第14話 再開
師匠のアドバイスにより、基礎のやり直しを始めた。
以前と同じ繰り返し。師匠が言うのだから意味があるのだろうが、効果が実感できない日々が続いた。
一つ一つの技術はもうかなり上達したと言っていい。あとはそれらを纏めて活かすバランス感覚が重要なだけ。それなのに師匠はどうして基礎の練習を勧めてきたのだろうか?
3日が過ぎ、そう疑問に思った時、師匠の言葉の意味を理解した。
「秋口。基礎からやり直しさせた意味が分かったぞ」
放課後、いつものように秋口の隣の席に座り、秋口に報告する。秋口は吊り目の瞳をこちらに向ける。
「一つの技術を練習する時に、他の技術の視点を持って練習することが大事だったんだな?」
これまで行ってきた練習はどれもその一つの技術に特化したものだった。
線画であれば線画だけ。構図なら構図のみ。そのスキルだけを上達させることを目的としていた。
だが全ての技術に触れ、他の視点を持って一つの技術に取り組めるようになった。この他の視点を持つことが大事だったのだ。
線を書く時に既に色付けのことを考慮して書けば、二つのバランスは良くなるように。
バランス感覚に苦労していた俺の悩みを、師匠は見抜いていたに違いない。
「どうだ? 当たってるか」
「え、ええ。良く分かったわね。その通りよ」
腕を組んで胸を張り、力強く頷く秋口。どうやら当たっていたらしい。師匠の指示の意味を理解できたみたいなので、一先ず安心だ。
「さすがだ、秋口。こんな的確にアドバイスをくれるなんて。本当に秋口に教えてもらえてよかった」
「そ、そう。せいぜい感謝することね」
「ああ。尊敬の意味を込めて師匠って呼んでいいか?」
「それはやめて」
真顔で秋口は告げる。残念。以前にも断られたが、ゴリ押せばいけると思ったのに。
いつまでも師匠と呼ばせてくれないことに肩を落としていると、教室の扉が開いた。
「あ、蓮。やっぱりいた」
「どうした、蒼?」
爽やか笑顔と共にこっちに歩いてくる。机の上のタブレットを見て、目を丸くした。
「……それ、蓮が描いたの?」
「ああ。まだ色塗ってないから途中だけどな」
「凄い上手だね。最近見てなかったからこんなに上手くなってるなんて思わなかったよ」
「あー、白雪にバレないよう休み時間に描くのやめてたしな。見る機会なかったか」
やはり皆がいるところで描くのはバレるリスクがある。又聞きにしろ、直接見かけるにしろ、白雪に知られる可能性が高まる。
幸い、秋口と放課後してることについては上手く誤魔化しているのか噂になっていない。こっちとしても好都合だ。
「まだ一か月、くらいだよね? え、上手くなりすぎじゃない?」
「全然まだまだだが、まあ、上手くなってるのは秋口のアドバイスがいいからだな」
「そうなの?」
蒼が秋口に目を向けると、秋口は「え?」と目を丸くして、こっちをガン見してくる。
分かってるって。心の中で親指を立てる。
「秋口は凄いんだ。初心者でも出来る様に段階を細かく分けてアドバイスしてくれるし、何より悩んで躓いてる部分を解決するような助言をくれるからな」
「そんなに凄いんだ?」
「ああ。自分でも成長してるのがわかるし、この絵も師匠のおかげと言ってもいいくらいだ」
しっかり師匠の凄さを蒼に伝える。秋口は「そ、そうね」と軽くだけ頷いていた。
「蓮がそこまでベタ褒めするなんて本当に凄いんだね。前も言ったけど蓮に教えてくれてありがとね」
「気にしないで。私は簡単なアドバイスをしてるだけだもの」
さすが謙遜も上手だ。ほぼ師匠のおかげと言ってもいいのに。
「それで、何か用事か?」
「あ、そうだった! 蓮、委員会、交換したの忘れてるでしょ?」
「委員会?」
思いがけない言葉に首を傾げる。蒼は秋口に聞こえないよう俺の耳元に顔を寄せてきた。
「蓮が七海さんと同じ卒業委員だから交換しよって話したでしょ」
「あ、あれか!」
4月に全員が所属する委員を決める機会があったのだが、そこで偶々俺が七海と同じ委員になったのだ。
蒼に死ぬほど泣きつかれて交換した記憶がある。あの時の蒼はイケメンが台無しになる程きもかった……。
「悪い。忘れてた」
「ううん、どうせ忘れてるだろうなって思ったから呼びに来たんだ。この後スポーツ大会委員の集まりあるからさ」
「そういうことか。ありがと」
蒼曰く、集まりは4時半からなようで、まだ10分ある。
「悪い、秋口。この後委員の集まりあるっぽいから今日はこれで解散でいいか?」
「ええ、構わないけど。黒瀬くんがスポーツ大会の委員なの?」
「ああ、蒼と交換してたんだけど、それ忘れててさ。蒼が教えに来てくれたんだ」
「そういうことね。分かったわ」
秋口も頷いてくれたことだし、タブレットの電源を落とす。リュックに詰めて背負った。
「場所は?」
「一階の会議室だって。もう一人は先に行ってるみたいだから、早く行ったほうがいいかも」
「……もう一人?」
「あれ、知らないの? 白雪さんだよ」
「げっ」
忌々しき名前に、思わず顔を歪めた。
♦︎♦︎♦︎
会議室に入ると、既に大部分の人で席が埋まっていた。男女のペアで各机に座っている。おそらくクラス毎に座っているのだろう。
そっと周りを見渡すと、取り分け目を惹く後ろ姿があった。
周りも一歩引いたところで彼女に視線を送っている。
絹のような艶やかな黒髪。背筋が伸びた凛とした佇まい。もう何度も見てきた後ろ姿。白雪だ。
