第154話 塗炭の苦しみ

「なによ……これ!」


 目の前に広がるは地獄だった。

 いや、それも生温い言い方だ。


 阿鼻叫喚

 地獄絵図


 あたりからは発狂する声が聞こえ、人々が……公爵領に住む住民たちが逃げ惑っている。


「いやあああ!」


 私は耳を塞ぐ。

 その場でしゃがみ込む。


 ここは外と領地内をを分ける壁の上。

 その石でできた地面に涙が垂れる。


 私が……今世の私が、仲良くしてきた街の住民のみんなが苦しんでいる。

 私の視界に映る人々の表情……うっすらとしか見えないその表情が私の心臓をえぐる。


 何年も前……三歳ぐらいの時に初めて街に降りた。

 そこで、食材屋のおばさんと仲良くなり、アレンという友達を見つけ、そこから街の人たちと関わってきた。


 それなりに仲良くなった。

 親しくなった人々が苦しみに逃げているのに、私は……。


(なんで!なんで私ばっかりこうなるの!)


 いつもいつもいつもいつも!

 どうして私の親しい人から死んでいくの!?


 なんで、前世でも今世でも!苦しまなくちゃいけないの!


「……違う違う違う違う!泣いてる場合じゃないでしょ、私!」


 頬を叩き、自分の心をふるい落とす。


「このままじゃ、ほんとの意味で苦しむ羽目になる」


 アレンや、獣人くん……レオって名前なんだっけ?

 実を言うと、フォーマがこっそり教えてくれた。


 最近はレオと名乗ってるらしいよ、と……。

 だから私も今度からそう呼ぶことにした。


 仲良くなった同年代の子供たち。

 二人が苦しむ姿なんて見たら、いよいよ私は頭がおかしくなりそうだ。


「ま、まず、アレンの家!ど、どこだっけ……!?」


 焦る私。

 マッピングした魔法の地図を脳内で開き、場所を確認しようとした時、


 ガシャンという音……いや、爆発音がした。


「屋敷から!?」


 玄関口が何かの力によって弾けたように見えた。

 それは魔法を使っていなくても、はっきりと見えるほど大きく、屋敷に向かっていく炎が爆風で吹き飛んでいた。


「早く行かないと!」


 屋敷には母様や、父様がいたはず!


 私はそこから駆け出した。


「もっと!もっと早く!」


 魔法をかけて身体強化をする。

 久しぶりに本気で走ったが、ものの十数秒でその場にたどり着いた。


 屋敷の崩れた部分から顔を覗かせる。

 土煙や埃が舞っていて、それが収まったと同時に私の視界にそれが映る。


「案外あっけないのね」


 そんな声が聞こえ、視界に、獣人のレオくんが腹を素手で貫かれていた。


「……………」


 私は思考が停止した。


 私はいったいなにを見ているんだ?


 苦悶の表情を浮かべるレオくんを眺める。

 こんなの見たくなかった。


(ふざけるな)


 あの少女は誰だ?

 なんであんなひどいことをしたんだ?


「あいつが……あいつが!」


 私は思わず飛び出した。

 後ろに迫ってきた炎が私の走る時の風で後方に吹き飛ぶ。


 それを目の端で捉えたのか、黒い服を着ている少女がこちらを振り向いた。


「な!?」


 私は手に力を込める。

 全力全開。


 本気で。

 殺す気で。


 私の右手が少女の顔に当たる。

 と思った瞬間に、それは防御された。


 メキッという音がして、私の拳が少女の骨を折った。

 にもかかわらず、苦痛の表情すら浮かべずに驚いている。


 私は踏ん張って少女を吹き飛ばす。

 そして、


「お待たせ、獣人君……いや、レオ君だっけ?」


 心を落ち着かせるために、レオ君を安心させるために、笑顔で話しかける。


「あ……あぁ……」


「今治療するわ」


 横たわった彼のお腹が血で濡れている。

 その大きな風穴、すぐにでも死んでしまいそうな勢いだ。


「『上級回復ハイヒール』」


 かける魔法はかなり高位のもの。

 上級クラス、一級の魔法だ。


 流石の一級魔法。

 その回復力は凄まじく、みるみるうちにお腹に空いた傷が塞がってくる。


 細胞が再び蘇り、体を形作る組織が修繕される。

 やがて、レオ君のお腹はいつも通りのふさふさな状態へと戻る。


「傷が治っても、流れ出した血は元には戻らないから。気をつけてね」


「え……?治ってる……」


 私は一度、レオ君の元から離れて吹き飛ばした少女の方を見る。


「あはははははははは!やっとだわ!久しぶりいいいぃぃ!ベアトリス!」


「狂ってるの?」


「あはははははは!そんなわけないじゃあああん!一緒にぃ……遊びましょおおおぉ!」


 煙が彼女を避けるように吹き飛び、そこから覗いた彼女の周りには渦巻く凄まじい魔力が幻視できた。


「化け物め……」


 幻視なんかじゃないのはわかっている。

 あれは、正真正銘彼女の魔力。


 荒れ狂う魔力が彼女の髪の毛を逆立たせ、風を巻き起こしている。


「いいわよ!遊んであげるわ!」


「そうこなくっちゃ!じゃあなにして遊びましょうかあぁ?」


 不気味に笑う少女は何かを考え込む。

 私という敵がいながら、随分と余裕ない態度だ。


 しかし、私が攻撃することはない。

 いや、攻撃したところで防がれるだけとわかっているからだ。


 目の端で捉えた私の動き、完全な不意打ちとまではいかなかったものの、絶対に一発入ったと思った。


 結果は腕の骨を折っただ、け……。


(あれ?折れてない……!?)


 少女が私の拳を防ぐために犠牲にしたはずの腕の骨が修復していた。

 なぜそうわかるかといえば、骨ごと曲げたはずの腕が真っ直ぐになっているからだ。


「きーめた!」


「なによ……?」


「やっぱりぃぃ、チャンバラごっこかなぁぁ!」


 不気味に嗤う彼女の顔がさらに歪み、そして背後から歪な黒い塊が生まれた。

 その中に彼女は手を突っ込み、何かを引き抜く。


 それは黒い槍だった。


「私の愛武器なのよねえぇ!」


「へーよかったわね。私が折ってあげるわ!」


「あはは!頑張ってぇ?」


 そうして、戦いがいざ始まろうとした、その瞬間だった。


「協力者様、少々お待ちくださいな」


 聴き慣れた声が、階段の上から聞こえてきた。

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