異管対報告第3号-6

 日本国の首都である東京は、人類が悪魔という異種族と初めて戦った大戦である"平和戦争"の最前線になった。その戦場は悪魔の使う魔法や魔獣という生物兵器が跋扈する現代戦争と全く異なる様相を呈したのである。

 その結果、"憲法9条至上主義者"からの批判や"無策の平和主義者"のデモに屈した内閣によって有効打を打てない防衛省は場当たり的な防衛作戦しかぜず、多くの都市を"保身のための死守命令"で自衛隊員諸共瓦礫とした。更には"退避指示を無視する"マスメディアや"信憑性の薄い情報"を流す配信者や"平和の使者"を自称する活動家が隊員達の後退を妨害すると、それらを纏めて救出する無謀な作戦により有能な隊員や無関係な市民問わず多くの日本人が山のような肉塊にさせられたのである。

 だが、その大戦による悲惨な過去は政府と国民を合わせた今の日本にとって直ぐにでも忘れ去りたい黒歴史であり、戦後復興はまるで"戦死者の亡霊に取り憑かれた"かと思える狂気とも言える速度で進んだ。その速度はまるで"コピー・アンド・ペースト"するかのようであり、元の街並みや外観を数年で再生させた東京は再びGDPの大部分を支える経済と、国会や政府機能の集中する大都市へと舞い戻った。

 しかし、政府や首都や重要都市のみへの"世界的知名度を優先"する大規模復興政策は多くの市区町村を大戦直後のまま取り残し、日本は歪な体制のまま平穏と安定を取り戻してしまったのであった。

 そんな眠らない東京の中で、新宿はむしろ夜にこそ目覚める都市と言える。あちこちに輝くネオンや立体テレビ広告、飲み屋や駄弁る場所、自身の居場所や家路を求める人々の流れに道路を埋め尽くし先を急ぐ車の波は、それだけでまるで一匹の巨大な生物ようであり、様々な人々の何気ない日々をその体表に映すのである。


「ゆっくり仕事していたいけど……行かなくちゃいけないな……」

「いいじゃないか、注文間違えないようにして、仕事をこなして帰ろうじゃないか!」


 新宿駅東口にあるビルの中の居酒屋にて、一人の男が頭を抱えていた。厨房をこうこうと照らす照明に光る短く刈り揃えられた金髪が輝き、髭の剃り残しがある掘り深い欧風な顔立ちや最低限鍛え他の店員と比べ頭一つ大きい高身長は彼を大いに目立たせている。

 だが、そんな整った顔を青くしつつ厨房から渡される料理をトレンチの上に載せた男は、顔よりも更に青い瞳を閉じてゆっくりとため息混じりに呟いた。その小声は酔いが回り取り留めのないことで大いに盛り上がる客や店内に流れる音楽に掻き消された。

 それでも、そんな男の悪態をきちんと聞いていた頭に鉢巻を巻く他の店員は彼の丸くなった背中を叩きつつ、笑って励ましの言葉をかけた。その励ましに笑って応える男は、胸の"ロシアから来ました!ヴァジム"と書かれる名札を揺らしながら視線をフロアへと向けたのであった。


「ゆっくり仕事していたいけど……行かなくちゃいけないな……」

「いいじゃないか、美味いもの食って飲んで、満足して帰ろうじゃないか!」


 新宿駅東口にあるビルの中の居酒屋にて、一人の男が頭を抱えていた。フロアをこうこうと照らす照明に光る短く刈り揃えられた黒髪に、髭の剃り残しがあるそこそこな顔立ちや最低限鍛え他の店員からの案内を待つ客と比べガタイの良い体は彼を目立たせている。

 だが、そんなそこそこな顔を青くしつつ店員から"何名様ですか"のテンプレートな質問をされる他の客を視界の中にいれた男は、顔よりも更に暗い瞳を閉じてゆっくりとため息混じりに呟いた。その小声は酔いが回り取り留めのないことで大いに盛り上がる客や店内に流れる音楽に掻き消された。

