髪型とか服装を少し変えるだけで、気分も変わるよね
事務所の前は基本的、静かに感じた。周りには何個か家と喫茶店が一店舗あるだけ。
確かに、事務所へ距離が近づいて行くとどんどんと物音が聞こえてこなくなった。
てっきり駅前のビルがたくさんある中に、あるかと思っていた。だから初めてここに来た時は少しだけ驚いた。
私の家の周りも結構静かな方に入る。けどそこよりも静かだ。
東京に自宅の周りよりも静かな場所が存在するんだ。
「結構、静かで驚いたでしょ? 私の事務所前」
目的地がどこなのか告げられぬまま、私達は歩いていた。ただどの方向に向かっているのかは分かる。
「そうですね……。少し意外で驚きました」
「私は別にどこでも良かったんだけど、予算的にあっこが一番ベストだったんだよね~」
なるほど。そんな理由だったのか。それなら納得がいく。
「我ながら良い物件を見つけたって思うね~。近くに喫茶店あるし、しかも普通に飲み物や食べ物美味しいし!」
歩道橋を降りると、少しずつ賑やかな雰囲気になっていく。道行く人も増えた。
この歩道橋で確実になった。私達は駅前に向かっている。
「雪ちゃんってよく、駅前に行くの~?」
「駅前は……あまり自ら進んで行くことがありませんね。父や母、友達と一緒に行くくらいです」
「そうなんだ! 行きつけのお店とかあるの~?」
駅前に行っても、行くのは本屋かゲームセンター。時々スーパーや服屋に行くくらいだ。
あとは特に見向きもしていなかった。
「行きつけのお店は……特にないですね」
「そうなんだ~。私はね、いっぱいあるよ! 雪ちゃんに紹介してあげるねっ」
「ありがとうございます」
駅前が見えてきた。やはり人の数がこれでもかってくらいに多い。流石、都会だ。
様々な店やビルがずらりと並んでいる。横断歩道を渡れば、そこに着く。
渡るかと思っていたら、違っていた。少し歩くとその場所に着いた。
『ヘアサロン ハニー』
建物の看板にはそう書かれてあった。
そう、ヘアサロンだった。店の様子は大きなガラス窓から透けて見える。
店員は男女関係なしにみんなお洒落だった。
客は見たのところ、一人だけのようだ。
「イメチェンはまず、髪型からっ」
ほのかさんはウインクをすると、店の扉を開けた。
カランカランと音が鳴る。お洒落なジャズのBGMが耳に入って来た。
「いらっしゃいませ~! あら、真希ちゃんじゃないっ。隣の子はお友達かしら?」
お迎えに来てくれたのは、少し派手なメイクを施した男性だった。でも決してケバいことはなく、似合っていた。
「やっほ~、こときゃん。そうそう、私の新しく出来たお友達~。連れて来たよ~ん」
「そうなのねっ。真希とは違った可愛さがある子ねぇ」
チラッと私の方を見て、体ごとこちらに向けた。
「初めまして、あたしはこときゃん。ここの美容院の店長をしているの。あなたみたいな可愛い子、大歓迎だわ。あたしに任せといて、うんとあなたをさ・ら・にっ、可愛く生まれ変わせるからっ」
聞かれた質問的になんとなく予想はついていた。ただこんなに濃いキャラクターの人がいる美容院だとは、思わなかった。
「この子はするとして、あなたはどうするの」
「私は~、今日は良いかな。次来るときにはきちんと予約してから来るよ。今日はちょっと急だったからね~。まだ切るつもりはなかったし」
「分かったわ。そういえば名前を聞いてなかったわね、良かったら教えてくれないかしらっ」
ほのかさんは別の名前を名乗っていた。でも私は今日名乗った名前と同じにするとしよう。そんなこだわりはないし、何より自分が混乱してしまうから。
「雪です」
「雪ちゃんねっ。可愛い名前じゃな~い。そう言えば真希に連れてこられたって聞いたけど、大丈夫?」
「えっ……あの、大丈夫とは?」
「あら言葉足らずだったわ、ごめんなさい。雪ちゃんの気持ちはどうなのかな~って、ちょっと気になっちゃってね」
今日ここまで来たのは自分の意志だ。きっかけはほのかさん。でも自分で考えた上で、行こうと決めた。
「きっかけは真希さんですけど、私は自分の意志で来ました。だから大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「分かったわ。きちんと教えてくれてありがとね。さぁさぁ今ならどこでも空いてるから好きなところに座ってちょうだいっ」