その隣はぽっかり空いている。近寄ると宝石のような瞳をこちらに向けた。
「黒瀬さん」
「よう」
久しぶりに聞いた声がぴんと空気を震わせる。寄せ付けない硬い雰囲気をひしひしと感じながら席に座る。
「確か、男子の委員は司馬さんだった気がするのですが」
「蒼と交換したんだ」
「交換……? はっ、まさか」
椅子を一歩引いて遠ざかる。嫌な予感。
「一緒の委員になって私と親しくなろうという作戦ですね。ごめんなさい。興味もないです」
「……はぁ。違うっての」
案の定だった。久しぶりの会話だが、相変わらず変わってない。勝手にフるのはやめて下さい。
「俺じゃなくて蒼に頼まれて交換したんだよ」
「司馬さんから? ……そういうことですか」
「分かったのか?」
「華を狙ってのことでしょう?」
以前会話した時に、蒼の好意に気付いた節があった。勘が鋭い。
「良く分かったな」
「司馬さんの態度が分かりやすすぎますから」
「七海が関わるとどうにもあいつはポンコツになるからな」
「華は気付いていないみたいですが」
七海が関わった時の蒼を思い浮かべて苦笑を零す。あれだけ女子に慣れていて、どうしてあんな残念なイケメンになってしまうのか。
救いは七海が気付いていないことか。いっそ、気付いた方が関係は進むかもしれない。
「……怒らないのか?」
「何がですか?」
「七海に男を近づけて」
「あなたに当たっても仕方ないことですから。それに、そう簡単に私の華は男に靡きませんよ」
「いつ、お前のものになったんだよ」
さりげなく嘘をつくんじゃない。
「毎回、華には男性の危険性を説いているので警戒心は強いですよ」
「本当か? 全然伝わってるようには見えなかったぞ?」
この前、目の前で繰り広げられた会話を思い出す。白雪のせっかくの力説も全く分かっている様子はなかった。
ジト目を送ると白雪はそっと視線を逸らした。こほんっと分かりやすい咳払いを入れる。
「と、とにかく黒瀬さんに当たるつもりはありません」
「そうか」
「あ、私を狙っているなら別ですが」
「んなわけあるか」
ひらひらと手を振れば、白雪は興味を失ったように前を向いた。
開始時刻になると、前から生徒会長が入ってくる。ぴちっと前髪を固め、学生服に身を包んでいる。
プリントを配ることから始め、今後の予定。当日の役割などを話し始めた。
肩肘をつきながら、欠伸を噛み締める。ここで欠伸をしたら、隣の奴から何を言われるか分かったものではない。
横目に白雪の様子を窺うと、真面目にメモを取っている。
「……そういえば、最近秋口さんと放課後一緒にいるみたいですね」
ペンを動かしながら呟く白雪。珍しい。
「なんだ、気になるのか?」
「いえ。狙われている秋口さんが可哀想だなと」
「可哀想ってなんだよ。俺が汚物みたいに」
「そこまでは言ってませんけど」
はぁ、と分かりやすいため息を吐かれる。
「妄想の餌食にされて可哀想だと言ったんです」
「妄想の餌食だと?」
「ええ。男子が女子に関して卑猥な話をすることは分かっていますから。隣にあんな可愛い人がいて妄想を抑えられるはずがありません」
「確かに見た目がいいのは認めるけどさ……」
「本当は薄い本みたいな内容を妄想してるのでしょう?」
「薄い本好きすぎないか?」
気付いたことだが、何かと白雪の口から出てくる。そんなに話題に出すのは白雪にしては珍しい。
「なに、好きなの?」
「す、好きなわけないでしょう!?」
ぎりぎりの小声と共にばっと顔をこちらに向ける。目を細め、キッと睨んでくるが、その頰は僅かに赤い。
「女子になんてことを聞いてくるんですか。セクハラですよ。訴えますからね?!」
「ご、ごめんって。そこまで怒るなよ」
「変なことを聞いてくるからです。私だって怒りたくて怒ってるんじゃありません」
白雪の睨む顔があまりに怖い。ひえ。ちょっと揶揄っただけなのに。
「悪かったって」
「……分かればいいんです。もう変なこと聞いてこないで下さい」
何度も頭を下げて、ようやく白雪は収まった。
確かに、デリカシーはなかったけどさ。もう少し気をつけよう。姉貴だったら一発ビンタは食らっていたに違いない。肩をすくめて大人しく前を向いた。
そこから暫く生徒会長の話が続き、漸く終わりを迎えた。
「では、この予定で進めて下さい」
空気が緩む。伸びをする人、すぐに席を立つ人が現れる。
「やっと終わったな。仕事、俺は何やればいい?」
「こちらでやるので大丈夫ですよ」
「そうなのか?」
「はい。今のところ一人でも問題なさそうですし。黒瀬さんは本番の時に生徒会から割り振られた仕事さえしてもらえれば大丈夫です」
淡々と告げる白雪。じっと見つめるが、強がっている様子はない。
「遠慮しなくても、何でもやるけど」
「いつもこういうのは一人でやってきたので。厳しいときだけお願いしますね」
「そうか」
白雪がそこまで言うなら問題ないのだろう。確かに、聞いた感じだとそれほど本番までやることが多いわけではない。一人でも問題なく進めることは出来るはずだ。
それに、白雪からすればわざわざ苦手な男子と関わるより、一人で進める方が楽なのかもしれない。
若干引っかかるものを感じながらも頷くことにした。
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