♯82 クリヴィア=ノービリス

 あれから山を降り、一晩中レンの看護を続け、森に朝日がさした頃。

 ようやくレンが目を覚ました。


「……ここ、は?」


 戦闘をした訳でも事故に巻き込まれた訳でもない。だからすぐに目を覚ますだろう、と思っていた。けれど、なかなか覚まさなかったので心配していた。

 でもこうして目を覚ましてくれたので、とりあえずほっとした。


 彼女は体を起こして、自分が今いる場所の確認をした。

 そして理解したことだろう。

 

 木造の部屋の中。客用にキレイに整えられた部屋の一室。

 そこに置かれたベッドの上に敷かれた、布団の中にいることを。


「安心しろ、ここは村の宿屋。背負って山から下りるの、大変だったんだからな」


 そう言いつつ彼女のために俺は温かいお茶を淹れてやった。


 レンにお茶を注いだ木のコップを差し出すと、彼女は俺の顔を無感情に見上げてから、両手で包むようにコップを受け取った。


「有り難う……」


 レンが一旦コップのフチに口をつけ、それから呑み始めるのを、そばでじっと見ながら、俺はそっと語りかけた。


「正直言って、お前になんて声をかけてあげればいいのか、わからない。

 けど大変だったな、お嬢様」


 こんな時、はげましてやりたいのに良い言葉が出てこず、結局陳腐な言葉になってしまった。


 レンは俺の軽口に笑いも怒りもせず、ゆっくりとカップをベッド脇のテーブルにそっと置いた。


「そっか、聞いたんだね。フィルフォーディア様に」

「全部は聞けなかったよ。プライバシーとか、そういうのを気にして下さってた」

「そうか、そうかもね。そういう御方だった」

「聞く気もないけれどな」


 レンは再びコップを手に取り、お茶を一口すすった。

 そして話を続けた。


「聞いてくれないの?」

「辛い過去を背負ってる女の子に、無理にその過去を聞こうとするほど野暮じゃあねぇよ」


 ……などと銃の手入れをしながらカッコつけて言ってみた。

 が、すぐに、カッコつけすぎたか、と恥ずかしくなる。

 頬を熱くしながら、作業に意識を強めた。


 レンはふふっと俺のバカを軽く笑った後、話してくれた。


「僕の名前を知っているということは……僕の正体も知ってるのかな」

「クリヴィア=ノービリス。あの大企業ノービリス財閥のお嬢様……だったっけ」

「そう。僕は末っ子。

 今のノービリス財閥の会長〈ガラム〉が僕の上の兄さんで、ゴルトはその下の兄さんだ。

 兄妹3人の中で唯一の女の子だった」


 自分から過去を明かしてくれた。


「皆、仲が良かった。

 ガラム兄さんは、何時も面白いことを考えていた。皆を笑わせることが好きでね。頭も良かったし、ガラム兄さんが当然、父さんの跡を継ぐだと思っていた」


 ……子供の頃のことを思い出すかのように天井を見上げながら、本当に楽しそうに話すレン。

 そんな彼女を見守りながら、側で椅子に座りながら、俺もお茶をすすった。


「最期は非道いことをしていたゴルト兄さんだって、小さい頃はすっごく優しかったんだ。

 大変な力仕事とかは、率先してやってくれた。

 僕がケンカとかに巻き込まれた時も助けてくれた。

 ……ひょっとしたら、僕を一番女の子として見てくれたのはゴルト兄さんだったかも知れない」


 話を始めると、手を組み、向かい合わせた人差し指を互いに反対に回すのをじっと見ながら、レンは懐かしむように、その頃を愛おしむように話していた。


「それは実家〈ノービリス商会〉が大きくなって、浮島アルビウムに本社を置く程になっても変わらなかった。

 友達も増えて、その中にはサミィ……サミーズさんもいた。その友達も交えて、皆で楽しく過ごしていたんだ」


 楽しい話を邪魔したくなくて、俺はじっと黙って聞いていた。


 レンは笑顔で目を閉じた。



 やがて笑顔がなくなり、閉じた目からす……と涙が流れた。


「……やはり変わったのは、あの時だと思う。

僕の7歳の誕生日だ。その日、珍しくお祖父じい様が家族や親族だけでなく、会社の役員まで集めた。

 そしてこう言ったんだ。

 『父であり現会長カエノメレス の跡を継ぐのは クレヴィアこの子だ!』と。


 その日から全てが変わっていった。


 妙に頭を下げたり普通の子供にはしない程、親切にしてくる大人が増えた。

 逆に、直接何も言ってこないけどきつい視線をする人も増えた。


 一番変わってしまったのは、兄様達だ。

 ガラム兄さんはあらゆる事に怠けがちになって、嫌味や愚痴を言う事が増えた。

