思い出したこと
黒いテントの方に近付けば近づく程に、まるで別の空間にいるような気分になった。
場所はただ少し移動しただけ。なのに何故こんなにも違うものだろうか。
そう思いながらその中に入って行った。
入って真っ先に目についたのは小村……ではなくあいつだった。
「何でここにいるのぉ?!」
つい大声で叫んでしまった。その様子を見て椅子に座っていた小村がクスクスと笑っていた。
「ほんの少し前に私の元に来たのですよ。さあどうぞお掛けになって下さい」
若干、状況が掴めないまま椅子に座らされた。
テントの中は実にシンプル。紫のテーブルクロスがかけられたテーブルと椅子が二脚あるだけ。
「改めて初めまして。シャノワール小村と申します。あなたとは特に色々とお話になるだろうと思いまして最後にしました。あなたの知りたいことについて私は全て教えます」
彼の事を教えてもらおうと思った…がふと疑問に思うことがあった。
自分以外の誰にも見えたことがないあいつが何で小村は見えたのだろうと。
「あの……小村さんは何でそこにいる金魚が見えたのですか」
あいつは優雅に小村の周りを泳いでいた。小村は優しく微笑みこう言った。
「それは私と同じような役割だからです」
「え?」
同じような役割……。あいつをちらりと見てみる。全然そうには思えない。
「私は皆様の知りたいことを教える役割。そしてあちらの方は一旦、記憶を忘れさせてまた思い出したい時にその手助けをするのです。勿論、全部という訳ではありません。あなたがその事を覚えていたら辛い、苦しい、何も手がつかない、そんな時に一旦、忘れさせるのです。これだけ聞くとまるで反対のように聞こえますね。ですがあなたを助けるという役割では一緒ということなのです。時にはその記憶を覚えているが故に、自らの命を絶とうとしてしまう方もいますからね。この金魚様はたくさん居て他の人にも、あなたのようなことをしているのですよ」
ただ呆然と聞いていた。いや、色々と凄すぎて聞いているしか出来なかった。
小村……いや小村さんは話を続けた。
「話を戻しますがその記憶はあなただけではなく周りの人の記憶も一旦、忘れさせます。あなたが少しずつ思い出していくと周りの方々も思い出すということです。勿論一気に思い出すことも可能です。ですが一度はあなたを苦しめたもの。一気に思い出すとあなたの心に負担があるかもしれません。だから私は少しずつ思い出すことをおすすめします」
「なっなるほど……」
相づちを打つことしか出来なかった。
まさかあの金魚がそんな凄い役割をしていたなんて思ってもいなかった。
「あとこのお方の説明をするとあなたの一部、内神様というものです。人間の中にはみんな神様がいてそれを内神様と呼ぶのです。つまりは自分自身が神様、ということです。こういうことを言うと宗教臭いなんて言う方もいますけどね。それがあなたの目に見えるように実体化しているというわけです」
なんなのだろう。根拠もなく信じたくなかった自分をぶん殴りたくなった。
この人は本物なのだと話を聞いていて分かった。オーラが違う。
「さてそろそろあなたの思い出したい記憶を少し教えますね。あなたが忘れているのは好きな人のことです。今も好きかは分かりませんが、もし忘れないままだったらきっとまだ好きだったのだと思います」
「あたしの……好きな人……」
忘れている、でも思い出したい。それは好きな人のことだと小村さんは言った。
やはり初恋の人だろうか。
「内神様はあなたの恋に関する記憶を全て一旦、忘れさせました。周りの方々にも。あなたが思い出したい方は初恋の方ではありません。でもとてもあなたの人生を彩らせてくれた方なのでしょう。いい思い出ばかりですね。本当にあなたはその人のことが好きだったのでしょう。でもある事があってむしろそれは自分を苦しめる存在になった。あなたの中ではそんな自覚はないと思います。ですが何もしたくないという気持ちばかりが溢れていたのでしょう」
「……」
なんとなくだけどその時のことを思い出した気がする。
何故か落ち込んでいてベッドに一日中、寝転んでいた。
部屋の外に出るのはトイレと入浴の時だけ。
お父さんとお母さんはとても心配していた。
ドアをノックして大丈夫かと言う二人に対してちょっと体調が悪いだけだから。
と、意図的に声色を明るくして誤魔化していた。
それがいつの間にかいつも通りに、そして日常に戻って行ったのだ。
そして日常が戻り始めた時からあの金魚は目の前に現れていた。
「そうですね……。まずはあなたと彼の馴れ初めについて少し教えましょう。少しだけであなたはきっと思い出すはずです」
彼との馴れ初め……なんなのだろう。
そもそも彼は付き合っていたのだろうか。そこが気になる。
小村さんは少し間を空けて言った。
「公園……ブランコ……そして美術館……」
キーワードだけだった。でも思い出した。好き……いや大好きだった人のことを。
「……大河君……?」
そう、あの日からあたしは大河君を気になりだして少しずつ、惹かれて行ったんだ。
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