第22話 朝食と溶ける財布

「……で? どうして俺の部屋に? 許可もなく潜り込んだんだ?」


 金髪をお団子にして、昨夜のバーで着ていた服に着替えたライシャに向かい、キースは尋問する。


 目の前の彼女は、黙々と朝食を口に詰めて、黙秘権を行使していた。

 本日の朝食は焼き立てのくるみパン。


 ときどき石臼の小石のような欠片が混じっていて、歯でガリっと噛んでしまうのが玉に瑕だ。


 拳大に丸められたくるみパンを小さくむしり取り、合間にナイフとフォークでこれまた小さくカットした肉汁のしたたるソーセージを挟み込み、一気にそれにかぶりつく。


 パンの隙間から肉汁が滴るのが、見ていて目が離せない。

 しかし、育ちの悪い棄民ならともかく、彼女は知識層。それも学者だという。


 そんな品性方向な階級のお嬢様が、こんな場末の宿屋の食堂から提供される朝食を無心に食している。


「美味しい、美味しい。うむ、これもいけるな。なかに新鮮なマスタードが塗り込んでいるのが、またいい。舌にそう辛くないのにピリッと来る触感がたまらん。牛乳は搾りたてか、これも荒い舌あたりがマスタードで痺れる触感を和ませて、相性がいいな。これは美味しい……食を進ませる!」

「あらーっ、お客さんったらやだわ、ウチの味の良さを分かってくれるなんて!」


 実家の料理を褒められて、ケリーは上機嫌だ。

 先ほどまでの犬猿の仲はどこに行ったのか、食堂ではまろやかな雰囲気が二人の食卓を覆っていた。


 昨夜も思ったことだが、ライシャの食欲は凄まじい。

 同じほどの体格の女性なら半分で切り上げてしまうような朝食プレートセットを、もう二枚もお代わりしている。


 安い単価だが、朝から数人分の現金が手に入るから、ケリーもほくほく顔だ。

 料金は前払い制だった。


 この宿屋「グレイス亭」はキースの冒険仲間が十数年前に始めた、冒険者向けの安宿だ。


 築五十年以上は経過していると聞いたときは驚いたが、宿泊料の安さと、食事のうまさ、その料の多さや清潔な部屋が提供されることから、人気を落とさずに開店当初から住み続けている宿泊客もいるくらいだ。


 キースの部屋がおんぼろなのはたまたまあの部屋が倉庫として使われていたからで、この宿屋が決して改修に手抜きをしているわけではない。


 亭主のグレイスは昨夜の揉め事の原因にもなったように、酒浸りで妻に出て行かれるようなろくでなしだが、決して料理の腕や経営手腕は悪くない。


 ただ、娘の言う通り、酒に利益を使い果たしてしまって、借金をこさえてしまうような個人的な金の荒さが大問題だった。


「ぷはー。悪くない! ここは久しぶりに当たりだぞ、キース」

「当たりってなんだよ?」

「良い店、ということだ。居心地も料理もサービスも。あの寒い部屋だけが問題だが」

「また泊っていく気じゃないだろうな……」


 ライシャがそれもいいかも、とほくそ笑むとキースは明らかに嫌そうな顔をした。


 このダークエルフは彼の金で昨晩の宿賃を払い、今もまた彼の財布から銅貨十数枚を捻出させたのだ。嬉しいはずがなかった。


「なんだ? こんな美女と寝所をともにできる機会など、そうそうないぞ?」

「それが俺の望んだものならな」


 そう言って、彼は仏頂面になる。どうしてこのダークエルフを部屋に招き入れたのだろう? 


 鍵を開けた覚えなんてないし、ドアがノックされた音も聞いていない。

 しかし、フロントで夜番をしていたケリーは彼女を受付した、と証言する。


 どうやって入り込んだのか。さっぱり心当たりがなかった。


「おや? そういう関係が良かったか? ならまた今度だ。ちゃんと誘ってくれれば、考えないこともない」

「そういう意味じゃねーよ!」

「昨夜は、眠り粉をばらまいた」

「眠り……なんだ?」


 妖精が持つ、散布タイプの強力な睡眠導入剤だという。

 戦場で夜襲などに効果的で、ドラゴンでもくらえば数時間は眠り続ける代物と、ライシャは説明した。


「軍用の兵器を俺に使ったのか!」

「いや、これは古い妖精が人気相手に悪戯をするときに使ったものだ。たまたま現代ではそういう使い方に転用されているに過ぎない」

「盗賊の真似事を、エルフがしていいのか? お前、学者だって言ってたろ!」

「まあまあ。それはさておき。お主の寝床はなかなか寝心地が良かったぞ」


 そこにケリーが四枚目のプレートセットを手にしてやってきた。

 顔にはキースとライシャがイチャイチャしているのが気に食わないのか、不満がありありと浮かんでいる。


「はい、お待たせしました! 料金が倍額ね! 先生の支払いだから!」

「おいっ、そんな殺生な!」

「心配するな。それぐらい私が払ってやる」

「ごゆっくりどうぞ!」


 痛烈な嫌味も、このダークエルフには通用しない。

 それが分かったのか、相手をするだけ馬鹿馬鹿しいと思ったのか。ケリーは顔を微妙にしかめて、さっさと次のテーブルへと向かった。


「勘弁しろよ」

「大変だな、先生も」

「お前のせいだろうが!」


 背中を見送りながら、キースは困ったもんだとぼやく。

 どうして俺が板挟みに……。


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