第63話 野心

荒屋敷あらやしきさん、また押しちゃいましたよー」

 八回目の収録も十分近くも時間が押したまま終えると、メイン司会の古淵こぶちさんが苦笑した。

「悪い癖でね。乗ってくるとべらべら話しちゃうんだよ。だから地上波を首になっちゃったんだろうなー」

 すかすかの頭頂部をきながら苦笑すると、荒屋敷あらやしきさんはごくごくとペットボトルの水を飲む。


「そういや若葉さんはユリカの事務所に入ったんだって。ユリカからよろしく頼むってメールが来てさ」

「はい。GoGoカナリオンをきっかけに声を掛けて頂きまして、先週契約したばかりです。荒屋敷あらやしきさんは本郷ほんごうさんとお知り合いなんですか」

 私は、世間は狭いと思いつつ荒屋敷あらやしきさんに聞き返した。


「知り合いなんてもんじゃないよ。もうユリカとは四十年近い腐れ縁よ」

「本郷さんって、なでしこの元代表候補でしたもんね」

 帰り支度じたくを始めていた古淵こぶちさんが、相好そうこうを崩した。

「子供の頃は男だろなんて言って泣かせたりしてさ。小学校の頃はユリカとチームが一緒でね。競り合いでいつも負けてて、つい悔しくって」

 懐かしそうにスタジオの天井を見上げる荒屋敷あらやしきさんは、完全に少年と化していた。


「ユリカは完璧主義な所があるしとっつきにくいかもしれないけれど、超一流のやり手よ。ユリカがいなけりゃ、あの事務所があそこまで大きくなることは無かっただろう。それでさ」

 スタジオを出て通用口に向かう通路で、つと荒屋敷さんの足が止まった。

「ユリカに彼氏と別れろって言われたらどうする」

 私は思わずぎくっと体をすくめた。

おどかしたい訳じゃない。僕が言いたいのは、ユリカに別れろと言われてあっさり別れられる程度の男なのかどうなのか、今から考えておいた方がいいんじゃないかって事」

 それはここ最近、私の頭を捉えて離さない命題めいだいだった。


「二十五年近く前、僕も同じ選択を迫られた――。その選択を、僕は今でも後悔してる。僕はビッククラブ行きへの誘惑と引き換えに彼女を捨てた。それでも僕の心から、彼女が消える事は無いんだ。自分で捨てたくせに身勝手だね」

 私は返答のしようもなく、ただうつむいていた。


「ユリカは若葉さんを売るためなら何でもする。憎まれ役になってでも、彼氏と別れろって言ってくる。だけど結局の所、誰に何を言われようと、いつだって決めるのは自分自身だよ。一度決めたら、誰のせいにも出来ない。だって自分が決めたんだから」

 じゃあね、と言って軽く手を挙げる荒屋敷あらやしきさんに、私は頭を下げた。


「ただいま。収録どうだった」

 変則シフトで午後六時に帰宅した拓人さんが、部屋に顔を出した。

「うん、相変わらず時間オーバー」

 苦笑しながら拓人さんを部屋に迎え入れると、拓人さんはあー疲れたと言いながらジャンパーを脱ぎ捨てた。


「ごめんね。迷惑ばかり掛けて」

「何が」

「だって私の抜けた穴を全部埋めてくれるし、動画の撮影編集もSNS運用もほぼ任せきりだし」

「自称若葉ゆいの筆頭マネージャーだから。何でもするよ。安心して」

 くすっと笑うと、拓人さんは私をぎゅっと抱きしめた。

 拓人さんの言葉が、重くのしかかった。

 私は、いつも通りの『ゆいさん』を演じられているだろうか――。

 拓人さんの腕の中で、私の頭は冷徹なほど鋭く働いていた。


※※※


「現行のコンテンツ制作体制のままでは、若葉さんのブランディング戦略と齟齬そごが出る。コンテンツ制作に関しても、弊社に一任をお願いいたします」

 それが、契約交渉の場での本郷さんの第一声だった。

「若葉さんは十年に一人の逸材いつざいです。あなたは自分の価値を低く見積もりすぎている」

 つづけて見せられた書類は、『若葉ゆい』自身をキラーコンテンツ化するためのブループリントそのものだった。

 本郷さんは私を高く評価しているとは言うものの、その言葉尻は評価とは真逆の冷たさだった。


「あなたが今のご自身のありように心底満足されているなら、弊社とのマネジメント契約はされない方が幸せかもしれません。ですが私は若葉さんに無限の可能性を見た。ご自身の可能性を引き出し人生を変えたいと思われるならば、ぜひ契約を」

 そして、私は契約書に判をついた。つまりそれは、拓人さんが私のSNS関連の製作運用から外れる事を意味する。


『僕はビッククラブ行きへの誘惑と引き換えに彼女を捨てた。それでも僕の心から、彼女が消える事は無いんだ』

『誰に何を言われようと、いつだって決めるのは自分自身だよ。一度決めたら、誰のせいにも出来ない。だって自分が決めたんだから』

 荒屋敷あらやしきさんの言葉が、何度もリフレインした。


※※※


「どうしちゃったの。やっぱりスケジュール詰めすぎじゃない」

「今の私に選択の余地なんてないよ。だって駆け出しだし」

 ふうっとため息をついて拓人さんから身を離すと、私は冷蔵庫から鶏みぞれ和えを取り出した。


「ごはんこっちで食べてくでしょ」

「うん。何か手伝おうか」

「とりあえず、これ並べて」

 みぞれ和えに拓人さんの実家からもらった切り干し大根と、名古屋から送ってきた赤みそ仕立てのなめこ汁がこたつに並んだ。

「やっぱりゆいさんの作る飯は最高」

「ありがとう」

 いつだって拓人さんは私の作る料理をめてくれる。お世辞にもぜいたくとは言えない間に合わせの料理でも、拓人さんは本当に美味しそうにぺろりと平らげてくれる。

 コロッケも、鮭も、みぞれ和えも、拓人さんとこたつを囲んで食べるだけで、とてつもない幸せの味になる。


 拓人さんが好きだ。

 拓人さんと一緒のこの時間がどうしようもなく幸せだ。

 それでも私は――。 


 私は、二十五年前の荒屋敷あらやしきさんと同じだ。

 私は、自分の中の野心を、もはや抑え込む事など出来なかった。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

(2024/7/15 改稿)

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