第11話 駅舎の裏で

 地下世界の昼は地上のそれにくらべて、幾分薄暗く感じる。

 各駅を順番に周回して王都へと向かう駅馬車たちに、客がやってくるのをただ列を成して待つ辻馬車の一群がいる。


 人と馬とそれを乗せる大小の差はあるが箱馬車だけかと思えば、荷車を引いて人以外の物を運ぶためにやってきては、積み荷を降ろし空になった荷台をカラカラと軽快な音と共に御者を乗せて消えていく一頭建ての荷馬車たちもいる。


 地下迷宮から地上へと向かう。

 もしくは地上から地下へと降りて来るこの定期便は、一日に数本しか存在しない。


 そのやってくるときはガラガラとせわしなく聞こえる車輪の音が、去っていく時にはあまりにも軽薄なカラカラという音に変わるのを朝からずっと耳にしていた彼女は、「はあ……」となで肩をさらに落とすようにして本日、何度目になるかも分からない失意のため息を漏らしていた。


 褐色というよりは薄墨を塗ったような、黒く透き通った肌を持つ彼女は、去っていく馬車を見て「ああ、行ってしまっった。あれだったのに」と呟く。


 忌々しそうに、足元の床板をブーツの踵で蹴つけ、傍らに置いてある長剣と荷物を見比べて、はあ……と重いため息を一つ吐く。


 彼女以外に、自分の目当ての馬車がやってくる時間まで暇を持てあます乗客たちは、外の寒さから逃げるように待合室に詰めていた。


 そこでもう一時間以上も、こんなため息を聞かされては、気が滅入るというものだ。


「遅い……。ちゃんと伝言を見たのか、あいつは」


 怒りとか焦りとかやるせなさというものを通り越してしまい、その言葉には失望とか呆れとか、もうこの状況から誰か助け出して欲しいというような。


 彼女の周りにいる者たちには、そんな願いさえ込められているように感じられた。


 少女のため息が漏れる時間はもう一時間は下らない。

 彼女の苛立ち方からして、相手はどうやら男の様だ。


 それも使用人とか商売の取引相手のような縁の薄い相手ではなく、もう少し心を砕ける相手、恋人とか家族とかそういったもののように思えた。


 彼らがいる場所は、安物の松の木材で作られた長椅子が数列並ぶだけの不愛想なその場所は、粗末なクッションの一つも用意されていない駅舎の待合室だった。


 駅舎の待合室でそれも暖房なんか入れてくれないような、そんな殺風景な場所だった。


 とはいっても食事を調理するために必要な程度の大きさをもつ暖炉は備えていて、そこには薪の代わりに魔石が用意されている。


 魔石とは魔物の遺体や古代の遺跡や、古い地層などから発掘される紫色の水晶のようなものでそれ一つあれば、炎を呼び出すことができた。


 魔力を注いだり表面に掘られた紋様をなぞるだけで火を生みだすことのできる燃料の塊のようなそれが、暖炉のなかではのんびりとした勢いで炎を産みだし続けている。


 少女は極度の寒がりなのか、それとも待ちぼうけで心まで冷え切ってしまったのか、室温は温かいというのに、分厚いローブと小さなツバのついた灰色のキャスケット帽子を目深にかぶり、決してそれを脱ごうとしない。


「もういい」


 しばらくしてから、待つのに飽きたのか彼女は横に立てかけていた長剣を手に取ると、傍らに置いてあった大きな旅行鞄をどこかにふいっと消してしまう。


 その途端、腰のベルトに通した革製のポーチのボタンが空いて、また閉じた。

 パチンっと留め具の合わさった音が小さくなる。


 ポーチの中の空間を簡易的に歪め大容量の荷物でも簡単に持ち運べるようにした、空間魔法を施した魔導具の一種だろう。


「来ないのならば、こちらから行く!」


 意を決したように顔を怒りで歪めて言うと、腰まである金髪を片手で大きく振り払う。

 そのとき、目深にかぶったキャスケット帽から、ぴょこんっと人よりは長い耳が飛び出た。



「おいおい待て、待て!  何考えてんだよ、お前は! なあ、ケリー!」

「だーかーらっ! 離してってば!」

「いや、ちょっと待てってば! 放すせるわけないだろうが!」

「んもぅーう、しつこーい! あんたに関係ないじゃん!」

「いや関係あるだろ。いいからちょっと落ち着けって、なあ?」

「うるさいよ、本当にまじウザイ!」


 同じ駅舎の裏手側で、こちらは迷宮の下層行きの馬車に乗り込もうとしたところを邪魔された少女が、彼女を馬車から引きずり下ろし、さらにせっかく積み込んだ荷物まで駅員に言いつけて、降ろさせたことに憤慨して怒鳴り声を上げていた。


 少女の名はケリー。

 黒い豊かな髪を一つにまとめて右肩から垂らした彼女は、旅の始まりを邪魔した男を睨みつけていた。


 旅に最適なワンピースの裾を翻して、ケリーは両手を腰に当てている。

 その眉間には深い皺が数本刻まれていた。


「先生! どうして止めるのよ、もう、うんざりっ!」

「それは俺のセリフだ! いきなり出て行くなんておかしいだろうっ」


 二人は教師と生徒の間柄だった。

 ケリーは自分でこの街を出て行こうとしていた。

 でもそれは勧められない。キースはなんとか思いとどまらせようとする。


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