復讐者エヴァンス~ソノ男、復讐ヲ誓ヘリ~

紀悠軌

教団

「さあ、皆さん。入信しましょう。そうすればあなたもきっと苦しみから解放されるでしょう。さあ、我々と一緒に信仰を深めようじゃありませんか」


 道の真ん中で怪しい風貌の男が熱心に演説を繰り返す。

 男は神父のような格好で、全身、黒ずくめだった。また、首や腕には宝石の装飾を身につけているが、とくに印象的なのは胸の部分に描かれたマークである。そこには山羊の頭を持ち、鳥の翼を持つ生き物が存在していた。さらに額に第三の目が浮かびあがり、その瞳は燃えるような赤に染まっていた。


 その後も神父は布教活動を繰り返すが、街の人間は気忙しく、立ち止まって話を聞こうとはしない。

 だが、そこで一人の女性が歩みを止めた。


「ちょっといいですか?」

「ええ、構いませんよ。もしかして興味をお持ちで?」

「ええ、少し」

「それは結構、結構」


 神父は存外、年寄りで、顔中に皺が走り、目は落ち窪んでいて、額も禿げ上がっていた。

 神父は満足そうに頷くと、手元から一冊の本を取り出した。


「では、まずはこの本をお買い求め下さい」

「その本は何?」

「そうですね、簡単に言ってしまえば教本です」


 それから女性は暫く考え込んだ後、その本を買うことに決めた。

 お金を受け取った神父はにっこりと不気味に笑った。


「これであなたも我々、教団の一員です」


 女は気味が悪いと思いながら、その場を後にする。


「あと、言い忘れていましたが、後日、集会があるので、是非、ご参加を」


 神父は彼女の背中に向かって声をかけると、もう一度、薄気味悪い笑いを浮かべた。


               *     *     *


「ああ、どこに行っちまったんだよ、ほんと」


 もう落ち着いてなんていられなかった。

 僕は家の中を特に意味もないのに行ったり来たりてしていた。


 どうして僕がこんなに慌てているのか?

 僕には一緒に暮らしているエリーゼという彼女がいるのだが、彼女は現在、行方不明になっていた。昨日、外出したっきり帰って来ず、僕は街中を探し回ったが、発見出来なかった。


「一体、どこに消えてしまったんだ……」


 悩んでいると家のベルが鳴った。


「こんなときに一体、誰だよ?」


 イライラを飲み込んで、玄関まで移動する。

 ドアを開くと、訪問者が挨拶してきた。


「どうも、こんばんは」

「……あんたは誰だ?」


 その人物は不思議な雰囲気をまとっていた。 

 大きなコートに身を包み、帽子を目深にかぶり、その隙間から長い銀髪がのぞいていた。線は細いが、男前な顔立ちで、瞳は綺麗なブルーだった。


「こんなところで立ち話もなんですから、中に入りませんか?」


 いや、それは家主の僕の台詞だろ!

 心の中で突っ込みつつも、僕は謎の男を家の中に招き入れた。


「あんた、名前は?」

「エヴァンスです」


 名前をたずね、リビングに移動すると、エヴァンスは部屋の中だからか、帽子とコートを脱ぎ始めた。

 すると、コートの中に着ていたものがあらわになった。

 エヴァンスは見たこともない青い制服のようなものに袖を通していた。


「なんだその格好は? 警察……いや、違うな」

「ああ、仕事着ですよ、仕事着」


 納得はいかなかったが、僕は用件を聞く方を優先させた。


「それで何のようなんだ?」

「ええ、少しお話を聞きたいと思いまして」

「話だと?」

「そうです。ですが、その前にあなたには同居人はいらっしゃいますか?」

「いる……いや、今はいないと答えるべきか」


 ため息とともに僕は真実を告げた。


「それはどういうことですか?」

「……実は――」


 僕はこの見ず知らずの男に気づいたら全て話していた。僕にはエリーゼという相手がいること、その彼女が昨日から行方が知れないこと。

 エヴァンスは真剣に話に耳を傾けていたが、やがて思いもしない発言をした。


「やっぱりか」


 そう呟くと、エヴァンスは部屋の中を物色し始めた。何か探し物をしているらしく、机の上やタンス、本棚などを事細かに確認する。


「おい、人の家のものに触るな!」


 僕は制止を呼びかけるが、エヴァンスの手が休むことはなかった。

 なんなんだよ、もう。人の家に上がり込んで、勝手に荒らしやがって。

 そういえばさっきこいつは『やっぱり』と発言していた。ということは最初から彼女がいなくなることが分かっていたということになる。だとしたら彼女を連れ去った張本人はこいつなのかもしれない。

