8. 私たちが実行できる SDGs とは (「月曜日の」広告と人権) (1)


 最後に、私たちが日常生活の中でできる SDGs について書いてみたい。結論から言ってしまうと、それは私たちの意識改革だと思う。「3. サステナビリティという考え方が生まれた背景」で述べたように、SDGs の目的は、「人道的な事業を世界的に執り行う」というものだ。簡単に言ってしまえば、「人を人として意識し、対応する」ということだと思う。やや観念的になってしまうが、次に例を上げる。


 メディア関係で広い意味での SDG ウォッシュの批判を受けた新聞広告がある。この広告はインターネットでも炎上、炎上と騒いでいたので、知っている方もいると思う。この経緯と論争を簡単にまとめてみる。


 2022 年 4 月 4 日に KD 社を広告主として、「G」というマンガの広告が N 新聞に掲載された。『Y マガジン (KD 社) で連載中の「G」は、月曜日が憂鬱な社会人に向け、豊満な体型をした女子を中心に描かれるショート作品。(*32)』 これに対して国連女性機関が広告を載せた N 新聞を発行している N 社に対して抗議を送った(*33)。

 国連女性機関の抗議内容は次のとおりである。

 N 新聞は広告によってジェンダー平等を推進する、国連女性機関が中心となった「アンステレオタイプ アライアンス」と呼ばれる取り組みに加盟している。同機関は、今回の広告がN 社の加盟規約やこれまでに交わした覚書などに違反することを指摘し、広告を「容認できない」とした。

 抗議文の送付前に同機関は N 社とオンライン会議を開いたが、N 社からは「社内で色々な人の目を通して検討したが、広告を問題だと認識しなかった」と説明を受けたという。また、同社に求める今後の対応として、社外への公式の説明の必要性を指摘した。しかし N 社は別メディアから求められたコメントで「今回の広告を巡って様々なご意見があることは把握しております。個別の広告掲載の判断についてはお答えしておりません」と回答している(*33)。


 この広告に関しては、問題が何層かに重なっているので順に考えていこう。



1) 問題に至るまでの背景


 世界には様々な国があり、様々な文化基準がある。ある国で当然のことでも、他の国ではそうではない。これは、人権についても同じだ。例えばインドでは未だにカースト制度がある。アフガニスタンでは、女児は学校に行けない。そして異なる文化を持つ国同士では摩擦も起きる。そういった各国間の摩擦や差別を解消するために、世界平和と社会発展に協力することを誓った独立国家が集まって国際連合 (国連) という機関が作られた(*29)。国連には、各加盟国の権利と義務、そして加盟国が自ら設定した目標を達成するために何をすべきかを説明するための国連憲章がある。国連に加盟するということは、憲章の目的と原則を受け入れるということになる。日本はもちろん国連の加盟国である。

 国連女性機関は、国連システムを構成する一団体で、生活のあるゆる面における女性の不平等を解消すべく活動している組織である(*34)。この国連女性機関では、「アンステレオタイプ アライアンス」と呼ばれる取り組みを推進していて、広告における人種、社会的階層、年齢、能力、言語など様々なステレオタイプ (先入観・偏見) を無くしていこうとする活動である(*35)。日本では 2020 年に J 協会と N 社、国連女性機関が政府の後援を受けてアライアンスを立ち上げており、N 社は 「(SDGs の) ゴール 5 のジェンダー平等達成のため、今回、ステレオタイプな考え方や文化を変えていくこの運動にメディアの立場から協力したいと考えます。最近では、我々も女性のエンパワーメント原則 (WEPs)(*36) にも署名したところです。」とコメントしている(*37)。

 つまり、日本が「うちは人権を尊重します。差別を解消します」と自ら国連に加盟し、N 社も同様の目的意識を持って国連女性機関の活動に参加したわけだ。



2) そもそも何が問題なのか


 そして問題になった広告である。広告された「G」は、いわゆるロリ巨乳の JK が、満員電車の中でも警戒心ゼロで没個性化されたサラリーマンに体を押し付けてニコニコしているというマンガである(*38)。これに対して国連女性機関は「明らかに未成年の女性を男性の性的な対象として描いた漫画の広告を掲載することで、女性にこうした役割を押し付けるステレオタイプの助長につながる危険があり、アンステレオタイプ アライアンス」の加盟規約などに反する」とした(*33)。

