名塚砦攻防戦

 大殿が倒れたとの情報は尾張一円を駆け巡った。尾張の虎の武威に従っていた豪族たちが不穏な状況を見せているとの情報が上がってくる。


 若のもとに駆け込み、そのまま付き従って清須へと走る。

 

 武衛様の小姓の案内に従って大殿の居室に入る。部屋の前にはすでに何人もの重臣が座って待機していた。

「若!」

「爺、父上の様子は?」

「夕餉の後に酒を飲んでいて倒れたと……」

「卒中か!?」

「おそらくは」

 若が室内に入って行く。目線で俺も入るように指示された。平手殿の方を見ると、頷いたので若に従って部屋に入る。


「うう……あああ」

 こちらに気づいた大殿が身動きの取れない身体をひねってこちらを見る。

「おららば、おららば」

 ろれつが回っていないがおさらばと言っているのであろうか?

「親父! なにを気弱なことを言うておる!」

「すまぬ、すまぬ。あとをたのんだぞ」

 目から涙を流し、若の手を取ってすがるような言葉を続ける。

 そのまま力尽きるように眠りについた。胸がまだ動いているので命はまだあるようだ。


「評定の間に皆を集めよ」

 小姓たちが散っていく。若の後に大殿の部屋に入った勘十郎様が追いかけてきた。


「兄者。父上は拙者に弾正忠になれと……」

 その言葉に隣にいた平手殿が目を見開く。

「であるか。されば容赦はせぬぞ」

「兄上……」

 勘十郎様は自らに付けられた配下を率いて評定の間に入って行った。


 しばらくして最前線に張り付いている将を除いて主だったものが集まってきた。

「父上はもはやこれまで。我が弾正忠家の名跡を継ぐ。異議はあるか?」

 すると勘十郎様がすっと手を挙げる。

「拙者は父上より弾正忠家の後を継ぐよう指名され申した。兄上はうつけ故に織田を滅ぼすと」

「なにっ!」

 さすがに血相を変えて若が立ち上がる。

「そういうことにござる。どれ、聞いてみましょうや。我、勘十郎信勝に従うものは立つがよい!」

 すると、林佐渡、佐久間盛重の一派が立ち上がる。柴田は佐久間の縁者ゆえにそのまま立ち上がった。権六殿がすっとこちらを見る。俺と目が合った瞬間かすかに頷いた。


「なれば我、上総介信長に従うものはこちらへ参るがよい」

 評定の間の左右に若殿と、勘十郎様に従う家臣が真っ二つに割れた。ここにるのは弾正忠家の配下で、土豪などは含まれていない。

 勘十郎様は単騎で敵中に斬り込んだことのある剛の者で、折り目正しく故実や儀礼に詳しいと家臣たちからの信望も篤かった。

 要するに若殿より人望があるということだ。


 那古野の南、末森の城を中心に勘十郎派が集結していた。林佐渡は末森の守備に就き、弟の美作が林家の兵を率いて出陣していた。

 林麾下の土豪も兵を出しており、勘十郎様の兵力は2000を数える。

 そして、こちらの兵力は……1200あまり。

 清須城を手中に収めているが、武衛様は中立を宣言された。家臣の家のもめごとには介入しないという意思表示である。

「余は神輿故な」

 この一言がすべてを物語っている。


「ふん、信清め、ここぞとばかりに背きよったわ」

「信光様が抑えてくれておりますな」

「そのせいでこちらの手勢は集まっておらぬ。国境で合戦とならばまたぞろマムシ殿が色気を見せよう」

「それゆえ睨みあっているだけになっておりますな」

 岩倉と犬山では犬山がやや有利だ。それを練達の大将である信光様の器量で埋めている状態である。

「しかし長引けば美濃の後ろ巻きがどちらに向かうかわからぬでな」

 いくさ評定は紛糾する。情勢は圧倒的に不利、そのことを国人たちも理解しており兵の集まりは悪い。何しろ負ければすべてを失う可能性が高いのだ。

 所領は奪われ家も断絶する。これがそれなりに力のある家であれば、所領を削られても存続の道はあるのだろうが、ぽっと出の土豪ではそのような配慮は期待できない。

 いかにして勝ち馬に乗るか。そのことが全ての関心事だろう。なお、天田家は信長方に近すぎるので最初から選択の余地はなかった。あったとしても迷わずこっちの陣営に付いたであろう。権六殿と戦うことになってもだ。


「お互いが後継は自分だと言っておる。そして譲る気配もない。であれば一戦して決めるしかあるまい」

 若……もとい殿が全員に告げ、出陣が決まった。

 殿は那古野より清須に移っていたため、那古野は空き城になっていた。庄内川を挟んで睨みあうところは、先日の信友との戦いに似ている。


「信盛、敵は那古野付近にとどまっておる。貴様は手勢を率いて名塚に入れ。砦普請をするのじゃ」

「ははっ」

 佐久間信盛殿が500を率いて先に縄張りしてあった名塚の丘に向かう。


 ある程度の資材も確保されており、柵と板塀で囲った程度のものであったが砦は数日で出来上がった。砦ができた日の夜、強い雨が降り、屋根が無かったら危険だったと後日信盛殿がぼやいていた。


 雨が上がった翌日、晴れ渡った払暁に佐久間盛重殿の率いる800が攻め寄せる。先陣は彼のかかれ柴田であった。


「あのようなあばら家など一気に踏みつぶせい!」

 前の晩降った雨で足元はぬかるんでいる。互いに矢を放つが、どうしても元同輩ゆえに手加減が見て取れた。


「ふん、遠路はるばるご苦労なことよ。大学の兵に水を馳走してやれ!」

 雨水をためていた桶をひっくり返し、攻め上っていた兵にぶっかける。泥人形のようになって丘を駆け上がってきていた兵は、バランスを崩してひっくり返り、そのまま雪崩れるように坂を転げ落ちていった。


「うぬぬ、何たるざまよ。権六、攻め手を替われ! 我が出る!」

「承知した」

 佐久間衆はそのままいったん退き、砦の北東に布陣する。庄川を渡ってくるであろう殿の本隊を見張るためだ。

 ただ前日の雨は足元を悪くして砦の防衛に寄与しているが、庄川も増水して援軍の渡河を阻んでいる。


「もって明日までであるな。みなのもの、すまぬ」

「殿のせいではございませぬ。雨が降るもふらぬも武運のことゆえ」

 悲壮な覚悟を決める名塚砦の兵たち。佐久間衆であれば同族意識もあって手加減がされていたが、林美作にはそのようなことをする理由がない。

 

「かかれ、かかれ!」

 自らも坂を駆け上がり、眦を決して兵を鼓舞する。

 そして南西方面より一塊の人馬が駆けてきた。


「ん? あれはどこの手勢じゃ?」

「西からじゃと?」

 林衆の侍が言いあうがまさか敵だとは思っておらず警戒もされていない。


「ここよ! 突き込め!」

 殿が采を振ると、森三左衛門殿が喚声を上げて突撃する。その勢いはすさまじく、鎌田助丞・富野左京進・山口又次郎・橋本十蔵ら歴々の侍があっという間に討たれ、潰走した。


「撃って出よ!」

 砦よりは佐久間信盛の手勢が一揆に逆落としをかける。林美作は混乱の中で討ち取られ、その有様を見た信勝様は戦わずして兵を退いた。


 わずか数日で弾正忠家の内紛は決着したのである。

 そして殿の勝ちを見届けるように、その日の夕方、大殿はその息を止めた。

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