第5話 新入生
「さて、一年生のみなさん、初めまして」
その日は四月中旬の放課後だった。定慶高校文芸部も、柿田先輩と俺の活躍による知名度によって、大量の新入生を迎えていた。去年の先輩が初日に長々と文学論を並べ立てたため、新入生を辟易とさせたのが懐かしく思い出された。しかし、俺はその轍を踏むつもりはなかった。
「定慶高校文芸部は、部員の自主性と独創性を尊重し、一人一人が伸び伸びと小説の力を伸ばすことを目指しています。自分のペースで、好きな題材の小説に取り組んでください。まず今日は、上級生と一年生の仲を深めるために、みんなで自己紹介をしましょう」
別に初日から小説の技能を教えるつもりはなかった。まずは一年生たちの緊張を解くべきなのだ。俺はできるかぎり最高の微笑みを浮かべ、口調を崩して喋り始めた。
「部長の高瀬星波だ。小説を書くことは三度の飯より大好きだ。だいたい毎日部室にいるから、気軽に話しかけてくれ」
俺は最後にもう一度スマイルして着席し、すぐに隣の副部長が立ち上がった。
上級生たちの自己紹介はスムーズに進んでいった。みんなはきはきと、自信を持って自己紹介できている。柿田先輩がいつも言っていたことだが、小説家というものは、文章中だけが雄弁なだけでは務まらない。つまり、たとえリアルであっても、人と関わるのを避け、陰キャぶるのは小説家として失格だということだ。
俺は先輩のこの考え方はさすがに理不尽だと思うし、去年せっかく大量に入った新入部員の約半分が退部してしまった原因すら作ったと考えていた。だが、そのしごきを耐え抜いた現部員たちは、全員が少なくとも平均以上のコミュニケーション能力を獲得していて、毎日の部活は、何も知らない外部の人に文芸部と信じてもらえないほど騒々しくなっていた。
もちろん俺は心優しき部長であるから、今年の新入部員にそんなことは強制しないけれども、先輩たちが堂々としていれば、一年生たちの緊張も解けるだろう、とそのときの俺は楽観的に考えていた。
いつの間にか二年生までの自己紹介は終わっていた。いよいよ一年生の自己紹介であった。一番端に座った女子生徒が、背筋を伸ばして立ち上がり、礼儀正しくお辞儀をした。
「先輩方、初めまして。
中島が着席すると、続いて次の一年生が立ち上がった。
最初の中島がなかなかはきはきした自己紹介だったので、他の一年生も緊張が解けた者がいたようだった。もちろん数人は例外があったが、それは俺にとっては大した問題ではなかった。
⭐︎
これは柿田先輩が初めて実践したことなのだが、定慶高校文芸部の部室は基本的に毎日開いている。特に決まった活動時間はなく、来たいときに来ればよい。本当は柿田先輩は毎日登部にしたかったのだが、ほとんどの部員の反対に遭って実現しなかった。とはいえ、柿田先輩は滅多に部活を休むことはなかった。
俺はそれを引き継いで毎日登部していたが、俺が卒業してしまえばどうなるかはわからなかった。もちろん、俺だって後進の育成には努めていた。しかし、後輩というものは、概して先輩の思い通りに育つものではない。
「えーっ、高瀬先輩、今週の土日は休みなんですか?」
俺が去年から最も目をかけている二年生、
柿田先輩が俺に辛く当たっていた理由が、俺はそのころやっとわかった。後輩が自分より不甲斐ないと、なんだか居心地が悪くなってしまう。柿田先輩も、俺を必死に育てようとしてくれていたのだ。ーー俺は、それに応えられていただろうか。
「大丈夫ですよ高瀬先輩。橘先輩が来なくても、私がちゃんと部をまとめてみせます」
と、そこで横から話に割り込んできた女子部員がいた。彼女が中島美梨だった。中島は橘と違って、土日も欠かさず登部する優等生だ。
自己紹介のとき、中島は小説の経験はほとんどないと言っていたが、それは真実なのか怪しかった。彼女の小説は初作から文芸部内で異彩を放ち、すぐに実力者と認められた。俺の教えることもすぐに頭に入っていくようで、そのあまりの上達ぶりには俺も舌を巻いていた。
紙の公募を重要視し、小説サイトには登録もしていないという中島には、俺はどこか柿田先輩に通じるものを感じていた。よく話すようになったのは、そのせいかもしれない。
「んー、そうっすね。まあ週末も何人か上級生は来るでしょうが、高瀬先輩が全権を中島に移譲してしまえば、みんな中島の言うことを聞くかもっすね」
「そんなわけないだろ。中島はまだ一年生だ。そういうところはさすがに覆したらいけないだろ」
全く、橘は言うことがいつも適当だ。深い考えというものがまるでない。これだから良い小説が書けないのだ。
「いやー、それにしても高瀬先輩、中島は本当に上手いですね。この前も公募の二次選考を通ったっていうじゃないですか。俺なんかもう足元にも及びませんよ」
「いいからサボらずに書け。最近のお前は、中島の執筆を観察しているだけだろう。それでは力は伸びないぞ」
「いいじゃありませんか。今日は俺は疲れたんです」
ぶらぶらと足を揺らしている橘を見ると、なぜこいつが他の大勢の部員より小説が上手いのかと不思議に思えてくる。しかし、こういうボケキャラが一人でもいれば、部に張りが出るかもなーーとか考えていた俺は、甘かったのかもしれない。
「ところで高瀬先輩、俺は気になってることがあるんですがーー」
なぜなら、橘はそこで、俺たちにとって運命的なことを言い出したからだ。
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