第273話 土蜘蛛が求めるもの
「…………やっぱり、素敵ねぇ……」
やっとこさ開放された喜びをかみ締めながら背筋を伸ばしていると、不意に背筋がゾワゾワ…………ゾクゾク?
する舐めるような視線が全身をくまなく這いまわった。
無論その正体は、目の前で妖艶な笑みを浮かべて意味深な舌なめずりをする土蜘蛛。
どこか"絶対に逃がさない"とでも言いたげな熱い視線が怖い。
なぜそこまで俺に執着するのだろうか………。
「あなたみたいな坊やは大好きよ?それこそ食べちゃいたいくらい♡」
「遠慮しときます………」
即答である。
"食べちゃいたい"が性的な意味なのかそのままの意味なのかは置いておいて、どちらにしろ丁重にお断りしたい。
こういうのは薄い本の中だからこそ良いのだ。
普通に考えて、妖艶なお姉さんにしっぽり絞り尽くされるとか、めちゃくちゃエッッッ………!じゃないですか。
そういう系がどストライクという訳ではないが、棚に並んでいたら無意識に目が行くくらいには好き。
自分もこんな展開なんねぇかなぁ〜………と夢見た男子もさぞ多かろう。
何を隠そう俺もその一人である。
……………………しかしだ。
世帯を持った今、果たしてそんな事を言っていて良いのだろうか。
嫁をほったらかしにして、お姉さんとよろしくしてても良いのだろうか。
結論、良い訳がない。
例えば皆がホスト(こっちの世界にあるかは知らないが)にご執心だったら嫌だと思うように、皆もまた俺が夜の街をウロチョロしていたりしたら嫌なことこの上ないだろう。
だから夢は夢のままそっと心の奥に閉まっておくのが得策だ。
それにエッチなお姉さん枠はすでにアイリスとリーンで埋まっているのだ。
むしろ薄い本より何倍も凄いことをさせてもらっている。
「…………ふぅん。
「と、言いますと?」
まさかこんな事を言っていた人が他にも居たんじゃあるまいな。
突然、ぶすっと機嫌が悪そうな表情になった土蜘蛛が零した言葉に、思わず反応する。
"あなたも"って…………もし仮に同じことを言っている人が居たとしたら、その人にはシンパシーを感じざるを得ない。
なんだか良い友達になれる気がするぞ。
「前の村にも居たの〜。マシロ君みたいに、"俺には妻も子供も居るから、あなたには着いて行けません"って断った男が」
ふと立ち寄った村で、いつも通り夜な夜な男を攫っていたところ、一人の男に目をつけた。
特段好みの見た目という訳ではなかったが、その男が放つ幸せそうな雰囲気が気になって声をかけたそうだ。
適当に話をして、最後にいつもよくやる口上で男を誘った。
普段なら鼻の下を伸ばした馬鹿な男はだいたいこれで釣れるのだが、その男は違った。
"すみません、自分には妻も子供も居りますので………"
申し訳なさそうにぺこりと一礼してから、その男は去っていったと言う。
………………良い人じゃんか………。
こんな絶世の美女に誘惑されても決して曲がらず、自分の妻一筋を貫いた愛妻家だ。
当たり前のことのように感じるかもしれないが、一人の女性ないし男性を愛し続けることはとても素晴らしいことだ。
もちろんそれ以外の選択肢を否定する気は無い。
純愛と言っても多種多様。
それこそ一夫多妻制の異世界においてはより顕著であろう。
尊敬に値するぜ………。
俺も名も知らぬ彼のような男になりたいな。
「やっぱり、いつまで経っても分からないわ…………愛なんて。そんなもののどこが良いのかしら………」
誰にも聞こえないくらい小さな声で呟かれたそのセリフを、俺は聞き逃さなかった。
我ながら地獄耳だと思う。
実際、近くにいたシュカやセンリでさえ聞こえていなかったであろう。
……………なんだかそう言うと、俺が変態のように聞こえてしまうかもしれないが。
「ねぇマシロ君、あなたは愛を知っているのかしら?」
「愛?…………どうだろうね、俺もまだ愛を語れるほど歳をとってないから。土蜘蛛は愛を知りたいの?」
「ええ。だから男達を攫って、愛を受けようと思ったの。実際にその気持ちを向けられれば、知れると思ってね。…………でも、無駄だったわ」
土蜘蛛が自嘲するような笑みをこぼす。
愛を知りたい、ねぇ………。
中々業の深いことを言うじゃないか。
女心と並ぶ永遠の謎に手を出そうとは。
"好き"とはまた違った感情であり、言葉で表すのは困難だと言わざるを得ない複雑な心情。
愛の中にも兄弟愛や姉妹愛、家族愛などいっぱいある。
その中で一番メジャーで、一番分からないのが"恋愛"の愛だろう。
終わりのない探検に出かけるのはどうぞ好きにすれば良いと思う。
それが楽しいんだから、わざわざ止めるなんて野暮だ。
だけど………………ちょっと最後の発言は、あまり気に入らない。
「………………愛は少なくとも、
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