そう言ってるけど客は一人居たから、一席は埋まっているはず。
と思ったけど、最後にこの髪型で大丈夫かと確認をしていた。もうほぼほぼ終わりのように見える。
「店長~。会計お願いしま~すっ」
「分かったわ。お会計はこちらで~すっ」
「とりあえず先に、好きな席に座れば良いんじゃないかな~」
ほのかさんがそう提案してくれた。
「そうですね。そうします」
席は向かって左側に3つ、右側に3つ。合計6つ。
右側の席は、外から店の様子が見える大きなガラス窓が近くにある。
いつもなら絶対に左側を選んで、一番端の目立たない席を選んでいただろう。
でも今日は右側の一番、窓から近い席にする。
普段と違うことをすることで、何か分からないけど変わる。そう思ったから。
でも改めて座ると、慣れていないからだろう。心臓の鼓動が速くなった。
自分でも何でこんなに緊張するか分からなかった。ただいつも選ぶであろう席とは、違う場所を選んだ。
ただそれだけ。それだけなのに。
「この中からお好きな飲み物を選んで下さい」
いつの間にか従業員の方が、目の前にメニュー表を差し出していた。
全然気づかなかった。
「真希も好きなもの、選んでいいわよ~」
会計を終えて、こときゃんさんがこっちに向かってきていた。
とりあえず何か選ぶとしよう。飲むだけで落ち着けるような飲み物はないだろうか。
メニューを手に取り、凝視する。
紅茶、ジュース、コーラ、麦茶などと様々なラインナップ。どれが一番良いだろうか。
緊張しているせいだろう。いつも以上に頭が回らない。
従業員さんが何か言ってるけど、全然分からない。普通なら聞き取れるはずの距離なのに。
「雪ちゃんっ」
こときゃんさんの声にハッと我に返った。
店内のお洒落なジャズのBGMが耳にまた聞こえてきた。周りには心配そうな顔をした従業員の方々とほのかさんが居た。
「私……」
何か喋らなきゃ。とにかくまずは心配かけたことを誤ればいいだろうか。
「飲み物はあたしのおすすめでもいいかしら?」
こときゃんさんだった。会った時より少し優しいトーンに感じた。
もしかして私の今の状態を理解してくれているのだろうか。今は特に何も思いつかない。だからおすすめにするとしよう。
「そ……それでお願いします」
「あっ私も~」
「了解っ。ぼるしち、店内BGMを変えてくれる~?」
ぼるしちと呼ばれた金髪の両耳に、たくさんピアスを空けた男性は受付の方に行った。
そこに音楽をかけている機械があるのだろう。
いや、それより気になることが。
「ぼるしちって……あの食べ物の?」
「そうよ。ここではみんな食べ物のニックネームでお互い呼び合っているの。本名はみんな知っているけどねっ」
そういうことだったのか。理由は分からないけど、こときゃんさんとほのかさん、そういうところが似ている気がする。
「あと、あたしの名前のこときゃんは、綿あめ、コットンキャンディーの略称が由来よっ」
「ちなみに……綿あめではなくて、コットンキャンディ―の略称なのは何か理由があるのですか?」
「そんなの決まってるでしょっ」
その場でくるりと一回転。そしてウインク
「可愛いからに決まってるじゃな~い! 綿あめはなんか可愛さが足りない気がするし、だからと言ってコットンキャンディ―は長いでしょ~? それを略したこときゃんなら、あたしの心にグッと来たの。だからあたしはこときゃんって名前にしたの」
「なるほど……。そんな由来があったのですね」
「そう言えば真希もあたしと初めて会った時に、何でその名前か聞いてきたわよね~。初めて会った日のことを思い出すわ~」
「そう言えば、こときゃんと会ったのは私が初めてここに来た日か」
初めてここに来たってことは、元からここに住んでいたわけではないのか。
「そうねぇ~。あの日はちょっとというか結構、大変だったけど素敵な一日になったわ。あなたに出会って、ね」
そんな風に言われると何があったのか、気になる。
「良かったら、二人が初めて会った日のことを教えてくれませんか?」
「あら、興味を持ってくれたの~? 嬉しいわ~。じゃああたしが隅から隅まで、雪ちゃんに教えちゃうわっ」
言い終えたと同時に、店内BGMがゆったりとしたクラシックに変わったのだった
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