 それでも、そんな男の悪態をきちんと聞いていた頭に二本の角を生やす彼のがツレは彼の丸くなった背中を叩くと、笑って励ましの言葉をかけた。その励ましに笑って応える男は、胸の"館山から来ました!港"と書かれるタスキを揺らしながら視線をフロアへと向けたのであった。


「どうしよう……」

「"どうしよう"って、注文取りに行かなきゃでしょ!ほら、行った行った!」


 注文された料理を運び終わったヴァジムだったが、彼の顔は相変わらず暗いままだった。それどころか、彼はテーブルの呼び出し音に肩を震わせる程である。

 当然居酒屋店員であるヴァジムはそのテーブルへ急行しなければならないのだが、彼はそのテーブルがスーツ姿に数人頭から角を生やした男女が混ざりひしめき合うテーブルであると気付いた。その途端、彼の足は動かなくなりトレンチを持つ手が震え強張った声が漏れ出した。

 しかし、忙しなく料理や酒を運び、止めどない注文の呼び出しや"客は偉いと勘違いした酔っ払い"のクレーム対応に追われた他の店員達は、そんなにヴァジムの怯えた態度にも気付かないのである。

 それどころか、同僚の男は動きの鈍るヴァジムへ檄を飛ばすと、通路から追い払うように手を振り彼をそのテーブルへと走らせたのだった。


「どうしよう……」

「"どうしよう"って、テーブルに行かなきゃでしょ!ほら、行った行った!」


 立ち並ぶ順番待ちの客の中で棒立ちした一歩だったが、彼の顔は相変わらず暗いままだった。それどころか、彼は店員が客を呼ぶ声に肩を震わせる程である。

 当然本日の主役の1人である一歩は今晩の舞台となるテーブルへ急行しなければならないのだが、彼はそのテーブルがスーツ姿に数人頭から角を生やした男女が混ざりひしめき合うテーブルであると気付いた。その途端、彼の足は動かなくなり土産の紙袋を持つ手が震え強張った声が漏れ出した。

 しかし、座って酒を飲める場所を探し、止めどないキャッチの呼び声や"酔った自分をカッコいい勘違いしたマッシュルームカットの大学生酔っ払いのナンパ"に追われた他の客達は、そんなに一歩の怯えた態度にも気付かないのである。

 それどころか隣に立つサブリナは動きの鈍る一歩へ檄を飛ばすと、集団から追い払うように手を振り彼を店員の元へと走らせたのだった。


「でも、頑張るか!」


 ヴァシムは肩に力を込めて腕を振ると、拳を握りしめながら呟きつつスーツ姿の集団の元へと向かい出した。


「でも、頑張るか!」


 一歩は肩に力を込めて腕を振ると、拳を握りしめながら呟きつつ席の空き状況等を確認する店員の元へと向かい出した。


「覚悟はできた!」


 ヴァシムの瞳は覚悟の炎に燃えていた。


「覚悟はできた!」


 一歩の瞳は覚悟の炎に燃えていた。


「あっ、待ち合わせ……」


 だが、ヴァシムの足は彼の覚悟と反して呼び出しのかかっていたテーブルの側で踵を返すと順番待ちをする客の方向へ向けたのである。その足は怯えるように素早く、結局彼は待ち合いの客を確認する素振りで場を乗り切ろうとしたのだ。

 そんなヴァシムは突然目の前に現れた港の姿を見ると、潰れたカエルのような声を出した。とはいえど、ヴァシムはそれなりに居酒屋店員を"装う"ことに慣れていた為、一歩の格好を見るなり慌てて店員として彼へ声をかけたのである。


「あっ、待ち合わせ……」


 だが、一歩の足は彼の覚悟と反して席の空き状況等を確認する店員の側で踵を返すと自分達同様に順番待ちをする他の客の方向へ向けたのである。その足は怯えるように素早く、結局彼は待ち合いの客を確認する素振りで場を乗り切ろうとしたのだ。

