第29話 兄の行方


 ですからね、とオフィーリアはもう何度目かになる、その理由を語る。

 多分、神様は今度もまた、理解してくれない。そう思いながら。 


「他の聖女たちは自ら望んで厳しい修行に耐えようやく今の身分を手にしているのに。セッカ様はやすやすとそれを飛び越えてしまった。それは許されないルールです」

「カビの生えた腐ったルールなど知るか」

「はあ、だめだこれ」


 話が平行線だ。

 尻尾を放してやると、それはクルクルっと巻き上がりお尻の上で弧を描いた。


 出会った頃、彼は小さな狼だった。

 それはそれは可愛いらしい狼だった。


 彼はとても良い仔狼だった。

 くりくりとしたその瞳も、どこかキリッとした眉も、黒い身体の一部にある氷の結晶のような白い斑点も。


 そのどれもが、たった四歳で初対面したオフィーリアにとって、不思議で貴重な出会いだった。


 だけど、気付くべきだった。

 だって喋る狼なんて、聞いたことがない。


 魔獣も人語を話すことは無い。

 彼はなにか特別な存在だということに、オフィーリアは気付くべきだったのだ。


 そして、彼がいきなり影に潜み、そこで生活を始めて、物心ついた時にはずっとそばにいた。心が繋がっているような、そんな存在になっていた。


「これが神様だなんて知っていたら……」

「これなどと失礼なこと言うな」


 うーん、と少女は黙り込んでしまう。

 セッカは良し良しとその頭を前足で撫でてやっていた。


「なんだ悩み事があるのか」

「ここぐらいじゃないと、他だとどこにいても人がいますから」

「そうだな。何を悩んでる。あの小生意気な勇者のことか」

「……ええ。ついでに賢人会のこともです」


 オフィーリアは、胸の前で手を組み祈りの仕草をした。

 これまで彼女が飲み干した他人のスキルの杯は四杯。

 そのどれもが、彼女の魔力を高める要因となっていた。


「気にすることはないだろう」

「は? どうしてそう思われますか。私は他人を犠牲にして、文字通り、悪魔の行為に加担している女ですよ」


 ふああっ、と黒狼は大きな欠伸を漏らす。


「再生しておいた」

「はああっ? どういうことですか。再生って何?」

「お前が飲み干した連中のスキルから、魂と肉体を再生して、別の場所に生まれ変わらせておいた。記憶と人格はそのままに能力もそのままに」


 驚きの告白だった。

 そんなことをすれば、ひどい目にあった彼らは必ず復讐に立ち上がるはず。


「いったいどこに……」

「地下迷宮だ。正確にはその最奥にある、フランメルのダンジョンコアに預けてある」

「どうしてもっと早く言ってくださらなかったのですか」


 自分の犯した罪は神の手によって清められていたなんて。

 だがそれは、間接的なものであって、直接的な犯罪とは無関係だ。


 自分は許されない女。

 そう思うと、恥ずかしくて、情けなくて、屈辱で、大粒の涙が溢れでた。


「気にするなと言っただろう。これも、この国を見守る神々が、そうとは知らない連中に命じてやらせていることだ」

「ですが、ですが――っ!」


 そう言い、セッカはオフィーリアの頬を舐めあげた。

 癒される。この優しさにも可愛らしさにも、本当に癒される。


 涙が止まらないほど溢れてしまう。どうして気にするなと言ってくれるのか。


「人には寿命というものがある。神が決めるわけじゃない。似たようなものでもある。死が与えられるということは、それなりの罪を犯しているということだ。あの勇者のように」


 それは簡単な理由だ。彼は人間以外を認めない。

 王国の民のなかで、人間だけが彼にとって守るべき存在。


 棄民など、さらに眼中にない。殺してしまっても良い虫けら程度にしか考えていない。そして彼はそれを有言実行している。


「北で、王国に従う獣人たちの街が、魔族によって全滅させられた。助けられたものを、あれは助けなかった。人ではないから、助ける必要はないと言ってな。それぐらい罪深い。お前がしていることと、アレクがしていることに何の違いがある?」


 まだ、俺が再生して行っているだけマシだろ?

 黒狼は偉そうに威張っていた。


「神様なら、そんなことはして当然だと思います。いちいち、威張らないでください! そんなことよりも、賢人会です。今度の被害者は、本当に私と無関係でしょうか」

「難しい。キースが地下に降りて、あれの力が増大した。おかげで闇が濃くなってしまったのだ。迷宮は特に闇が濃い。そこに混じってしまうとなかなか見つけられなくなる」


 つまり、兄はまだ生きている。

 正しいことは何をするべきなのか。

 今ここで判断することが、これから先彼女自身の人生を決定づけるような気がした。


「キースを探すか、アレクと結婚するか、やつらの野望を止めるか。どれを選ぶ?」

「そんなこと……。もう私の両手は血で塗れております。杯の件もそう、多くの魔族をこの三年間で殺しました。新田の政治のために謀略と暗殺を依頼したこともある。私は聖女などではないのです。薄汚れた欲にまみれた汚い女なのです。生きるべき道はもう決まっているでしょ。セッカ様」

「なら、全てはうまくいく道を模索することだ」

「ええ……」


 兄のことは、俺が探しておいてやる。そう言い、黒狼は消えた。

 久しぶりの講義。その日の授業は、オフィーリアの耳にはまったく入ってこなかった。  

                  

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