 この抗議に対しては様々な意見がインターネットで出された。出典を挙げると切りが無くなるので、ここでは出されていた反対意見を私見でまとめる。

(a) 広告の絵は問題視するほどの絵なのか(*39)

(b) これを掲載するなというのは表現の自由に反する (*40)

(c) 「見たくない表現に触れない権利」は認められない(*41, *42)

(d) 海外の組織が文句を言うな


 これらを順に見ていこう。



(a) 広告の絵は問題視するほどの絵なのか (*39)


 参照先の *39 は「『G』を人々はどう見るか」という調査の結果をまとめたサイトなのだが、大雑把に言って「あまり問題だと思っていない人が多かった」という結果になっている。非常に注意深くだが「問題視している人は一部のフェミニストだけ」という結論を導き出している。確かにそうなのだが、「だからそれが問題なんでしょ」というのがアンステレオタイプ アライアンスの言い分なのではないか。


 例えば、ロンドンにある I というアジア風レストランは、2021 年に次のようなビデオ広告を SNS で公開した。


 https://www.youtube.com/watch?v=7UELkQaQksg


 芸者風の太めの女性二人が買い物をしまくったあとに人力車に乗ろうとするが、重すぎて人力車が倒れてしまう。そこに歌舞伎風のメイクをした侍が現れてアジア風レストラン I にさっそうと連れて行く。入り口で、人力車の運転手が二人をレストランの中に押し込むと、女性たちは転んでしまい、先客のロンドン子たちに白い目で見られるが、皆無事においしい食べ物にありつけましたとさ、……という広告である。

 2021 年になっても海外における日本への認識はこんなものなのかと驚くが、これが世に出たからにはそんなものなんだろう。幸いにして、この広告は人種差別だという批判を受けて SNS から削除され、レストランも謝罪した(*43)。


 しかし、20 年前だったら、この広告を批判する人はほぼいなかっただろう。


「問題は、それを問題視していないことなのだ。(*44)」


 これをアンコンシャス バイアス (無意識の偏見) という。


 私はこのビデオ広告と『G』の広告は似たものだと思う。どちらも、特定のグループの人たちをその属性だけで切り取って、自分の都合のいい視点だけから見ているからだ。

 国連女性機関の言い分は、「『G』の広告の絵がエロいから載せるな」と言っているのではない。「広告として載せるメッセージの意味を考えろ」と言っているのだ。本質的に他者を性的な視点だけで表現するのは「エロい」から悪いわけではない。それは個人を剥ぎ取った「他者を蔑む視点」であり、「それは差別だ」と言っているのだ。たまたまそれが女性や女子が対象になりやすいだけだ。

 広告はサブリミナルだ。他者を蔑む視点での広告が、社会一般の視点として受け入れられてしまえば、特定の集団の人々をそのような目で見てもよい、ということになってしまう。この無意識の偏見に気がついて、個人を尊重し多様性を受け入れるような広告を普及させましょう、というのがアンステレオタイプ アライアンスの目指すところだ。問題視していない人が多いということが「問題が無い」ということにはならない。

 I の広告が SNS で公開される前には、広告の企画、俳優の手配、衣装や小道具の準備、撮影、編集、試写と様々な手続きが取られたはずだ。その手順の中で、誰も問題視する人がいなかったから SNS での公開までたどり着いたのだろう。でも、それは「問題が無い」ということではなかった。「問題に対して無神経だった」だけだ。

「社内で色々な人の目を通して検討したが、広告を問題だと認識しなかった」という N 社の言い分はまさにこれに当たると思う。そして、それを指摘した組織を疎んじるような態度は、アンコンシャス バイアスの内側にいて客観的に己を見ることができないから出てくるのではないか。そして、問題視していない日本社会そのもの (少なくとも調査対象になった母集団) がアンコンシャス バイアスの真っ只中にいるのではないだろうか。



(b) これを掲載するなというのは表現の自由に反する (*40)


 国連女性機関は、N 新聞社に「広告を掲載するな」とは言っていない。「N 新聞社はアンステレオタイプ アライアンスに参加しているのに、この広告を載せるのは加盟規約に反している」と言っているだけだ。