 そんな一歩は突然目の前に現れたヴァシムの姿を見ると、潰れたカエルのような声を出した。とはいえど、一歩はそれなりに社交性のある人間を"装う"ことに慣れていた為、ヴァシムの格好を見るなり慌てて客として彼へ声をかけたのである。


「何じゃ、コイツ等。店員も客も暗いとはな」


 そんな一歩とヴァシムの姿はサブリナからすると異様であり、僅かに青い顔をする2人は彼女を呆れさせたのである。


「おぉい、港さん!サブリナさん!」

「おいおい、今日の主役が遅れとったらアカンやんけ!ほらっ、こっち来いって!」


 そんな一歩とヴァシムの黙って見つめ合う姿は嫌にも目立つものであり、数秒後には他の順番待ちをする客達の視線を集め始めた。

 すると、その光景に気付いたテーブル席側の通路から声質の良い騒ぐ声や食器の音を貫きよく通る女の声と、関西弁が目立つ嗄れた男の声が響いたのである。


「ひっ!」

「ひっ!」


 一歩を呼びかける声は黒いスーツ姿の集団が宴会をするテーブルから響き、黒いスーツ姿に長い黒髪をヘアネットで1つに纏めた細身の美人が手を振る姿は、酔っ払いだらけの席の中でも目立つものである。

 当然、そのテーブル席を恐れて離れた一歩とヴァシムはその光景に対して大いに驚き、思わず声を漏らしたのであった。


「申し訳ございません!」

「申し訳ございません!」


 そして、お互いに目の前で怯える小さな悲鳴を上げたことで、一歩とヴァシムは2人同時に謝罪しながら頭を下げた。

 その動きは完全にシンクロしており、数人の客が面白がって見るほどである。


「本当に何じゃ、コイツ等」


 サブリナはそんな2人の姿に引き攣った笑みを浮かべて頭を抱えた。


(怖がっていても、始まらない!)


 そして、既に待ち合わせの集団から見付けられた一歩は大きく息を吸い込んで胸を張ると、肩に力を込めた。それは彼なりのない虚勢を張るときの癖であり、一歩はようやく席へ向かう決意をした。

 それでも結局は虚勢であることに変わらず、一歩は一瞬開いた口から言葉が出ず、身振りだけで目の前の店員であるヴァシムへ案内を頼んだのだった。

 

(怖がっていても、始まらない!)


 そして、目の前の客を待ち合わせの集団へ案内しなければならなくなったヴァシムは大きく息を吸い込んで胸を張ると、肩に力を込めた。それは彼なりのない虚勢を張るときの癖であり、ヴァシムはようやく席へ向かう決意をした。

 それでも結局は虚勢であることに変わらず、ヴァシムは一瞬開いた口から言葉が出ず、身振りだけで目の前の客をである一歩を案内したのだった。


「それでは、また」


 そして、ヴァシムは一歩をテーブルまで案内すると、恭しく頭を下げながらそそくさとその場を小走りに離れたのである。


「それでは、また」


 そして、一歩はヴァシムにテーブルまで案内されると、恭しく頭を下げながらゆっくりとその場を離れたのである。


「「いやいや、今すぐ帰りたいね」」


 しかし、2人はお互いに背を向けた瞬間同じことを呟き、せっかく張った虚勢も肩を落として解くと自分の向かうべき場所へと足を向けたのである。


(だから、お仕事お仕事!)


 そして、ヴァシムは山のように厨房から提供される料理とそれを回収して運び出す同僚の中へ飛び込んだ。


(だから、お仕事お仕事!)


 そして、一歩は山のようにテーブルへ提供される料理とそれを肴として先に宴会始める同僚の中へ飛び込んだ。


「損した生き方だな」


 そんな居酒屋に不似合い過ぎる行動を取る2人の姿にサブリナは目を点にして呟き、肩をすくめると空腹を満たすために宴会の場へと突撃したのだった。

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