで救命胴衣を着けると、船内からは他の乗客たちも次々と出てきた。皆、不安そうな顔をして辺りを見回しているのが見てとれた。

秋元は直感的に船体が何かと衝突し、航行不能になったのではないかと感じた。


「とりあえず会社へ連絡を」


秋元が鞄にしまったケータイを取り出そうとした瞬間、客船は真横からの高波を受け横転してしまった。秋元をはじめ、船尾へと出てきていた乗客たちは一気に海へと放り出された。

荒ぶる大海原を前に、誰もが為す術なく沖へとさらわれてしまい、一気に船から引き離された。人々の叫び声も波音に掻き消され、秋元も押し寄せる高波を浴びながら、抗う事も出来ず、ただ流木のように海上を漂うだけだった。


どれだけの時間が経っただろう。秋元はいつしか気を失っていた。意識を取り戻し目を開けると、まだ海の上を漂流している事を知った。

船が横転した時刻は正午近くだったが、日はだいぶ傾いている。

近くには秋元以外の人間は見当たらず、航行している船舶も見つけられなかった。助けは来ていない。


「俺はこのまま死ぬのか」


秋元は力なく呟く。このまま夜になれば、発見される可能性は限りなく低くなる。

自分の体力があとどれだけ持つかも分からない中、このまま漂流し続けると命の保証はないだろう。

絶望しかけた秋元だが、視線の先に森林に覆われた島があるのに気がついた。

幸いにも波の流れはその島へと秋元を近づけた。海水温は20度ほどあったが、長時間漂流していた為、体が冷えきっており力がほとんど入らなくなっていたが、最後の力を振り絞り、手足を動かして必死に泳いだ。


数十分後、秋元はその島へと辿り着いた。


「助かった」


砂浜に横たわり、天を仰ぐ。紫色の空には既に無数の星が光っている。

他の乗客たちはどうしただろう?女性や子供の姿もあった。皆無事だったらいいがと秋元は思った。


疲労困憊の秋元だったが、遠くで微かに人の声がするのに気づく。


「良かった。人が居る」


体を起こそうとしたが、力が入らなかったので視線だけを声の方向に向けたのだが、そこには目を疑う光景があった。


「まさか・・・」


そこには数人の裸の男たち。

釣竿のような棒と、弓矢を持ちながら話しているようだった。

まだこちらには気づいていないようだ。


「そんな・・・」


秋元は愕然とした。

この島の存在は、ネットニュースで記事を読んだ事があったので、知っていた。


「ここは北センチネル島だ・・・」

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