第156話 獅子の子落とし(ヘレナ視点)

 荒れ狂う魔力が目の前に立っている。


(それでいいわ)


 私は心の中でそう呟く。


 燃え盛る街が見える。

 目の前にいるのは私を殺そうとしているベアトリス。


 間髪入れずに攻撃が飛んでくる。

 それを私は防御魔法で防ぐ。


 余裕を見せている表情とは裏腹に、体には緊張が走っている。

 それと同時に、「嬉しいという感情」が湧いていた。


(それにしても、状況は最悪ね)


 それは、私がベアトリスに殺されそうになっているからではない。


(思った以上に被害が出てしまった)


 私は協力者の少女が暴走する前に、家族を助け出そうとしていた。

 ここでいう、家族は「公爵家」のことである。


(ダメね、いつから私はこんなになったのかしら……)


 私は、ヘレナとしてではなく、「公爵家の一人」としての感情が芽生えていた。


 え?


 意味がわからないって?


 うふふ、言ってなかったわね。

 実は、私、黒薔薇という組織を裏切っていたの。


 私が黒薔薇の人形として、公爵家に潜入していたのは事実。

 だけど、そうして過ごすうちに本物の「愛情」が芽生えていた。


 ベアトリスが、五歳の時だった。

 襲撃があり、そこで、ベアトリスの必死の顔を見た時、


『なんで、こんなに胸が痛むの?』と思った。

 それで全て理解した。


 私はすでに黒薔薇という組織のことなんてどうでも良くなっていた。

 代わりに、公爵家に住む全員を愛していたのだ。


(でも、それでもベアトリスには気づかれちゃいけなかったの)


 今この状況こそ、私ができる「最後の躾」なんだ。

 この後、私はベアトリスに殺される。


 それこそが躾。


 仮の親として、私はベアトリスを裏切らなければならなかった。

 ベアトリスは確かに強い。


 とても強い。

 それこそ、本物の母親の才能を一身に受け継いでいる。


 だが、心は未熟だった。

 普通の十歳よりも大人びていて、頭もいい、そして心の強さも平均値以上だ。


 だとしても不安だった。

 メアリを……メアリさんを目の前で殺されて、心が不安定になっていると。


 彼女はそれを乗り越えることができた。

 しかし、それだけじゃ足りないのだ。


 協力者と私が呼んでいるあの少女は完璧にベアトリスの心を折るつもりだ。

 その前に私がベアトリスの心を強くする必要がある。


「信じていた人に裏切られる」こと。


 それが心を鍛えるのに一番適していると思った。


 何よりも辛いことだと思う。

 だからこそ、それを乗り越えたときに彼女は本物の「強者」となれる。


 そうすれば、協力者に心を簡単には折られなくなるだろう。

 もし、ベアトリスが殺されそうになったら、獣人のレオ君に教えたあの呪文が役に立つ。


『その時が来ば、我はきみぐし、来る厄災まで身を潜む』


 この呪文を唱えれば、とあることが起き、ベアトリスとレオ君は逃げられるだろう。


 ここで死んだら本末転倒だ。

 だからと言って、ベアトリスにバレてしまったら、心を鍛えることができなくなってしまう。


 そこで、選んだのが、レオ君だった。

 彼がちょうどよく私の部屋を覗いてくれたおかげで、ほとんどうまくいった。


 街の住人のうち、三割は逃げられると踏んで、協力者に「街の住人を殺してからの方がいい」と助言し、時間稼ぎをしたが、結果は芳しくなかった。


 それに関しては申し訳ないと思っている。

 だけど、同時に罪人である私だからこそ、できることだとも思った。


 迫りくる、殺気。

 そろそろ私も限界が近づいている。


 私は諜報員としては最適かもしれないが、戦闘に関してはからっきしなのだ。

 それなのに、まだ私が死んでいないというのは、ベアトリスの心がまだ迷っているからだ。


 怒っているのは明白。

 だが、私のことを本当に殺してしまっていいのか?


 また家族を失ってしまっていいのか?


 迷っているのだ。


 だから私は追いうちをかける。


「そんな程度じゃ、誰も守れないわ」


「!?」


「私一人殺せないなら、そこのレオ君……だったかしら?その子もすぐに死ぬわよ」


「……………」


 明らかに怒りが増すのを感じた。

 それでいいのだ。


 怒れ。


 出なければ、耐えられないだろう、私を殺すことができないだろう。

 私はベアトリスを無視して、レオ君の方に向かう。


 そうして、ナイフを向ける。

 走り出してこちらに向かってきていることに、本人は驚いたような顔をしていた。


 それを見たベアトリスは私の元まで走ってこようとしている。

 その顔は、五歳の誕生日会で、国王を守ろうとするときよりも必死だった。


 そうだ、それでいい。

 もっと怒って、


「私を殺してみなさい!」


 その瞬間だった。

 肩甲骨から、心臓にかけて、何かが体を貫いた。


「いい子ね……」


 ナイフを手から落とす。

 手の力が抜けて取りこぼしたナイフがカキンという音を立てて、落ちたのだ。


 はあ、はあという息遣いが聞こえ、ベアトリスが手を引き抜く。

 何歩か後ずさっているのが、足音からわかる。


 きっと、「私は何てことをしているの?」という気持ちと、「止めを刺してやろう」という気持ちが混在しているのだろう。


 さらに息遣いが荒くなるのが聞こえる。


 おっと、忘れていた。


「レオ君」


「!?」


 小声で話しかける。

 警戒し、尻餅をついた状態で、身構えている。


 だが、それはもはや必要のないことだった。


「あの子を……ベアトリスを……お願い」


「え……?」


 私の目に一筋の涙が落ちる。

 それは、地面に落ち、すぐに蒸発した。


(いけないわ。最後まで我慢するつもりだったのに)


 ここまでの傷は私の魔法でも治せない。

 痛みで泣いているのではない。


 もう、前までの家族としての生活が送れないことに、悲しみを覚えて泣いている。


 でも、


(ようやくここで死ねるのね)


 ここからは賭けだ。

 ベアトリスが私の死を乗り越えた時、きっと生き残れる。


 そうすれば、きっと協力者にも一矢報いることができるはずだ。

 家族を守るためなら、命だって落としても構わない。


 それで、悲しむ人がいないなら。

 私は……私は。


 立ち上がる。

 心臓を貫かれても動いている私は人から見たら化け物なのだろう。


 ただ、残った魔力で、体の血を巡らせているだけだ。

 その魔力も、心臓がなくなったことで、空気中に散っていくのがわかった。


 魔力が切れた時が、私の死ぬ時だ。


「うふふ、見事……だったわね」


「……まだやるの?」


「残念ね、後ちょっとで殺せそうだったのに……」


「!……何か言い残すことは?」


(決心が、ついたのね)


 私の放った最後の一言が彼女の心を突き動かす。

 私の死を乗り越えて、立派に成長してほしい。


 願わくば、それを隣で見ていたかったな。

 まあ、わがままに過ぎないけどね。


 最後のかける言葉、それは私の中ではもう決まっていた。


「よく、頑張ったわね」


「!」


 今作れる精一杯の笑顔。

 今できる、誠心誠意の感謝。

 今することができる最大の試練。

 今を生きるベアトリスに送る、最後の言葉。


(メアリさんの代わり、ちゃんとできたかな?ねえ?アグナム様……)

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