その13 容赦なき髪と時
風防が欲しい。切実にそう思う。
風つかみに乗ってるときは風の中を掻き分けているような感じだったけど、今回は違う。
風の壁を顔面で壊しながら進んでいる感じだ。
とは言っても、風には慣れているから問題はない。
――牙を剥いたのは、なんとネフの髪の毛だった。
滑り始めてすぐ、風を受けてぶわりと広がったネフの黒髪。それは、ネフのおでこ見てみたいな……なんてくだらないことを考えていた僕の目を容赦なく潰しにかかってきた。
慌てて目を閉じたものの、攻撃の手は緩まない。ちくちくと顔中突っつかれる!
首を傾けて逃れようとしたら……びし!
痛っ、じゃあ反対側に……ばし!
…………。
――びし! ばし! びし! ばし!
「……どどどうすりゃいいんじゃばばば!」
天罰か!? おでこ見たいだけじゃなくて、ネフの髪はいい匂いだなとか思ってしまったのが悪かったのか!?
僕の叫びは風に掻き消され、虚しく散った。
風防が欲しい。眼鏡でもいい、とにかく髪の毛を防ぎたい。
もちろん手に入るはずもなく、僕は諦めて他のことを考えることにした。気にするからいけないのだ。目を瞑ったまま、神経を他のことへ集中させる。
……風の音。冷たい空気。暖かい背中。細っこい手。ハーブのようなシャンプーの香り――痛い痛い痛い!
結局滑り終わるまで、僕は煩悩の報いを受けることになったのだった。
「……レノン? なぜ目を瞑っているのかしら」
「何でもないよ。何でもない」
お尻を払って立ち上がる。
あれね、とネフが指差す先、赤く照らされた巨大なパイプが鎮座していた。直径は風つかみの胴体をゆうに超えるほどで、詰まるようにはとても思えない。でも間違いなく、あれがエネルギーラインだろう。
かつーん、と足音が反響する。パイプに沿って、左右に部屋が伸びているようだ。
音からすると、果ては無いと言っていいほど広い。
目の前まで歩み寄って、ネフはぺたりとパイプに触れた。
「……杖は使わないんだね」
「魔力を感じるだけなら、素手で充分なのよ。……杖が必要になるのは、魔法を使う時ね」
すっと瞼が閉じられる。肩がゆっくり、静かに下りる。
まるでうたた寝しているみたいだ。邪魔にならないように、少し後ろで息を潜めた。
ルノウさんの懐中時計を取り出すと、針は思ったより進んでいた。
残り時間は四十五分。
「……驚いた。これ、どの属性のマナでもないわ」
しばらくして、ネフが振り返った。パイプに当てていた手の平を見つめて、感触を確かめるように指を擦り合わせる。
「初めての感覚だから確証はないけど、おそらく属性が決まる前のマナ……そんな不安定なものを扱えるなんて」
「不安定、って?」
「マナは安定した状態になりたがるの。だから、大抵は生まれた時の近くにあるもので属性が決まるのよ。自然界には無属性のマナなんてほとんど無いわ、土だったり木だったり、何かしらの属性になって安定しようとするから」
無属性ってだけでも珍しいのに、それを大量に扱えるなんて……、とネフは引き気味に呟く。
それからぶん、と首を振り、詰まっているのは向こうの方みたい、と伸びるパイプの先を指した。
「すごいね、もう分かったのか」
「何だか、透き通った感じがしないのよ。この先の方から」
透き通ったとは魔力がだろうか。
魔力の感覚は全くわからないけど、魔女にはそう感じるのかな。
残り時間はどのくらいかしら、と聞かれて、僕は片手を傾ける。
「――あと四十分くらいだね」
「……思ったより経っているわね、少し急ぎましょう」
僕らは小走りで先へと向かった。
(その14へつづく)
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