 疑いの目を向けていると、エヴァンスは「あった」と大きな声を張り上げる。


「なんだ?」

「失礼。この本に見覚えはありますか?」


 エヴァンスがこちらにとある本を突きつけてくる。


「ああ、それか。見たことがある。確か先日、彼女が買ってきたやつだ」


 エヴァンスが持っていたのは黒くて、分厚い本だった。

 エリーゼが買ってきたその本はすっかり彼女の愛読書になっていた。


「なるほど、やはり、そういうことですか」


 ひとりでに納得するエヴァンスだったが、僕はまるでついていけていない。


「おい、どういうことだ? 説明しろ」

「構いませんよ。あなたは教団をご存知ですか?」

「教団?」

「ええ、教団は宗教組織というやつです。よく街中で布教活動なんかをしているんですか、見たことありませんか?」

「生憎ないな。それでその教団がどうかしたのか?」

「はい、教団は表向きは普通の宗教組織を謳っていますが、本当は邪神を崇拝している集団なんです。彼らは入信した信者に毎回、この本を買わせているんです」

「その本はなんなんだ?」


 自分の生唾を呑み込む音がはっきりと聞こえた。


「この本は教団の教本として扱われていますが、通称、『魔の本』と呼ばれています。これには邪悪な魔力が込められていて、読んだ人間を狂わせてしまうんです」

「なっ、なに!?」


 エリーゼはそんな本を熱心に読んでいたのか!

 確かに彼女が俺に黙ってどこかに行くなんておかしい。まして家に一度も帰って来ないなんて普通じゃない。


「実は先日、あなたの彼女が街で教団の男から本を買ったという知らせが入ったんです。だから真相を調べるために、私はここに赴いたのです」

「なんだと? じゃあ、あんたは一体……」

「申し遅れました」


 エヴァンスは胸に手を当てて、自己紹介を始めた。


「私は異端審問所の秘密機関 《ヴァールハイト》に所属している《ジャッジ》なのです。ジャッジとはこの場合、人々を惑わす教えを広めている集団や組織を取り締まるエージェントを指します」

「《ヴァールハイト》? 《ジャッジ》? どれも聞いたことがないな」


 エヴァンスの言葉はどれも僕にとって馴染みのない言葉だった。世間のことについてはある程度、知っているつもりだったが、そんな僕でも聞いたことがないなんて!


「ああ、知らなくて当然ですよ。何故なら我々の組織は公的に存在は認められておらず、知っている人間はごく一部に限られていますから」

「そ、そうなのか……」


 なるほど、それなら僕が知らないのも無理はない。

 しかし、そんな組織に所属しているということはエヴァンスはかなりの凄腕なのかもしれない。


「ええ、だから私の話はオフレコでお願いしますよ。もし他の人間に漏らしでもしたら……分かっていますね?」

「あ、ああ、分かった。誰にも話さない。約束する」

「殊勝な心がけです」


 エヴァンスの眼差しが急に鋭くなって、僕はドキドキが止まらなかった。

 あと、一方的に話してきたのはそっちなのに、秘密を守れなんて勝手すぎるような気もするが……。

 抗議の目線を向けるが、エヴァンスは取り合う様子がない。


「取り敢えず私がここに来た理由は調査のためですが、それはそうと、これは非常にまずい状況ですよ」

「そ、そうなのか?」

「ええ、おそらく彼女は今、教団の人間に接触しているはずです」

「どうしてそんなことが分かる?」

「ええ、教団は頻繁に集会を開いているんですが、それは信者から魔力を吸い上げ、邪神を創造する糧とするためなんです。抑も教団の究極の目的は邪神を創り出し、世界を転覆させることなんです」


 エヴァンスは長々と説明するが、僕はもはや気が気でなかった。


「待てよ。もしその話が本当ならエリーゼが危険じゃないか」

「ええ、全くもってその通り」

「じゃあ、早く助けにいかないと」


 じっとしていることなんて出来なかった。

 僕が今すぐにでも家を出立しようとすると、エヴァンスが腕を掴んできた。


「やめろ、離せ。僕は彼女を助けに行くんだ」

「お待ち下さい。仮にもしあなたが教団に挑んだところで、全く相手にならないでしょう。それほどに教団は規模が大きく、強力な組織なのです」

「だったらどうすればいいんだよ?」


 自棄になって叫んでいる僕とは対照的にエヴァンスは冷静さを保っていた。


「私にお任せ下さい。あなたの彼女は私が救い出しましょう」

「……本当か? 信じていいのか」

「もちろん、第一、私はそのためにここに存在しているのです。教団が我々の天敵であるように、教団の天敵は我々なのですから」


 エヴァンスは僅かに口の端を持ち上げた。

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