 実際に N 新聞社が、依頼を受けた広告を断る権限がどれくらいあるかどうかはわからない。しかし、アンステレオタイプ アライアンスに参加したということは、「そういった広告は載せない」と宣言したことになるので、依頼された広告を掲載するかどうかの判断プロセスが必然的に発生するはずだ。そのため、依頼主に断らなければならないケースが出てくるのは予想されるべきで、そのときの断り方というのも考えられていたはずだ (希望的観測で言えば)。

 ただ、広告は多くの場合、広告主から依頼されるのを待つものではなく、セールス担当者が広告主に売りに行くものだ。インターネットで世界中の誰もが見てくれる時代になったのだから、わざわざ紙媒体上のたった一回の広告に 2500 万円以上のお金を払う必要はない(*45)。その規模の広告料がかかるとすれば、B to B で N 社が積極的にセールスしたと考えても不自然ではないように思う (私見!)。

 もし、国連女性機関が出版元の KD 社に「G」を出版するな、と抗議したら、これは表現の自由に関わってくるだろう。しかし、国連女性機関は KD 社に抗議したわけではないので、表現を抑圧したものではない。



(c) 「見たくない表現に触れない権利」は認められない (*41, *42)


 これも上記と同様で、国連女性機関が N 社に「広告を掲載するな」とは言っていないので、該当しない。

 ちなみに「見たくない表現に触れない権利が認められない」と言っているのは、過去に「聞きたくない表現を聞かない自由」に関して起こされた訴訟の判決に基づいた発言である。一例として、大阪市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送差し止めを求めた訴訟を指しており、判決としては「公共の場では個人のプライバシーを要求する権利は制約される」として上告が棄却されている(*41)。ただし、放送の内容について勘案されており、「業務放送の後に『次は○○前です。』又は『○○へお越しの方は次でお降りください。』という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではない」と棄却の理由を挙げている(*42)。「G」のケースでも、誰もが強制的に N 新聞を読まなければいけないものでもないので、「見たくないので広告を掲載するな」と言っても確かに受け入れてはもらえないと思う。

 ただ、広告の掲載場所が列車内のデジタル広告で、「G」のアニメ版が電車内放送の一環で流されたら、さすがに「一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではない」とは言えなさそうだが。



(d) 海外の組織が文句を言うな


 これは出典がいろいろなので特に挙げないが、掲示版系のサイトでいくつか見かけたので書いておく。海外の組織が突然文句を言ってきているわけではなくて、日本や企業が自主的に加盟した組織で、「やります」と言ったことをやっていないために抗議されているだけなので、自業自得である。



3) 問題の本質はどこにあるのか


 というわけで、問題は「絵がエロい」からでも「広告を載せるな」と言っているからでもない。問題の本質は N 社に自社が何に署名したのか自覚がないところにある。世界的な新聞の FT の株主であり、かつ、SDG メディア コンパクト、アンステレオタイプ アライアンス、および WEPs に署名していて、更に ESG 投資の専門誌を出版している会社が「広告を問題だと認識しなかった」と本気で言っているとしたら、トップダウンが機能していないか、社長がなんちゃって SDGs でお茶を濁せると高を括っているかのどちらかだ。

 同様に「G」の出版元である KD 社の自己矛盾も甚だしい。KD 社は出版社としては珍しく、SDGs に力を入れていて、SDGs 専門のサイトを設けているくらいである(*46)。特に KD 社の雑誌 F は SDGs に特化した雑誌として SDGs に基づいた記事を多く掲載している(*47)。その会社がどうして「G」を出版しようと思ったのかは謎である。が、N 社と同様にアンコンシャス バイアスの真っ只中に陥っているせいではないかと思う。

 私は個人的に、国連女性機関に N 社への抗議広告を一面全部使って N 新聞と FT に載せて欲しかった。それから、雑誌 F には、どうして自社で「G」を出版することになったのか追求して欲しかった。どうせ、一つの企業内で考えがばらばらなんだから、頑張ってる方が頑張ってない方にはっぱかけるくらいの方が健全じゃないだろうか。


(次で終わりです!)




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