 ゴルト兄さんも、昔とは違い僕を冷たく見放すようになった」


「え? たった一人の言葉でそこまで変わるのか!?」

「変わるんだよ!」


 レンが、強く言葉を吐いた。

 彼女は俺の驚いた表情に気づき、「ごめん」と謝って再びうつむいた。

 「いや、いいけど」と俺が言っても、彼女はうつむいたまま。そのまま話を続けた。


「お祖父様が中心にいたからこそ、ノービリス商会は大きくなったんだ。

 だからお祖父様は、ノービリス財閥にとって絶対な力を持つ権力者だ。

 お祖父様が黒を白と言えば、皆も白と言わなくちゃならない。

 ……最後にはそういう家になってしまった」


 うーん、分からん。分かるのは、まるで物語のような話だなということだけ。

 頭の中を整理しながら、言葉にしてみた。


「えっと……つまりノービリス財閥の3代目会長に、兄を差し置いて末の妹が選ばれた?」

「そこまで分かったんなら、後はもう簡単に分かるでしょう。

 つまりそれを素直に受け入れた人達は僕にび始めた。

 受け入れられなかったり渋々受け入れた人たちは、僕を嫌な目で見始めた。――僕が何かしたという訳ではないのにね。


 そしてそれは兄さん達もだった。

 ガラム兄さんは僕に素っ気なくなり、ゴルト兄さんは荒くれた。

 僕に暴言を吐くようにもなった。


 ……もう、家に居るのが辛くなったんだよ」


 最後の一言は、眉間に力を入れてシワを寄せ、手に力を込めてシーツを握り、体全体を絞って出すかのような声だった。


 ポトリ、と落ちた涙でシーツがにじんだ。


 俺には何も言えなった。


「そして家を飛び出し、〈レン=アザレア〉の偽名で『トラブル・シューター』の資格を取り、ここで何でも屋を始めた。

 君は知ってるかな、〈クリヴィア=ノービリス〉が突然家出して失踪した事は、当時、大ニュースになったんだ」


 ……どうだろう、思い出そうとしても思い出せない。


「何でも屋を始めてから時々、僕の元へ怪しい人物がやってくるようになった。

 中には本人に〈クリヴィア=ノービリス〉を殺せ

、と直接言ってくる人もいた。

 面倒だから〈クリヴィア=ノービリス〉に戻って殺されるをしたんだ。

 そうしたら、もう〈クリヴィア=ノービリス〉がどうこう、と言う人は来なくなった」


 苦労してるな、と思った。死んだふりしなくちゃいけないとか、俺も前世でイジメられることが多かったが、それが小さく見えるように感じた。


「――しばらくして、僕にドラゴン退治の依頼が来た。

 ドラゴンなんか戦うどころか実物を見たこともなかった。だから僕なんかでどうにか出来るか分からなかった。

 けれど必死で助けをう人を見て、放っておけなくなったんだ」


 自分だって大変な目にあってきたのに、人の心配をしてあげるなんて。


 ……いやレンは、自分も辛い目にあってきたからこそ他人の辛さが分かるのかもしれない。


 …………。


「そしてドラゴン退治に行った。

 行ったら、出会ったのはフィルフォーディア様だったんだ……」



 ……後は、俺の知る話だった。

 知らなかったとはいえ、神様に切りかかった彼女は、罰として過去と実の名前を奪われた。



 ゴルトが死んだ話で締めくくられた後に、彼女は俺の手をとって、救いを求めるように聞いてきた。


「ねぇ、僕は……どうすれば良かったんだろう?

 どうすれば、こんな事にならなかったんだろう?

 どうすればゴルト兄さんを助けられた?」


 重い話を聞かされたシメに重い問いを突きつけられて、俺は悩む。


「いや、どうしようもないんじゃないか?

 もしノービリス財閥実家にいても荒事は避けられなかったかもしれない。

 お前の兄さんたちが変わったのも、お前自身がどうかしたから、ってわけじゃあないからどうしようもない。

 それよりは、それらはもう終わってしまった事だから前向きに生きていった方がいい、と思うぞ」


 俺も、時々前世でのことを悔やむことがある。

 でもいつも最後は、さっきレンに言ったように『もう終わったこと』として今世をしっかり生きようとしている。それで上手くいってる。

 レンだって、それでいいはず、だ。


「……そうか、そう、だよね」


 ほら、レンも納得してくれた。




 それでも、ベッドに座る彼女を後に部屋を出ようとした時に、やっぱり気になった。

 レンの発した言葉は納得を示しても、彼女の表情も声も、納得というよりも失望しているように思えたから。

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